サイゲームスより配信中のiOS、Android、PC(DMM GAMES)対応ゲーム『ウマ娘 プリティーダービー』で、2023年2月13日に新たな育成ウマ娘“星3[Wicked Punk]シンコウウインディ”が実装された。その能力や、ゲームの元ネタとなった競走馬としてのエピソードを紹介する。

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『ウマ娘』のシンコウウインディ

公式プロフィール

  • 声:高田憂希
  • 誕生日:4月14日
  • 身長:152センチ
  • 体重:増減なし
  • スリーサイズ:B77、W57、H88

噛み癖のある狼……ではなくウマ娘。イタズラ好きでヤンチャで、常に誰かに気にかけてもらわないと気が済まない。噛みつくのはかまってほしいアピールなのだが、本人に全くその自覚はなく、ワイルド気取りである。
いつも「のだ!」「なのだ!」口調で話す。

出典:『ウマ娘』公式サイトより引用

【ウマ娘・元ネタ解説】シンコウウインディは本当にレース中に噛みついていた! 劇的すぎる重賞勝利歴を始めとする史実エピソードや、ゲームの元ネタを紹介

シンコウウインディの人となり

 美浦寮所属の、ヤンチャでかまってちゃんなウマ娘。じつは高等部。

 夜は部屋にルームメイトがいないと寝付けないほどの寂しがり屋で、どうにかしてかまってもらおうと噛みついてきたり、あの手この手でイタズラを仕掛けてきたりする。ただし本人には寂しがり屋という自覚はないようで……。

 『ウマ娘』では“シンコウウインディ=噛みつき癖”というイメージがあるが、じつはモデル馬のウインディ自身が数々の噛みつき事件を起こしてきたことが由来だったりする。それも日常生活や調教中だけでなく、レース中にも何度もやらかしていた。あの“破壊王”タニノギムレットだってレース中に他馬に噛みつくなんてことはなかった。ウインディはそれほどの馬だったのである。

 『うまよん』ではビコーペガサスと仲よしで、彼女に合わせて特撮ヒーロー作品“キャロットマン”を観たり、いっしょにヒーローごっこをしたりしている。また、キャロットマンと女児向けアニメ“プリファイ”のオールスター映画を鑑賞する際は、ビコーペガサスに加えプリファイ好きのカワカミプリンセスも同席していた。

 美浦寮長であるヒシアマゾンや、モデル馬が一度だけ対戦したことがある(1999年安田記念)シーキングザパールなどとの絡みもあり、その関係性はこれまで『ウマ娘』のゲーム内や『うまよん』で描かれている。

【ウマ娘・元ネタ解説】シンコウウインディは本当にレース中に噛みついていた! 劇的すぎる重賞勝利歴を始めとする史実エピソードや、ゲームの元ネタを紹介

 そのひとつとして、『うまよん』ではヒシアマゾンによりイタズラの罰としてアグネスデジタルに噛まれる刑に処されかけるエピソードが描かれている。「じゅるりら☆」と舌なめずりするデジたんに恐怖を覚えたのか、「噛んでごめんなさいなのだ」と信じられないくらい素直に謝るウインディの姿が見られる貴重なワンシーンだった。なお、デジタルとはモデル馬がともにフェブラリーステークス勝ち馬という共通点がある。

 モデル馬関連では、じつはエアグルーヴと同い年だったりするのだが、路線がまるで異なっていたせいか対戦経験もなく、今回の育成ウマ娘実装までは交流も描かれていない。

競走馬のシンコウウインディ

シンコウウインディの生い立ち

 1993年4月14日、北海道浦河町の酒井源市牧場で生まれる。

 「たまたまシンジケートの会員だったから」という軽い理由で、新種牡馬だったデュラブの種を付けて生まれてきたウインディ。美しい栗毛で脚も長く、とても見栄えがする馬体だったが、幼少のころからすでにイタズラ好きで、よく人間やほかの子馬に噛みつこうとする悪癖を覗かせていたらしい。

 その後もすくすくと成長したウインディは、1歳の夏に“北海道7月特別市場”というセリにかけられることとなった。そこで「血統にとらわれず馬体を見て決めよう」と参加していたオーナーと田中清隆調教師に見初められ、競り落とされた。お台は700万円からスタートし落札価格は890万円(※)。サラブレッドとしては決して安くはないが、地方ではなく中央競馬入りするなかではかなり低い評価であった。

※ちなみにこの日の最高額は1億100万円で落札された、父ダンシングブレーヴ、母マックスビューティの牡馬。最初“チョウカイテイオー”として馬名登録をするも“有名馬(トウカイテイオー)と紛らわしい名前”として却下され、チョウカイライジンとしてデビューし、36戦8勝(重賞は未勝利)、総獲得賞金約1億7000万円という戦績を残している。

 こうしてオーナーも決まり、デビューに向けてトレーニングを開始することになったウインディだったが、ヤンチャな性格だったうえに走っていてもすぐ気まぐれを起こしてサボる悪癖があった。そのため、勝負になるくらいまで仕上げるのがとてもたいへんだったようだ。とにかく集中力が持続しないので、せっかくの才能も持て余し気味になっていたのである。

 スターティングゲートの中でスタートを待つあいだ、よく穴を掘っていたというエピソードがあり、『ウマ娘』の作中でもその姿が描かれているが、それも気まぐれな性格の表れだったのだろう。

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シンコウウインディの血統

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 父はデュラブ。世界的種牡馬ノーザンダンサーの孫にあたり、現役時代はイギリスを中心に芝の短距離路線で活躍。2歳、3歳時に12戦して4勝、重賞2勝(GIは未勝利)という成績を残した。引退後はアイルランドで種牡馬となるが、鳴かず飛ばずで見切りをつけられて1991年に日本へと輸入されることとなる。ウインディは彼の日本での初年度産駒である。

 一方、母ローズコマンダーは現役時代に芝、ダートの短距離で2勝、障害競走で3勝を挙げた素質馬だったが、繁殖入り後はまったく活躍馬を出せずにいた。ウインディは12番目の仔であったが、2勝以上したのは彼だけであり、そもそも勝ち馬自体、彼が2頭目だった。

 そんな両親だけに、ウインディは血統的にはまったく期待されていなかった。彼がセリで購入されたのも、馬体のよさがきっかけである。そして、ウインディは芝でも短距離でもなく、ダートのマイル~中距離で頭角を現していった。

 じつはデュラブ自身は“早熟の芝短距離馬”であり、日本に輸入された際もそういった評価に留まっていたが、その父トップサイダーは短~中距離で芝、ダート問わず活躍馬を多く輩出した名種牡馬であった。その仔の1頭として、日本で種牡馬として活躍したアサティスがいる。彼は芝レースでしか走っていないが、産駒はダートで良績を残している。

 そして、デュラブも自身は芝馬でありながら、日本のダートへの適性がある馬だった。ウインディは父のその隠れた素質を受け継いでいたのである。ウインディの後も、ジャパンダートダービーやかしわ記念を制したトーシンブリザードなど、地方のダートを中心に活躍馬を輩出した。

 ウインディの素質は父譲りのものだったようだが、気性の荒さも受け継いでしまった。それどころか、ヤンチャな部分はよりパワーアップしてしまっていたようである。もっとも、引退後は甘噛みする程度になってだいぶおとなしくなったようなので、現役時の噛み癖は単純に子どもっぽさが抜けきらなかっただけなのかもしれないが……。

シンコウウインディの現役時代

※記事中では、年齢は現在の基準に合わせたもの、レース名は当時の名前をそれぞれ表記しています。

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3歳(クラシック級:1996年)

 セリのあと、牧場にて育成されていたウインディだったが、気性面がなかなか成長してくれず「まだ馬が自分で走る気を出していない」と判断され入厩は先送りとなっていた。ようやく美浦の田中清隆厩舎に入厩し、デビューを迎えたのは年が明けて3歳になってからである。

 1月5日、東京競馬場での年明け最初の開催日。その第2レースである新馬戦ダート1200メートルでウインディは初陣に臨んだ。鞍上は数々の栄光を手にしてきた岡部幸雄騎手。3番人気と、デビュー前の評価からするとそこそこの支持を集めたウインディは、好位からスルっと抜け出して鮮やかなデビュー勝ちを決める。

 順調な滑り出しだったが、その後ソエ(骨膜炎)が悪化したために、クラシックを目指さずにゆったりとしたローテーションを組むこととなる。

 休養が明け、ウインディはふきのとう特別(1勝クラス)、こけもも賞(同)、ほうせんか賞(同)と、芝の中距離を主戦場とする。しかし、掲示板(5着以内)には食い込むものの、なかなか勝ちきれない。いずれのレースでも、瞬発力……つまり“決め手”を欠いていたことが原因だった。

 そこで陣営は再びダート路線に舵を切る。5戦目に選ばれたのはダート1800メートルのあさがお賞。鞍上はデビュー戦以来の岡部騎手である。すると、それまでの苦戦がウソのように好位からあっさり抜け出して楽勝し、2勝目を挙げることとなった。

 かくしてダート馬として才能を開花させたウインディは、新たに田中勝春騎手とタッグを組んであさがお賞と同じコースの館山特別(2勝クラス)へと向かったのである。そして、事件は起こった。

 ここでも好位3番手からレースを進め、最後の直線でスッと抜け出した1番人気のウインディ。絶好の勝ちパターンであったが、ゴール直前でインコースから2番人気のダイワオーシャンが迫ってきた。すると、ウインディは急に首を右にひねり、ダイワオーシャンに噛みつこうとしたのだ。実際に噛みつけたのかどうかはわからないが、ウインディはそれが原因で失速してしまい、クビ差負けて2着に……。真っ直ぐ走っていれば勝てていたレースだが、とんでもないやらかしで勝ちを逃してしまう結果となった。

 前代未聞の珍事であるが、この事件によって条件馬シンコウウインディの名前は一躍全国区となった。そしてウインディは、ダートの頂点を目指して格上挑戦を始めるのだった。

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 この年は、中央、地方でダート路線の整備が行われた初年度となっており、中央ではGIIIユニコーンステークスが、地方では大井競馬場でスーパーダートダービー(2001年まで開催、1997年からは統一GII)がそれぞれ創設され、さらに水沢競馬場から盛岡競馬場に場所を移したダービーグランプリ(1997年から統一GI、2007年に岩手所属馬限定レースとしたうえで施行後いったん休止され、2010年から地方限定レースとして復活)と合わせて“4歳ダート三冠シリーズ”が始まった。

 ちなみに、1996年のみスーパーダートダービーもダービーグランプリもただの“重賞”扱いだったのだが、翌1997年より“統一グレード制”が始まって地方の交流重賞にもグレード制の格付けがなされるようになった。残念ながら諸事情によりこのダート三冠シリーズは数年しか続かなかったが、翌年からのフェブラリーステークスのGI昇格など、ダート路線の改革はこの後も続いていく。

 ウインディは岡部騎手に鞍上を託し、このダート三冠シリーズすべてに参戦。その初戦である第1回ユニコーンステークス(2000年まで秋開催)に優勝する。じつはこのレース、1着に入線した1番人気のバトルラインが斜行で10着に降着となって、3馬身も離されてしまった2着入線のウインディに勝利が舞い込んできたのである。

 思わぬ形で初の重賞勝利が転がり込んできて、秋以降の展望が一気にラクになったウインディは、そのままスーパーダートダービーへと歩を進める。このレースには、春に皐月賞を勝ったGI馬イシノサンデーと京都4歳特別(現在の京都新聞杯の前身的レース)勝利馬ザフォリアという2頭の重賞馬が出走していたが、ダートではウインディのほうが実力は一枚上手だった。最後の直線で2頭の前に出て、あとは先頭の地方馬サンライフテイオーを捕らえるだけ……。

 しかし、またしてもアレが出た。サンライフテイオーに並びかけた瞬間、その脇腹を“ガブリ”と狙いにいったのである。なぜだ、なぜなのだ。名手・岡部騎手をもってしてもその闘志はコントロールできるものではなかった。降着にこそならなかったが、これで失速したウインディはサンライフテイオーをかわせずに2着に終わる。

 この不安定な精神面はレース外でも影響が出てしまい、続くダービーグランプリでは長距離輸送のせいで食欲が落ち、他馬に噛みつく元気もなく3着に終わってしまう。なお、1着は前走では破ったイシノサンデーだった。

4歳(シニア級:1997年)

 年明け初戦は京都競馬場に遠征、平安ステークスに出走することとなった。そしてこのレースから“ブリンカー”を着用することに。ブリンカーは、わざと視界を狭くしてレースに集中させる効果がある矯正馬具なのだが、これがウインディにはハマった。

 最後の直線、ウインディは脇目も振らず一直線にゴールを目指す。その姿に、競馬ファンたちは驚きを隠せない。今度こそ、棚ぼたではない1着である。

 しかし、ウインディはやはり何かを“持って”いる馬だった。なんと、並んでゴールしたトーヨーシアトルも、写真判定の結果1着に。当時、重賞では9年ぶりとなる同着優勝となったのである。GIこそ未勝利ながら、話題には事欠かない。それがウインディだった。

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 同着ということで賞金はやや少なくなった(1着と2着の賞金を足して2で割った額に)ものの、ウインディはついに初のGI挑戦権をゲットする。迎えるのは、この年からGIに昇格し、ダート路線では国内初のGIとなったフェブラリーステークスだ。そのGIとしての記念すべき第1回(レースとしては第14回)には、国内の有力なライバルたちもこぞって名を連ねていた。その中にはビコーペガサスの名前も……。

 そんな中、ウインディは6番人気となるが、前走で同着だったトーヨーシアトルは3番人気、同じく3着とウインディに敗れたはずのバトルラインは2番人気と、いずれもウインディよりだいぶ高く評価されている。いったいなぜ……?

 レース直前の追い切りの時計が悪かったことが低評価の理由と推測されている。「そんなに調子が悪いなら……」とファンも考えたのだろう。しかし、なぜ時計が悪かったのか。その理由を知っていれば、そこまで低評価にはならなかったはずだ。

 じつは、追い切りの前に興奮して、併走馬の首に“ガブリ”と噛みついていたのである。そのまま行われた追い切りでは、まだ興奮冷めやらずでまともに走ってくれなかった、というのが遅くなった原因だったようなのだ。

 レースはドロドロの不良馬場となり、パワーと根性の勝負となった。じつはウインディ、重馬場は得意のようで、“ガブリ”をやらかした館山特別や、スーパーダートダービーという、本来勝っていたはずの2レースも重馬場だった。このレースでも、地面がほとんど見えないくらいの水たまりコースながら、まったく苦にせずいつものポジションに収まる。

 岡部騎手に導かれたウインディは、そのまま5番手の好位からレースを進め、最終コーナーではムリに外へ出さず最内に潜り込み、泥を被るリスクを負いながらも最短コースでの勝負に懸ける。

 果たして、大外に回った有力馬たちはロスが大きくまったく伸びない。そしてウインディはバトルラインを競り落とし、残る1番人気のストーンステッパーとの一騎討ちに持ち込む。岡部騎手をして「またやるかとヒヤヒヤした」と言わせるほどのすさまじい闘志で突き進んでいったウインディがクビ差前に出たところでゴール。ついにGI馬の仲間入りを果たした。

 その後、2ヵ月ほどの休養を挟んで5月のアンタレスステークスで復帰。しかし、トップハンデの58.5キロがこたえたのか、見せ場も作れずに5着に敗れる。さらに6月の帝王賞でもまったくいいところがなく7着に沈んでしまう。

 しかも、帝王賞の後には脚部不安が発見されて長期休養を余儀なくされる。そして症状は思ったよりも長引き、けっきょく約2年も離脱することになってしまうのだった。

6歳(シニア級:1999年)

 6月の安田記念で約2年ぶりの復帰を果たしたウインディだが、最低人気となる14番人気でブービーの13着と惨敗を喫する。さらに、レースの格を落として灘ステークスと関越ステークスで再起を図るも5着、6着と連敗。ならばと地方交流重賞に転じ、船橋の日本テレビ盃に出走するも、地方勢2頭にも敗れて4着。さらにその後再び脚部不安を発症したため、実績と将来を考えてここで引退することとなった。

 通算成績は17戦5勝、重賞3勝(GI1勝)、通算獲得賞金は約2億2千万円。890万円で購入されたことを考えると、かなりの馬主孝行である。

 数字的には伝説クラスとはさすがに言えないが、2度にわたるレース中の噛みつき(未遂?)や、降着での勝利や同着優勝、第1回ユニコーンステークスやGIとしては第1回のフェブラリーステークスに勝つ“初物”への強さなど、とにかく印象に残ることばかりする馬だった。

引退後のシンコウウインディ

 引退を決めた翌年、2000年より門別町のシンコウファームで種牡馬入りしたが、20頭ほど生まれた産駒は中央競馬では未勝利のまま、2006年で種牡馬を引退、その後は日高町のダーレージャパンスタリオンコンプレックスにて、功労馬兼アテ馬(種付けに来た牝馬の試情役)として余生を過ごしている。

 激しい気性はだいぶ丸くなり、噛みつくこともほとんどなくなってたまに甘噛みする程度になったようだ。やっとオトナになったということだろう。今年30歳で、『ウマ娘』に登場するモデル馬ではナイスネイチャ(35歳)、ウイニングチケット(32歳)に次ぐ年長者。まだまだ元気にがんばってほしいものである。

【ウマ娘・元ネタ解説】シンコウウインディは本当にレース中に噛みついていた! 劇的すぎる重賞勝利歴を始めとする史実エピソードや、ゲームの元ネタを紹介