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 先週サンフランシスコで行われたゲーム・デベロッパーズ・カンファレンス(GDC)2014から、独創的な一人称視点の探索ゲーム『Antichamber』の講演の模様をお届けする。

 講演を行ったのは、本作のクリエイターのアレクサンダー・ブルース氏。『Antichamber』は2013年1月31日に発売され、現在までに75万本以上(※)を売り上げている。 一般的には数億の収入を得て大成功と言えるだろう。
 だが質疑応答で成功の価値について聞かれたブルース氏は苦しげな表情で「わからない。預金残高は大して問題を解決してくれない」と吐露した。誰もが羨むはずの成功の裏に、いったいなにがあったのか?

(注:当初7万5000と書いていましたが誤りです。お詫びとともに訂正致します)

俺を他者と違うものにする要因は何だ?

 ブルース氏は、成功要因から“運”を除外する。それは、「運が良かった」は完全に理解できていない事象に大して使われがちだし、全力を尽くした上で手に入れられる成功が、「運が良ければより大きなものになる」という質のものだと考えているからだ。
 そして話したのは、自身の行動指標としている「What Makes Me Different?」(何が自分を他者と違うものにするのか?/何が違いを出すのか?)という問いにまつわる苦闘の日々。

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 舞台は2005年、メルボルンに住む無名の学生だった頃に遡る。「自分に突出した能力は何もなかった」とブルース氏。グラフィックに長けているわけでもなく、プログラミング技術が優れているわけでもない。
 それでも、人にはない部分はあった。それぞれが一番でなくとも、技術とクリエイティブ性と分析力をすべて備えた人材というのは、ほかにはいなかったからだ。これは、なんとかしてゲーム業界に入るための戦略だったそう。

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▲この時期の作品。マルチプレイを足そうとしたらプログラミング技術が足りなかったことや、基本システムの先のアイデアが思いつかなかったためにキャンセル。

 その後、見事にゲーム会社で働き始める。だが残念なことに、配属されたアンリアルエンジン3を使ったタイトルがキャンセルになり、インフラチームに転属に。ジュニアプログラマーとしての経験を積めたものの、頭にあったのは「どうやったらプログラマーとして他の人と肩を並べられるのか?」ということだったという。

 一方で、何ヶ月ものクランチ(追い込み時期)も経験し、オーストラリアのゲーム業界の景気が悪化した時期だったこともあって、モチベーションは下がり続けた。
 2008年、そんな時にブルース氏が惹かれたのが、インディーゲーム開発だ。インディーゲームへの注目は高まりつつあり、『Fez』、『Braid』、『World of Goo』といったタイトルが出てきている時期だ(『Fez』の製品版リリースは大分先のことだが)。

 中でもブルース氏がとくに惹かれたのが、Nuclear Monkey Softwareによる『Narbacular Drop』。このタイトルはGDCの一部として行われるインディーゲーム祭“Independent Games Festival”(IGF)の学生部門ほか、さまざまなメディアの賞を受賞し、開発チームは後にValveに雇われて、『Portal』に繋がっている。

 そしてブルース氏は、自作ゲームから『Portal』の大成功まで繋がった彼らと、パッとしない自分を比較してこう思ったのだという。
 「彼らと俺は何が違うんだ? 自分がああなるにはどうすればいいんだ?」
 彼らはインディーゲームのイベントに色々出ている。だから自分も出てみるしかない。出られそうなのはEpic Gamesが主催するアンリアルエンジンのコンテスト“Make Something Unreal”。これを目指して、他の人とは全然違うものを出して驚かしてやるんだ。

『Hazard: The Journey of Life』と、トーキョーを経て発見したこと

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 そうして昔作った『Dynamic Geometry』を土台に作り始めたのが、『Antichamber』の前身となる『Hazard: The Journey of Life』。自分の好奇心に従って変なことをやりまくり、独創的でサイケデリックなビジュアルと体験を作りこんでいく。

 もちろんこれも狙いで、ほかの作品も、市場に出ているアンリアルエンジンのタイトルも、“アンリアル的”なビジュアルを実現し、どこか似通っていたが、自分にはそれを超えるために必要な技術力も開発リソースもない。
 だからほかと並んだ時に目につくものにするには、アンリアル的ではないビジュアルに注力するのがベストだったのだ。

 2009年に取り掛かりはじめ、最終的にMake Something Unrealで最終ラウンドまで進むまでしばらく待たなければならないのだが、幸いにもブルース氏はその前に別の賞を手に入れることになる。東京ゲームショウの“センス・オブ・ワンダーナイト”(SOWN)だ。

 ある日SOWNを知ったブルース氏は、2008年のSOWNに出たイアン・ダラス氏の『The Unfinished Swan』(昨年のGDCでの講演の模様はこちら)と、『Hazard』を比較してみたのだという。アメリカの大学でゲーム作りを学んだ彼と、オーストラリアで大学生の自分は何が違うのか? あっちは面白いビジュアルを持つ探索と発見のゲームで、自分のもそうだ!

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 かくして提出された『Hazard』は、見事にSOWNに選ばれる。一度もオーストラリアを出たことがない、駆け出しのインディー学生が、東京行きの切符を手に入れたのだ。

 さらにこの実績が、インディーを取り巻くさまざまな人との繋がりを作っていく。例えば当時Epic Gamesの社長だったマイク・キャップス氏。
 TGS会場でセミナーを行っていた同氏に思い切って話しかけ、『アンリアルトーナメント3』のMOD(ユーザー作成の拡張プログラム)として『Hazard』を作っていることを説明した上で、なにかインディー向けのライセンスの解決方法はないか聞いてみたところ、返ってきたのは思わぬ答だった。当時まだ発表されていなかった学生向けのUnreal Development Kit(UDK)の存在を明かした上で、担当副社長のマーク・レイン氏に繋いでくれるというのだ。「それでキミの問題は解決だろう」。

 「俺はタダの学生で、彼は国際的企業の社長だぞ。話しかけようだなんてバカじゃないの?」とビビっていたのに。そうか、目の前の人も、かつて自分と同じような存在だったんだ。ブルース氏はこのことから、「行動を起こさなければ何も起きない。行動を起こせば(いいか悪いかはともかく)何かは起きる」ということを学んだという。

 SOWNではもうひとり、『Shadow Physics』を出展していたSteve Swink氏と知り合い、後に影響することを言われている。インディー開発者コミュニティに参加すべきだと薦められるも、アメリカ中心のシーンにリーチしにくいということもあって「いやー、ゲームエンジンとか書けるわけじゃないし」と言うブルース氏に対し、Swink氏は「GDCに行ってみんなと話してみるといい。きっとしっくり来るから」と説得したそうだ。

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 確かにフェスティバルに出れば、こうやってオーストラリアにいたら会えないいろんな人と会って、いろんな話を聞ける。
 その後『Hazard』は、オーストラリアで2回賞を取り、Make Something Unrealにも選出される(のちに2万5000ドルを獲得。ちなみにこの頃は、前述したゲーム業界でのインターン時に貯めたお金が7万ドルほどあったとのこと)。でも、IGFには選ばれない。

 そして考えてわかったのは、「ただ他と違う」だけじゃダメだということ。SOWNは2008年に始まったばかりの賞で、66本の応募に12本選出という状況だった。Make Something Unrealでは、他が“アンリアル的”なものを出している中、後に「キミが何がしたいかさっぱりわからなかったが、クールではあったから賞をやらねばと思った」と言われたほど「普通じゃない」から残れた。でもIGFには「他とは違うゲーム」ばかりが並んでいる。どうすれば埋もれないのか?

 そこで辿り着いたのが“Remarkable”(卓越している、並外れている)ということ。楽しいとか、革新的とか、完成度が高いとかより、まずはRemarkableという点で突き抜けて負けないこと。そう決めた時、「コレがインディーとしてのキャリアのはじまりだ」と思ったそうだ。

名刺交換だけじゃない、本当の人の繋がり

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 そして2010年、Make Something Unrealの賞金を得るとともに、UDKの商用利用も可能に。Epic Gamesの紹介で、ValveからSteamでの販売オファーもやってくる。IGFでは最終ノミネートに残れず優れた作品としての言及のみに留まったものの、GDCにも行けることになり、セッションを仕切っていたSteve Swink氏との関係で講演も行えることに。

 講演ではピンクのスーツを着て自分の変なゲーム『Hazard』について情熱的なスピーチをすることで“違い”を出そうとし、誤解されたこともあったそうだが、他人の失敗談から学ぼうと講演に出席し、名刺を配りまくる日々。そこでSwink氏が言っていたことを体感することになる。
 ある日、自分でいいのかとパーティーへの参加を渋っていた時、『Fez』のプロモーションをしているKokoromiのHeather Kelly氏から「“本物”になるまでは、“本物”のように振る舞うのも大事なのよ」と諭されたことや、IGFで勝てなかったことについて『n』シリーズのMetanet SoftwareのMare Sheppard氏に「気を落とさないで続けてね、審査員は毎年変わるんだから」と声をかけてもらったことなどを通じて、単なる名刺交換じゃなく、互いを気にかける本物の人間関係こそが、GDCにある本当のインディーシーンであることに気がつくのだ。

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E3での苦い経験、IndiecadeやDICEで得た先人からの助言

 その後、インディーゲームイベントIndiecadeの展示の一環としてE3に出展することにも成功。GDCでの(変な)講演の反響もあり、遊びに来た人も結構来て上々。しかし5分もすれば去ってしまう。これは改良が必要だ。このままではSteamで出しても埋もれてしまう……。以降は遊んでいる人を観察し、コンスタントにゲームを変えていくように心がけたとのこと。
 またE3での経験は、マーケティング的な観点から、どうやって自作をすばやく理解してもらうかを考える機会にもなったという。どう説明すればいいか、プレスにはどんな情報を渡せばいいか、トレイラーはどうあるべきか……。

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 問題こそあれど十分に快進撃といった感じだが、イベントに出しまくったために常時追い込み時期となり、精神的にも肉体的にも調子を崩し、さらにその遅れを間に合わせるために無理をして……という悪循環に突入してしまう。

 そしてブルース氏は、自分に再び「What Makes Me Different?」と問いかける。この場合は「なぜ自分だけがこうなるのか?」と言い換えられるかもしれない。単に自分のスキルが足りないのがいけないのか、それともこの仕事がかくもキツいものなのか? 
 「その答えを知るためにIndiecadeに行かなきゃいけなかった」(ブルース氏)。次のGDCまではまだ時間があるが、Indiecadeにもインディー開発者が集まる。助言も得られるはずだ。

 幸いなことにキツかった分だけ、プレイ時間は徐々に伸び、Indiecade前のGDC Onlineのフェスティバルでは勝てなかったものの20分は遊んでもらえるようになり、パブリッシャーからも『Hazard』を出したいというオファーがあった。これは助けになるかもしれない。楽になるならコンソール(家庭用ゲーム機)で出すのもいいんじゃないか?
 だがIndiecadeで『グーの惑星』のロン・カーネル氏から言われたのは、「パブリッシャーと組むのはやめときな。コンソールで出せることになったら僕がキミに資金出してもいいからさ」という言葉だった。
 一方で『Today I Die』のダニエル・ベンメルギー氏と話した際、リフレッシュするためにまた日本に行こうと思っていることを告白すると、「それもいいが、問題の解決ではない。キミはよくやっているが、もっとペースを落とさないと燃え尽きるだけだ」と諭される。

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 それでも、2011年になると、ソニーやマイクロソフトと、直接ダウンロード配信するために交渉を進めるようになり、プレスとも次第にいい関係が築けるようになってきた。
 「『コール オブ デューティ』を遊ぶ層にどうやって遊んでもらうの?」とか「うちの娘は『マインクラフト』が好きなんだけど、あのコがこのゲームを遊ぶ理由って何?」といった「うーん、そういうのじゃないんだけどな」という質問を受けるようになったが、DICE(ラスベガスで行われるゲーム関連のサミット)で『Limbo』のディノ・パティ氏に「僕らもリリースするまで同じような質問をされたものだ。キミはよくやってるよ。そのまま続けるんだ」と激励されたことで納得。
 逆に『Mark of the Ninja』などで知られるKlei Entertainmentのジェイミー・チェン氏から「自分が遊んだゲームプレイ体験とタイトル名から感じる印象が違うように思える」と言われたことが、後の改題へと繋がっていく。

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さらばコンソール、IGFでの受賞と新たな壁

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 そして迎えた2011年のIGF。「今年こそ」と思って臨むものの、ノミネート止まりで受賞はできず。ノミネートだけでメディアに紹介されるだろうとあまりメディアに連絡しなかったのも災いし、あまりカバーもされないという事態に陥る。
 だが賞レースでは辛酸を嘗めたものの、出展時は40分~90分遊んでもらえるようになっていた。悪くない数字だ。

 しかし当時、周囲の人に『グーの惑星』のような成功を収めたいと話すと、「それは大きすぎる野望じゃないか」と言われることにフラストレーションを感じていたそうだ。何が違うんだ、こんだけやってるのに!
 そして集中するために、『Braid』のジョナサン・ブロウ氏らにも言われたタイトルを、現在の『Antichamber』へと改題。さらに交渉に時間を取られていたコンソール対応を思い切って捨てる。「どっちも持ってないのに、俺は何をしてるんだ。そんなことやってる場合じゃないだろ!」

 そしてPAX(ペニー・アーケード・エクスポ)がやってくる。完全に『Fez』に持っていかれると予測し、賞には期待していなかったものの、複数のプレスからフェイバリットに選出される。期待が高まったのはいいことだ。だが、資金は尽きかけていた。最後の勝負はIGF 2012。それを目指したら後はリリースまで持っていくしかない。

 そして専門家と組んで新トレイラーを作ったり、プレスの手があいてそうな時に片っ端から送ったりしながら月日がまた過ぎ、ついに迎えた2012年のIGF。『Antichamber』はTechnical Excellence(技術賞)を受賞する。
 だがブルース氏の口から出たのは「まだゲームは完成していない」、「今までで最低の気分だ」、「これから何を目標に進めたらいいのか」、「目標を奪われた気分だ」といった言葉。
 「とても3年間狙っていた映えある賞を受賞した人間のセリフじゃない。精神が壊れかけている人間のセリフだね」(ブルース氏)。極度のプレッシャーに潰れかけていたのだ。

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 『Fez』の開発者フィル・フィッシュ氏らが出てくるドキュメンタリー『Indie Game: The Movie』で、皆が苦悩し、疲れ果てているのを見て、「ゲーム作りは楽しいはずなのにおかしい!」といった意見もあるなか、ほかの開発者もそうなのかと思い知らされたのと言う。

失敗への恐怖と、最後の瞬間のミス回避

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 こうして2012年は最高の瞬間を迎えながらも最低の時期となる。幸い、IGFでの受賞前にIndie Fund(インディーゲーム専門ファンド)と契約して資金は少しできたものの、成功した他のゲームに嫉妬するとともに、フェスティバルに一緒に出ていたタイトルがリリース後とくに騒がれずに消えていくのを見て「俺もそうなるんじゃないか?」と、開発しながら失敗に怯える日々。

 自分はどうしたらうまくやれるのか? そんなある日、100万人以上のファンを持つTotalBiscuitが「PAXで取り上げるタイトルはもう埋まってるから、見てもらいたいタイトルがあったらこちらの代理店まで」とツイートしているのに気がつく。これはチャンスだ。
 出来る限りの内容を用意して連絡すると、1回だけじゃなく、リリース時にも特集してくれるという話になる。うまくいった!
 だが、友人に「それはいいね、僕のゲームも発売日の彼の動画でかなり売り上げ上がったから」って言われて気がつく。今やってもらったら、出るときには忘れられてしまう。慌てて連絡を取ると、事情を理解してもらえて発売日まで放映を延期してくれることに。

 かくしてゲームはほぼ完成。Valveから11月14日か28日のリリースがいいのではないかと打診を貰う。だがどちらも『コール オブ デューティ』や『アサシン クリード』などの大作とかぶっている。ゲームの方向性はかなり違うが、これでいいのか?

 そこでまた先人の助言を仰ぐことに。『スキタイのムスメ』のジョナサン・ヴェラ氏は「1月末か2月の頭まで待つんだ。延期に怯えるより、(競合が少ない)いい時期にリリースする方が収益は増える」と語り、ロン・カーネル氏は「延期すれば(競合が減るだけでなく)最後のPRプランを練る時間も得られるぞ」とアドバイス。
 『Chip Chain』のアーロン・イサクセン氏も「キミはもう何年もこれを作ってきた。ボクが思うに、キミはみんながリリースに備えるための時間を与えたいんじゃないのかな?」と延期を支持し、『風ノ旅ビト』のケリー・サンチアゴ氏は「私たちも同じようなスケジュールだった。そうやってPRを練る時間を取ったことが本当に役立ったのよ」と後押し。

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そしてリリース――ゲーム作りはキツい

 PR計画を練り、ついにやってきた2013年1月末。発売日前日にトレイラーをリリースし、TotalBiscuitも動画を解禁。『マインクラフト』のNotchらインディーゲーム開発者がツイートで後押しし、盛り上げてくれる。
 そして発売とともに1時間Steamの1位に踊り出て、最初の24時間で2万5000本を販売。40以上のレビューで8点以上の高得点がつき、TotalBiscuitに続くようにYouTubeでの動画投稿も盛り上がる。ついにやり遂げた。

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 「この成功のどの部分も、偶然起こったものじゃない」とブルース氏は語る。「9年間決断し続け、7年間作り続けた結果の1日だ。それだけ見てもしょうがない」。
 TotalBiscuitにベストなタイミングで取り上げてもらったのも真剣に動いた結果だし、いい動画を撮影できたのだって、自分のゲームをいかに伝えるか考え続けてきたからだ、と。

 そして「人が何をしたかは大事じゃない。どうしてそうしたか理解するのが大事なんだ」と述べた。「俺は自らの身体も顧みず取り組んだ。失敗しなかったんじゃなく、手遅れになる前に学んだだけだ。それにイラストレーターや、ゲームを見てくれた何百という人たちがいなければできなかった」と続け、「ゲーム作りはキツい(Making games is Hard)。俺のことをどう思ってくれてもいいけど、この話が役に立ったら嬉しい。やめとこうって材料になったんだとしてもいい」と声を詰まらせながら締めくくると、満員の聴講者が拍手しながら立ち上がり、最後には会場全体がスタンディングオベーションに。

 記者がこの話をこれだけ長く書こうと思ったのは、「アメリカがいい」とか「頑張ったのが報われて良かったね」とかそういう簡単なことを言いたかったのではない。コミュニティの厚みにあらためて圧倒されたからだ。道理でIGFアワードの授賞式が謎の盛り上がりを見せるわけである。「俺達の仲間がまた一人成し遂げたぞ!」というノリなわけだから。
 欧米のインディー旋風の背景に、こういったコミュニティのバックアップがあることは想像に難くない。よくインディー系の講演で聞く言葉に「自分も前はそっち(聴講者側)に座ってた」というものがある。その裏には「だからキミもできるはずだ」という言葉が隠れているのだろう。
 きっとこの日、ブルース氏に拍手した人の中に、来年の、そして再来年のIGFで賞を取る開発者や、やがて何十万本、もしかしたら何百万本売ることになるチームがいるに違いないのだ。(文・取材・写真:ミル☆吉村)