3人のライターが感じた魅力とは?
2019年11月8日発売予定のプレイステーション4用ソフト『DEATH STRANDING(デス・ストランディング)』(PC版は2020年初夏発売予定)。小島秀夫監督が手掛ける最新作ということに加えて、オンラインでつながった世界中のプレイヤーと間接的に協力し合いながらクリアーを目指す新しいゲームシステムに大きな注目が集まっている。
そんな同作の序盤のレビューをお届けする。なお、今回のレビューは本作の多彩な楽しみかたを伝えるため、3人の編集者&ライターが体験した出来事を中心にご紹介。ゲームの基本的なシステムについては、以下の関連記事や動画をチェックしてほしい。
なお、記事の最後にプレイ動画を掲載している。レビューの内容を凝縮した動画なので、ぜひレビュー→動画の順番でチェックしてほしい。
配達症候群編集者・河合ログの場合
僕は配達の際、つい脇道に逸れて探索をしてしまう。配達の途中に配達人の手から離れた落とし物を探すためだ。
フィールドには、ほかの配達人が落とした配達物や、道具が落ちていることがあるのだが、僕はそれらを半ば無意識で拾ってしまう。目的の配達物だけでも十分に重いのに、さらに落し物まで拾うものだから、僕が操作するサムは、走るだけでフラフラだ。
そのぶんのタイムロスが響いているのか、配達完了時は、速さの項目が評価されない。リザルト画面に表示される☆は、いつまでもバランスが悪いままだ。
それでも、落し物を無事に届けて、感謝の言葉をもらったときには、すべての苦労が報われたような気持ちだ。
ただ、ふだんの僕自身は、到底親切とは言えないような人間だ。しかし、本作のストーリーを進め、荷物を届けたときの依頼人の喜びの声を聞いていくうちに、落し物を本来の持ち主に届けてあげたい気持ちが湧きあがってきたのだ。
本作では、ストーリーで運ぶ配達物だけでなく、落し物にもドラマがある(と思っている)。配達の途中で何らかの理由により荷物を落としてしまった配達人はさぞ無念だろうし、それを依頼した人は、きっと荷物の到着を待っているに違いない。
そうして落し物に思いをはせては、バックストーリーを勝手に妄想し、目標の配達をそっちのけで、落し物を拾い集める。そうしなければ、落し物は時雨にさらされて劣化し、土に還ってしまうのだ。僕が、到着を待っている依頼人に届けなければ。謎の使命感に突き動かされて、せっせと荷物を運ぶ。
ちなみに、落し物の配達は、落し物を拠点に納品することで、ほかの誰かに任せることもできる。この『DEATH STRANDING』の世界はつながっているのだ。もし、この文章を読んでいるあなたが、本作の発売後、落し物を運ぶことに途中で疲れたら、その落とし物を拠点に納品してください。僕が運びます。
冒険家および荷物配送/ライター兼業・ロウェル菊池の場合
遊びは手間がかかる。手間は好きだ。成し遂げたことに深みを与えてくれる。だから、私は荷物の配達時には目的地までなるべく直線に進むことを意識した。少し遠回りすれば、岸や緩やかな坂がある。ソーシャル・ストランド・システムによって共有された、誰かが架けた橋もある。だが、それではつまらない。誰もが避け、通らないような場所を通りたい。道を辿るのではなく、作りたいのだ。
目的地への最短距離を取ろうとすると、道中には、断崖や、崖としか思えないほど勾配が急な坂があることが多い。深い川もある。
そんなときは、ロープを2本使って40~50メートルはある高さを降り、バランスを崩して転ばぬよう、重心に注意を払って濡れた岩場を歩き、梯子を橋代わりに深い渓谷を渡る。そしてついに目的地にたどり着き、荷物を届ける。ちょっとした冒険だ。
メインストーリーと関係ない配達依頼は、おそらく数百以上ある。カイラル通信をつないだシティや“プレッパーズ”(各地に建てたシェルターに住んでいる人)の端末から受注できるため、納品したさきの施設で別の依頼を即座に受けてもいい。
また、道中では自分が設置した梯子やロープの近くに看板を立てるようにした。険しい道を突き進む物好きの、せめて少しでも助けになるように。そうして物語を進めていると、たまに通知が入り、“いいね”をもらったことがわかる。仲間がいたこと、褒められたことがうれしく、自分の設置物と、その近くに再び看板を立てる。そして、また評価される。設置物の共有ではなく、プレイヤーどうしの助け合いと賞賛の循環が、ソーシャル・ストランド・システムの真髄なのかもしれない。
拘りの影響か、“ミュール”の縄張りや、“時雨エリア”(時雨が降っている場所。BTが出現する)を通ることも多かった。“対消滅”(ヴォイド・アウト)は、BTに倒されてしまうことでによって引き起こされる。BTは死体に寄ってくるため、ミュールもそれを恐れてか、殺傷武器を使ってこない。サムはあくまで配達人であるため戦闘能力はないが、ひとりずつ相手にすれば、一帯の全員を無力化することもできた。
しかし、BTは別だ。彼らは、時雨が降る場所ならどこにでも際限なく現れる。音や呼吸でサムの居場所を探る“ゲイザー”、ゲイザーが発見したサムをタールのような沼に引きずり込もうとする“ハンター”、引きずり込まれたさきに出てくる“キャッチャー”がいるのだが、ゲイザーは、対BTセンサーであるオドラデクの動きにさえ気を配っていれば、見つかることはあまりない。
座礁地帯をバイク(リバース・トライク)に乗って全速力で突破しようとしたところ、これがうまくいく。「これは大発見だ」と思ったが、障害物が多いとバイクが失速したり、ゲイザーと接触したりする可能性もあるため、かなり危ない。私はこの手を試すこと4回目で、ゲイザーと衝突した。
キャッチャーとの戦闘は、それなりに準備が必要だ。物語が進むにつれ、サムの血液を武器に転用した血液グレネードやチャージ式対BTハンドガンなどが登場するのだが、キャッチャー自体の体力が多く、長期戦になりやすい。
装備の消耗も激しく、戦っているあいだも時雨は降り続けているため、キャッチャーを倒せても、野晒しの荷物は劣化しきっている。
要は、デメリットのほうが大きい(ただし、キャッチャー撃破の報酬として、各種装備の開発などに必要なカイラル結晶が大量に手に入る)。ちなみに、キャッチャーと遭遇しても、一定の範囲内から外に出れば戦闘を回避できる。
このように、難所を構わず進み、迫る敵には一歩も退かぬ精神のせいで、私が動かすサムの配達は、山あり谷あり、ミュール&BTとバトル満載の大冒険で、休憩が欠かせないのである。プライベート・ルームのシャワー室でサムが済ませたおしっこから何色のEXグレネードが作成されるのか、いつも申し訳ない気持ちで見ている。
本作は、なにかを、誰かに配達することを軸に据えたゲームだ。ふつうのゲームでは目的のための手段として用意されるようなサブクエストこそが、本作の目的なのだ。食料や薬品、化粧品に、核爆弾、ビールなど、サムは多くの荷物を背負う。そして、広大な北米大陸をひとりで横断する。道中には、ミュールやBTが立ちはだかる。険しく、辛い。
だが、ソーシャル・ストランド・システムによって、つながった世界中のプレイヤーと助け合うことはできる。なにより、脅威に怯えて籠もった人たちは荷物を受け取り、サムとプレイヤーに感謝してくれる。そして、その意味が少しでも深くなるように、私はサムとともに危険な道を拓き、後続を導き、人々に感謝され、達成感に浸る。私の世界のサムは、ポーターであり、アドベンチャラーなのかもしれない。
配達人兼インフラ整備士兼編集者・北埜トゥーンの場合
ストーリーが進行するメインミッション以外のサブミッションも全部クリアーしたくなる性格の自分にとって、限られた時間で遊び尽くすには効率よく配達を行うことが重要だった(なお、記事執筆時点ではエンディングまでたどり着いたものの、すべてのサブミッションはクリアーできていない)。
しかし、第2章ではバッテリーが切れた状態のリバース・トライク(バイク)を発見したものの、そのときはまだ発電機を建設できず、放置して徒歩で配達を続けているうちに存在を忘れてしまい、かなり後になってから思い出して後悔するというような出来事があった。
そんな後悔は二度としないと心に誓いながら、物語を第3章まで進めてみたところ国道が復旧(建設)できるようになった。国道を復旧すれば、平坦でバランスを崩しにくい安定した道ができるほか、道路の中央を通ると車両やスケルトンと呼ばれる外部骨格などのバッテリーも減らなくなり、配達の効率が一気に上昇する。だが、当然ながら国道の復旧には大量の素材が必要になる……。
ゲーム序盤は装備品などがまだ揃っておらず、一度に持ち運べる荷物の量も限られるので、素材集めの効率があまりよくない。そのため、国道の復旧は後回しにするべきかと悩んだが、試しにひとつだけ復旧してみたところ非常に便利そうだったので、配達を中断して、国道の整備を優先することにした。
苦労しながらも3つほど国道を復旧したとき、ふとほかの編集者の画面を見てみると、ほとんどの国道が復旧されていた。そこで「そんなにも復旧するのはたいへんじゃなかったですか?」と自分が尋ねると、「ひとつだけ復旧したら、残りはほかのサム(オンラインでつながったほかのプレイヤー)が復旧してくれた」と予想外の回答が返ってきた。
しかし、自分の世界は何度確認してみても、みずから素材を運んだところ以外はほとんど復旧されていない(もちろん、国道周辺のカイラル通信をつないで、ほかのプレイヤーと共有される条件は整っていたはず)。「なんで、自分の世界では、あまり国道が復旧されないんだ?」と少し不満を抱きつつも、諦めてそのまま国道を復旧し続けていた。そんなあるとき……いままでもらったことのないほどの大量の"いいね"が届いて驚いた。
その瞬間に、小島監督が本誌のインタビュー対して、「間接的なコミュニケーションをいま皆さんに与えることで、思いやりが出てくる」と語っていたことを思い出して、その意味を改めて理解できた気がした。
もともとは他人のことをまったく意識せず、自分が効率よく荷物を運ぶことだけを考えて復旧し続けていた国道を、ほかの人も利用していて、しかも喜んでくれていることを“いいね”を通じて知ったとき「こんな自分でも誰かの役に立てているんだ」と純粋にうれしかった。
それからも、引き続き国道の整備を積極的に続けているし、梯子やロープなどを使用する際にも、「ここにあると、自分以外に使う人たちも便利かな?」と他人をつねに意識するようにしている。ゲームでこんな素敵な体験をしたのは初めてで、ぜひ多くの人に体感してほしい!
いかがだっただろうか。同じゲームを遊んでいたはずなのに、人によって違った楽しみかたや体験をしたことが少しでも伝わっていたら幸いだ。
そして、最後にレビューの内容を凝縮したプレイ動画をお届け。こちらもぜひ視聴してほしい。