板垣×原田による奇跡の対談が実現
かつてテクモ時代に『DEAD OR ALIVE』シリーズをこの世に生み出し、メディアの取材で「『鉄拳』が嫌い」と公言していた、ヴァルハラゲームスタジオの板垣伴信氏と、その『鉄拳』シリーズを手掛けるバンダイナムコゲームスの原田勝弘氏。交り合うことがタブーとも思われていたふたりの対談が実現! その模様を3回に分けてお届けしよう。(本対談は、ファミ通Xbox 360 2012年1月号に掲載されたものです)

バンダイナムコゲームス
『鉄拳』シリーズ
プロジェクトディレクター
原田勝弘氏
【写真右】
ヴァルハラゲームスタジオ
代表取締役 最高技術責任者(CTO)
兼ゲームデザインリード
板垣伴信氏
板垣氏×原田氏 因縁のきっかけは?
――前号で板垣さんが原田さんについて触れていましたが、まさかそこからおふたりの対談が実現するとは……。
原田 (遮って)とりあえず酒ないの?
――え?
板垣 自分から言うか(笑)。用意してあるよ(笑)。ちょっと持ってきて。
―ビールやらワインやらが運ばれる―
板垣 (バンダイナムコゲームスの宣伝担当に向かって)飲みながらの取材でも、問題ないですよね?
――あ、えーと……。
原田 飲まないとやってらんないでしょ。
板垣 だよね(笑)。じゃあ、乾杯!

――で、では対談を始めましょうか。そもそも先月の話だと、板垣さんが飲んでいるときに、原田さんに電話をしたということでしたが……。
板垣 飲んでいるときというか、僕はいつでも飲んでいますからね(笑)。けっこう遅い時間だったよね。
原田 21時30分ぐらいだったかな。会社にいたら携帯電話が鳴って、ディスプレイを見たら“板垣”って名前が出たんですよ。思わずまわりの人間に「おい、これ見ろよ!」って知らせて、「これ、俺が出るの?」って(笑)。電話に出たら、いきなり「どう?」って言われて、どうも何も、仕事してるんだよと(笑)。ここのところずっと忙しくて、スケジュールとか20分刻みぐらいで動いているときだったんですよ。だから、板垣さんがいったいどういう仕事のスタイルをしているのかが気になりますよね。
板垣 そのへんの話は後で話そうか。で、今日はどうしたの?
原田 アンタが呼んだんじゃないか!(笑) 電話で「遊びに来い」って。
板垣 ああ、そうだったそうだった!
原田 ちゃんと仕事してるんですか?
板垣 してますよ(笑)。もう独立してから3~4年経ったけどね。
原田 3~4年経っているのにまだトレーラーしか見ていないので、本当に仕事しているのかなと思って(笑)。
板垣 そういう疑惑はあるよね(笑)。
原田 随分と長いなって、みんな思っていると思いますよ。
板垣 『NINJA GAIDEN』っていうアクションゲームがあったけど、あれは4年かけたんだよ。
原田 ああ、そうだ。あれもけっこうかかっていた気がする。
板垣 あれと同じくらいでできればいいかなと思っているんですけどね。でも、ぜんぜん違うジャンルじゃないですか。まあ、苦労しながらやっていますよ。
原田 まずは、板垣さんの1日っていうのを簡単に教えてくださいよ。朝は何時に起きてるの?
板垣 まあ……フレキシブルだよね。
原田 それ、聞こえがいいからそう言っているだけでしょ(笑)。要は適当なんですよね?
板垣 柔軟と言ってほしいな(笑)。でも、やっぱり来てもらってよかったよ。そんなことを、こうやっておおっぴらに僕に言えるのは、地球上でたぶんキミだけだから(笑)。僕は来たい時間に会社に来て、仕事をやりたいときにやって、夜中でも部下を家に呼んで、家で酒盛りして、企画会議やったり、ゲームしてみたり。僕は人がゲームで遊んでいるのを見るのが好きだからね。
原田 なるほどね。それは、そんなことをやっているから4年もかかるのか、それとも、そういったことも込みで4年かけるからいいんだっていう判断なのか、どっちなんですか?
板垣 無論、後者だよね。酒でしょ? マージャンでしょ? 仕事でしょ? 遊びでしょ? まあ、仕事も遊びみたいなものだけど。あとは社員と、家族と、お客さん。そしてメディア。応援してくれる人はいっぱいいるからね。だから柔軟に。さっき20分刻みって言ってたじゃない? それは何かに書いてあるの?
原田 ネットシステム上の予定表に書かれています。僕が詰めなくとも、自然と予定が詰まってくるんですよ。
板垣 なんかテレビ番組みたいじゃない。もっとガラっぱちな生きかたをしてるかと思ってたけど、すごいね。
原田 意外にも最近キツキツなんですよ。でも、さすがに酒を飲んで人の職場に電話したりはしない(笑)。
一同 (爆笑)
原田 でも酒はかなり飲むかな。日本の職場ではないけど。
板垣 僕はアメリカンだからさ。
原田 ヨーロッパなんかに行くと、僕も昼間から酒飲んだりしますけどね。
板垣 そうなんだ。Twitterとかすごくやっているよね。
原田 やってますね。でも、お酒飲んでやるとダメですね。
板垣 先月、バカ発見器って書いたんだけど、そうだよね。
原田 その側面はありますね。何でかというと、ふだんは挑発に乗るまいと思っているんだけど、僕はテキーラが大好きで、テキーラ飲んで深夜2時くらいになると、何かちょっと誤解されただけでカチンときちゃったり(笑)。
板垣 テキーラはまずいだろう(笑)。僕も原田君にちょっと言われると、カチンとくるんだよね(笑)。それでまた原田君がカチンときてさ。こんなケンカを何年やっているんだろう?
原田 14~15年くらい続いているかな。そもそもキッカケは何ですかね? 諸説あるんですよ。僕が見て、「これはないわ」と思ったのは、板垣さんが『鉄拳』のラジオCMか何かを聴いて、それが『DEAD OR ALIVE』か何かに対して挑発的な内容で、それに怒った板垣氏は『鉄拳』を嫌うようになったってネットでいっぱい書かれているんですよね。僕はそんなんじゃないと思っているんだけど、実際はどうなんですか? そんな理由で『鉄拳』を嫌うとかじゃないと思うんだけど。
板垣 あれは……1997年だったかな。その年に生まれた子どもはもう高校生とかになっているのかな?
原田 物心ついていた人は、もう成人していますからね。僕らが犬猿の仲だっていうのは、みんな知って育っている人たちなので。
板垣 そういうことになるか(笑)。せっかく話が盛り上がってきたときに、急に核心をついた話題だね(笑)。まあ、もう時効だから話してもいいか。
原田 ぜひぜひ。これ、けっこう話題になると思うんだよなぁ。というか俺がいちばん聞きたいわ(笑)。
板垣 わかった。それは後でちゃんと話す。約束する。その前に、なんで格闘ゲームを作ることになったの?
原田 僕の場合は、ナムコに入社する直前が『ストリートファイターII』だった世代なんですよ。もともとヨットレースやら柔道やらをやっていたり、人と競ったり争ったりするのが大好きだったんですよね。ゲームは子どものころから大好きでゲームセンターに通っていたんですけど、100円玉を入れるだけで他人と公的にぶつかり合えるゲームがすばらしいと。
板垣 リアルにも行っちゃう?
原田 いや直接はやりませんよ。
板垣 台蹴りくらいはやるでしょ(笑)。
原田 それくらいはね(笑)。
板垣 それは『ストII』?
原田 『ストII』もそうだけど、対戦ゲームだと何でもよかった。ただ、格闘っていうのが“競う・争う”という感覚に直結していたんですよね。
板垣 大学のころとかも?
原田 ずっと『ストII』かヨットレースをやっていましたね。
板垣 ちゃんと4年で卒業したの?
原田 もちろん。板垣さんは?
板垣 僕は7年(笑)。
原田 長いですよ(笑)。
板垣 僕も勝負にのめりこんでいたからね(笑)。
原田 それってマージャンとか?(笑)
板垣 もちろん、ほかにも花札とかね。
原田 まあ、それで、何かしら人と対戦するっていうことをやりたいなと思って。
板垣 じゃあ原田君は格闘ゲーム強いんだ。
原田 けっこうやりますよ。いまだにカチンときて練習することがあるぐらい。僕は少なくとも、28歳までは毎日、たとえば昇龍拳とか風神拳みたいな技を寝る前に、「1P側と2P側でそれぞれ失敗なしで100回通しでやる」とか練習していましたね。
板垣 それ俺が会社入ったときのメインプログラマーの人が、俺たちに課した特訓といっしょだ(笑)。しかも作っているゲームが『キャプテン翼』だから関係ないのに(笑)。で、何で格闘ゲーム作ることになっちゃったの?
原田 僕が会社というか周囲に対して、「格闘ゲームは、僕が言う通りに作ったほうがいい」って言ったんですよ。
板垣 言ったねぇ。
原田 そう言った6年後に知ったんですけど、みんなに「すごくイカれた変なやつが来た」って陰口を言われていたらしいんですよね(笑)。「わけがわからないことをえらそうに」とか、「あいつまだ何もできないのに」って言われていたんですけど、僕は当時、ぜんぜん気づかなくて。でも、僕の言う通りに作ったほうがいいって言いまくっていたら、みんな聞いてくれるようになりましたね。
板垣 それは、包容力のある石川さんとかのおかげじゃないの? 当時ナムコの開発のトップだったけど、いまは社長をやってらっしゃるよね。
原田 いろいろな方がずいぶん守ってくれていたそうです。石川さんもそうだし、当時の部長、課長あたりが「あいつはやる気があるやつだから」ってずいぶんかばってくれていた。僕はそれにずっと気づかずに、ひたすら自分が正解だって思っていたんですよ。6年後にその話を聞いたときは、マジでヘコみましたね(笑)。
板垣 それはね、みんなの堪忍袋の緒が切れたから言ったというよりも、原田君が、それを言っても理解できる年になったと思ったから言われたんだと思うよ。
原田 だと思います。そのときにいろいろな人に申し訳なかったって謝って回ったほどです。

執念と戦う気持ちを持って 格闘ゲームを作っている
板垣 当時、TeamNINJAからナムコさんに行った人もけっこう多いんだけど、板垣という暴君が嫌でナムコに行ったのに、また別の暴君がいたっていうね(笑)。まあ、そうでないと、いいものは作れないよね。
原田 最後は本当に執念ですからね。
板垣 それじゃないと恥ずかしくてお客さんに出せないよ。これだけやったんだっていう自負というか、思いがないとマスターとか出せないよね。
原田 格闘ゲームとか、いままで作ってきた人もそうだし、いま作っている人がそうですよ。半分くらい執念みたいなところがあるんじゃないですか。いつも格闘ゲームって、第何次ブームがどうこうとか、波があるように言われているけど、データを見てみるとそうでもないんですよ。これはよく社内で言うんですけど、こだわっているというより、戦っているんですよ。マーケットとも戦っているし、商売とかビジネス以外のところでも、会社の中でもそうです。とにかく戦うことが大好きなので、それを形にしているだけですっていう話をよくしているんですけど、本当に執念と戦う気持ちのあるやつだけが残っていますからね。いまのチームは。16年間で半分くらいは入れ替わりましたけど。
板垣 それでもガッと動くのは10人くらいでしょ?
原田 15人はいるかな。
板垣 でも、そんなもんだよな。うちのボスが白だって言ってるから「白だ」って動くやつらだろ? 熱いねぇ。
原田 僕の部下の人がほかの部署の人に言われることは、スタッフの言うことが白黒はっきりしていて、やることがハッキリ見えている人が多いから逆らえないっていう話をよく聞きます。
板垣 なるほどねぇ。『鉄拳』の強さを垣間見た気がするね。
原田 ヴァルハラはどうなんですか?
板垣 仕事しているよ。
原田 そういうことじゃなくて(笑)。
板垣 まあ、ヴァルハラの前に、僕が格闘ゲームを作ることになった話をしようか。テクモに入社したときに、研修というのがあってね。
原田 それは実習?
板垣 いや、座学とテスト。僕はテストとか得意なんだよ。だって答えがあるじゃん。クイズみたいなものだから、だから毎回ほぼ100点。当時はプログラマーのほうが重要視されている時代だったけど、僕は企画になりたかったんだけど、やっているうちにプログラムが書けるのがバレちゃって、『キャプテン翼』に配属されて。当時は赤字がひどくてね、いまでこそ会社を経営しているからわかるけど、3期連続赤字ってまずいんですよ。それで、亡くなった先代会長が僕を呼んで、「板垣君。3期連続赤字という意味がわかるかね」とおっしゃるんで、「はあ」と答えたら、「死だよ」と(苦笑)。それが会社に入ったつぎの年の出来ごとですよ。で、「ドラゲー(ドライビングレース)か格ゲーを作ってセガに勝ちなさい」って。ただ、ドラゲーは在庫残したらたいへんでしょ。格闘ゲームだったら基板だからね。ROMの載せ替えで売り直しも利く。だから自動一択。それで格闘ゲームを作ることになって、セガに基板をお借りしたんだけど、MODEL3を貸してもらえるかと思ったら、MODEL2だと。まあ、それはそうだよなって。アメリカと日本みたいなもんだし。F22はそう簡単には売らないでしょ。で、帰りの電車で当時の社長に「何年で勝てる」って聞かれたんだけど、「いきなり一発目で超えようと思ったら頭おかしいですよ。『2』までやりましょう」って。まあ、実際のところ、僕の基準だと、Aクラス格闘ゲームの仲間入りをしたのが『DOA4』と思っているんだけどね。
原田 意外と謙虚な。これこそ記事にしていいのかと(笑)。
板垣 まあ『DOA2』でもいろいろなブレイクスルーは為したけど、ほかは持っていない排他的な強さを持ったのは『DOA4』だからね。『鉄拳』には歴史と販売数、プレイヤーの数があるよね。『バーチャファイター』には創始者という強み。『DEAD OR ALIVE』はおっぱいがあったけど。
原田 ああっ! 僕がいま言おうと思ったことを先に言われてしまった(笑)。
板垣 僕、意外とフランクなんだわ(笑)。で、『DEAD OR ALIVE』にしかないものというのは、あのときの通信であったわけだけど、初めて僕が家庭用に舵を切った意味というのをお客さんも感じてくれたと思うし。
原田 あのときの要素って、4年か5年くらい先通しでやってしまいしたよね。いまの格闘ゲームのスタンダード機能がすべて入っていたし。
板垣 やっぱりそうなんだよ。白か黒なんて関係ねーという突撃部隊がいてこそローンチでできたからね。だから僕は原田君とは違って、格ゲーを作ることになっちゃったんだよな。『DOA2』で『バーチャファイター』を超えるっていう計画を練っていたけども、『DOA1』で到達しようと思っていたところまではできなかった。それがセガサターン版を秋に発売したときであって、翌年にPSで『DOA1』を出したとき。たしかPSの『鉄拳3』のタイミングだよね。あれだけは克明に覚えている。それがさっきの、「僕がなぜ『鉄拳』を嫌いになったか」という話につながるんだけどね。
この続きは、現在発売中のファミ通Xbox 360 2012年2月号(2011年12月27日発売)でお楽しみください!