メルセデスメソッド=『ドラクエ』方式!?
2013年8月21日~23日、パシフィコ横浜にて開催された、日本最大のコンピュータエンターテインメント開発者向けカンファレンス“CEDEC 2013”。8月22日に開催されたセッション、“「ナラティブ」はここにある! 国産ゲームに見るナラティブとは?”の模様をリポートする。
このセッションのテーマは“ナラティブ”。GDC2013を席巻したこのワードは“物語”を意味し、いかにも突然変異的に現れたように感じられる。しかし、本来は日本のゲーム業界には古くから存在する暗黙知であり、適切な訳語がないため言葉だけがひとり歩きしてしまっている現状があるようだ。そこで、“ナラティブ”のニュアンスを正確に理解して、使えるようにすることが本セッションの目的である。
まずは遠藤氏が来場者に向かって、ナラティブのことを知っているかどうかを問いかけた。しかし、知らない人もかなりの数に上り、やはり国内での認知度はまだまだのようだ。ナラティブを直訳すると“物語”という意味になるのだが、ナラティブ=ストーリーという解釈でいいのだろうか。
続いて簗瀬氏は、「ゲームにストーリーは重要か」という設問を来場者に投げかける。結果は拮抗していたが、重要だと思う来場者が若干多かった。これを受けて、「このテーマは、日本に限らず議論されている」と前置きした後、もともとGDCには“ベストライティングアワード(ベスト脚本賞)”という賞があったが、2010年に廃止。代わりに、“ベストナラティブアワード”という賞ができた経緯を語った。しかし、海の向こうでもナラティブなゲームの定義がしっかりあるわけではないようだ。ここで簗瀬氏は具体例として、ナラティブだと言われているゲームとして、『風ノ旅ビト』と『FTL:Faster Than Light』をピックアップした。
『風ノ旅ビト』は、クロークをまとった“旅ビト”を操作し、謎を解きながら広大な砂の世界を冒険するPS3のダウンロード専売ゲーム。一見すると雰囲気ゲーに見えるが、やってみると深いゲーム体験が詰まっている。言葉は一切なく、キャラクターの素性もわからないままだが、旅をしたという感覚は強烈に残るという。
『FTL:Faster Than Light』は宇宙船の艦長となり、敵の攻撃から宇宙船を守りながら、目的地へ向かって宇宙を航行するシミュレーションゲーム。ランダムでさまざまなイベントが発生し、プレイヤーひとりひとりがまったく違う濃密な体験を得られるという。
国産のゲームとしては、ランダム生成されるダンジョンを探索する『風来のシレン』の名を挙げた。毎回マップやゲーム展開が変わるため、新鮮かつ緊張感のあるゲームプレイを味わえる。『風来のシレン』にはストーリーはあるものの、「ストーリー自体が濃密な体験ではない」と簗瀬氏。コントロールされたものではあるが、やはりランダム性が独特のゲーム体験に結びついているという。それでは、ランダムのイベントを乗り切ればナラティブであるのかと言えば、もちろんそうとは言い切れない。
簗瀬氏は「ダンジョンを潜って敵と戦うゲームなら、日本を代表するものがありますよね」と遠藤氏に問いかける。ここで出てきたゲームは、意外といえば意外なタイトル。言わずと知れた『ドラゴンクエスト』だ。(初期の)『ドラクエ』は「つぎに何をやれ、と言わない構造」が特徴で、たとえば隣街に行くための橋が壊れていたとしてもすべてを説明せず、“街がある”、“橋が壊れている”と別々の情報を与える。これによって、仮に過程と結果が同じだったとしても、プレイヤーは自分で考えて行動したと認識し、その体験は自分の物語になるというのだ。
そしてもうひとつ、『ドラクエ』ではやるべきことが複数あった場合、どれから実行してもいい仕組みになっている。簗瀬氏はこの仕組みのことを“『ドラクエ』方式”と呼んでいたとのこと。
しかし、GDC2013では『ウィッチャー』の開発者が、ナラティブなストーリーを作るための構造として、まさしく『ドラクエ』方式のことを“メルセデスメソッド”という名称で発表した。日本には、たとえば“ナラティブを作るための方法論”をきっちり考え、定義して、発表する文化がない。そこは反省点として捉えており、「今後は新しいものを考える人は、名前をつけて、定義して、CEDECみたいな場所で発表してほしい」と遠藤氏。このセッションはそういう提案の場でもあると述べた。
つぎに簗瀬氏は、人によってゲーム体験が変わる例として『ときめきメモリアル』をピックアップ。『ときメモ』は自分のパラメータをどう上げていくかで、起きることの順番が変わり、なぜその順番になったかは個々のユーザーの中で勝手に理由付けされる傾向があるのだという。ここで簗瀬氏は知人のケースを挙げ、成績のいいヒロインと親密になったら彼女の成績が下がったことがあり、氏の知人は自分のせいではないかと思い悩んだというエピソードを明かした。
その後も『パックマン』、遠藤雅伸氏が手掛けた『ゼビウス』、『ファイナルファンタジー』、『メタルギアソリッド』、『ひぐらしの泣く頃に』、『街』、『オホーツクに消ゆ』、『ワンダと巨像』、『ダークソウル』、『THOMAS WAS ALONE』など、じつにさまざまなタイトルを例に挙げた。オープンワールドや戦争ゲームなどの構造や世界観、『新世紀エヴァンゲリオン』などのアニメや『LOST』などのドラマについても言及した。
体験が経験になったとき、人はそれを“ナラティブ”と呼ぶ
こうして、さまざまなゲームタイトルを挙げて、濃密なゲーム体験ができた理由を確認していくうち、どうやら“ナラティブ”という得体の知れない魔物の正体がおぼろげが見え始めてきた。
簗瀬氏の見解では、ストーリーには明確な始まりと終わりがあり、終点と中継点が決まっている。つまり、何回なぞっても同じであり、誰がなぞっても同じものであるのがストーリー。
一方のナラティブには時系列は設定されておらず、ユーザー個人個人の経験や出来事を通じて語られる物語のこと。そして、作り手がコントロールしているかどうかに関わらず、受け手に意外性と偶発性を感じさせることが重要なポイントとなる。
続けて、ゲームは体験であるのに対し、ナラティブは経験であると述べる。ゲームの中での出来事ではなく、プレイヤー自身の経験になるものがナラティブなのだ。ナラティブという概念を簡単に定義できないのは、人間の頭の中にしか存在せず、結果からしか生まれないから。何をナラティブだと感じるかは、体験するユーザーのバックグラウンドや触れてきた文化によって変容するものだという考えかただ。
最後に簗瀬氏は、「(ナラティブを感じさせるには)プレイヤーの期待にちょうど答える量の情報を与えること」だと説く。だとすれば、最初に与えられた期待値が小さければ、ナラティブを感じる情報量も少なくてすむ。リソースに頼らないゲーム作りができるということで、とくにインディーズ開発者から注目を浴びている現状がある。
GDC2013ではナラティブサミットが開かれ、マイクロソフトにはすでにナラティブデザイナーという業種がある。先ほどのベストナラティブアワードも含めて、海の向こうでは聞いたこともない言葉で勝手に盛り上がっていて、何だか置いてきぼりにされているような感覚があった方もいたかもしれない。だが、このセッションを経て、いろいろなことが氷解したのではないだろうか。ナラティブの定義自体も人によってさまざまな解釈があるだろう。だがひとつ言えるのは、あなたがナラティブだと思ったのなら、それはあなたにとって真実なのだ。(text by バロンマサール)