2024年4月12日よりAmazon Primeビデオで配信予定の『フォールアウト』は、ベセスダ・ソフトワークスの同名RPGシリーズを原作とする連続ドラマ。ロサンゼルスで今月行われたゲーム賞“The Game Awards”では、ゲーム原作の映像作品を表彰する“Best Adaptation”部門のプレゼンターとしてメインキャストの3人が登場した。
本誌では、The Game Awardsでの登壇直前に限定したプレスに対して行われた合同インタビューに参加。ウォルトン・ゴギンズ(ヘイトフル・エイトほか)、エラ・パーネル(アーミー・オブ・ザ・デッドほか)、アーロン・モーテン(Disjointedほか)に本作への意気込みや役へのアプローチについて聞いた。
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ウォルトン・ゴギンズ
『ザ・シールド ルール無用の警察バッジ』や『JUSTIFIED 俺の正義』などのドラマでスターとなり、映画でも『ジャンゴ 繋がれざる者』や『ヘイトフル・エイト』など近年のタランティーノ映画では欠かせない存在に。今作ではグールの賞金稼ぎを演じる。
エラ・パーネル
Netflix映画『アーミー・オブ・ザ・デッド』では主人公スコットの娘ケイトを演じた。本作では特殊核シェルター“Vault”から外界に飛び出て冒険する“ルーシー”を演じる。
アーロン・モーテン
連続ドラマ『Disjointed』や『モーツァルト・イン・ザ・ジャングル』などで知られる。本作ではブラザーフッド・オブ・スティール所属の“マキシマス”を演じる。
ゲーム配信などもチェックしつつ役作り
――このシリーズのことをどれぐらい知っていましたか? プレイヤーだったかもしれないし、家族がやっていたかもしれません、あるいはスーパーミュータントの友達がいたかも。そういった中でどう役にアプローチしたか知りたいんです。
ウォルトン・ゴギンズ スーパーミュータントの友達がいるぜ!(※冗談)はは、実際遊んだことはなかったけど、ちょっと耳にしたことがあるというぐらいだったな。でも自分には13才の子供がいるんだけど、彼はめちゃくちゃベセスダのゲームのファンなんだ。スカイリムとかね。
それで話が来てちょっと脚本も読んで、どう自分がこの物語に貢献できるのかを考えた。それで感じたのが、自分なら“外側”からの立会人として関われるということだったんだ。これは非常に大きく重要なゲームだからこそ、(逆に自分なら)その伝説にむやみに縛られずに物語に正面から向き合えるんじゃないかってね。
息子はゲームをプレイし始めたんだけども、自分としてはこの関わり方で行こうと考えている。ふたりはどうかな?
エラ・パーネル私は3人の弟がゲーム好きですね。実際にプレイしたことはなくて、お話が来た時にやろうとしてみたんですがあまりうまくなくて(苦笑)。
その代わりにフォールアウトの世界やVault Dweller(Vault居住者)やVault-Tecについては自分で下調べをしたので、それで他の人のプレイをかなり見ることになりましたね。このやり方は下手でもどういう世界なのか経験できたので自分にとってはよかったです。
アーロン・モーテン自分も似たような感じかな。僕はゲーマーで、テレビや映画からちょっと離れる手段として楽しんでるんだ。それら(映像作品)は自分の仕事だから、単に視聴する時もなかなか頭が休まらないんだよね。
それでフォールアウトはプレイしていなかったんだけど、Twitchの配信なんかをいろいろ見たよ。でもこのタイミングではあえてプレイしないようにしているという所もある。僕らの仕事は3人のそれぞれのキャラクターに人間味を吹き込むことであって、同じクリーチャー相手に死にまくってコントローラーをぶん投げた経験を活かすことではないからね(笑)。
ウォルトン・ゴギンズそうだね。ライター陣がその分しっかりやってるというのもある。ジェームス・アルトマン(ベセスダ側のエグゼクティブプロデューサーのひとり)は『フォールアウト3』から遊んでたっていうし、グレアム・ワグナー(脚本家・エグゼクティブプロデューサー)なんかも10年ぐらいずっとやってたって言うしな。
アーロン・モーテン原作に対してこれだけ忠実な作品に関われるのは素晴らしいですね。
――ポストアポカリプス(終末的世界)を扱った作品は多いですけども、フォールアウトはゲーマーの心の特別な位置を占めていると思います。俳優としてこのフォールアウトのドラマシリーズが他のポストアポカリプス作品と異なる部分はどのように見ていますか?
ウォルトン・ゴギンズ自分にとってはコメディだね。風刺であり破壊的なユーモアがある。それが特徴的と言えるんじゃないかな。他よりいいとか悪いとかではなくて、プレイヤーのための体験のDNAにそう刻まれている。
ジェニーヴァ(・ロバートソン=ドウォレット)、グレアム、リサ(・ジョイ)、ジョナサン・ノーランら(※いずれも脚本も担当するエグゼクティブ・プロデューサー)が書いたものもそれに沿っている。セリフだけでなくビジュアル的にもそれを具現化しているんだ。
――トッド・ハワード氏(ゲーム側のディレクター)の関与はどういったものでしたか? ゲームについて話したりしたのか、それともセットにいて監修するだけなのか、どんな関係でしたか?
エラ・パーネルどちらかと言うとジョナサンやグレアムなど制作の人たちとやり取りしていたと思います。セットにはよく来ていましたが、撮影現場で直接やり取りすることはあまりありませんでしたね。
アーロンが先程言ったように、ゲームやその世界についてたくさんリサーチしようと考えましたけども、キャラクターそのものはこの作品固有のものですから。私が「地下施設でずっと暮らしてきた人が初めて地表に出た時の心境」に入り込もうという時、それはやっぱりアプローチが違いますよね。(※つまり、ゲーム側の監修よりも結局は自分で見つけ出さなければいけない)
終末的世界で3人のキャラクターが目指す生き方の違いに注目
――悲惨な人類の歴史の終わりと1950年代の軽快で不条理な核の時代が同居するような世界を演技で表現するにあたってどうやったのかもう少し教えてください。
ウォルトン・ゴギンズ自分はコメディだけとかシリアスなドラマだけをやってきたわけじゃなくて、ありがたいことに長いこと両者のあいだで活動してきた。
そして制作側はきっちり調べてきた上で、さっき話したようなDNAが刻まれた作品に取り掛かっている。これは“フォールアウト1”でも2でも3でもなくて、フォールアウト世界の中の独自の作品だ。「フォールアウト5みたいなものだ」という人もいるがね(笑)。
いま映画やドラマシリーズになっているゲームは、理由があってそうなっている。素晴らしいストーリーがそこにあるからだ。そしてフォールアウトには素晴らしいストーリーがある。“ある可能性”の未来についての物語だ。始まりは1950年代のパクス・アメリカーナの時代だ。そしてそこに――汚い言葉を失礼するが――“クソ世界の終わり”(フxxキン・エンド・オブ・ザ・ワールド)がやってくる。
アーロン・モーテン面白いのは、世界中のみんながコロナ禍を切り抜けなければいけなくて、あらゆることが変化することとなったけれども、どうにかして繋がるための方法を見つけたりとか、あるいはちょっと反体制的なこととかもあったりして、派閥があったりもした。
立場が違う中でそれぞれ人類が再出発するための模索をするというのはフォールアウト世界と似ているよね。僕たち3人のキャラクターの面白いところも、そこ(それぞれ立場が違う理想の中で行動していくこと)にあると思うし、このシリーズでこの非常に変わった世界をお届けできるのを楽しみにしている理由でもあるんだ。
――それぞれが演技する上で異なるプレイヤーたちを体現できていると思いますか?
アーロン・モーテンそう思う。キャラクタークリエイター的なアイデアから来ていると思うね。ジョナ(サン・ノーラン)はゲームを始める前に長時間キャラクリをずっとやるような人間だって言ってたからね。いろんな側面を持てるのはいいことだと思っているよ。
エラ・パーネル3人のキャラクターは本当に全然違いますね。それぞれが生きてきた世界もすごく違うし、見た目もすごくいいです。多分劇中でそれぞれが登場してきた段階だと、どこに共通点があるのかわからないんじゃないかというぐらい違います。でも最終的に、それぞれがそれぞれのやり方でサバイバルしてきたんだということが伝わると思います。
ウォルトン・ゴギンズ自分の視点からすると、それぞれが象徴的な存在として確立されているように感じたな。3種類の宗教みたいな感じなんだよ。
エラのキャラクターは世間知らずなVault育ちのオープンな態度で世界にやって来る。アーロンのキャラはこの世界に秩序をもたらそうとして勇気を求めてやってくる。彼の感じ方は違うかもしれないけどね。そしてこのグールめはカオスをあるがままに楽しむという具合だ。
そうしてこの3人を一箇所にぶち込むとなれば、それはもう素晴らしい神学のようなものさ。ある種、それぞれ自分の人生の生きるための素晴らしい方法だ。これはクールだよ。
ゲーム原作の映像作品について
――ゲーム原作の作品を演じる時ならではの違いはありますか?
アーロン・モーテン自分にとってはカメラが回り始める前からちょっとセットで長く時間を取るようにしていますね。素晴らしい仕事によって作り出された世界があるわけで、自分の場合はブラザーフッド・オブ・スティールですが、その中で生きてきた、これが自分の世界なんだという慣れた感覚を得てからそう演技したいからです。
エラ・パーネル現実世界の役だったり歴史的に忠実な作品だったりする場合とゲームなんかの場合が異なるのは、現実とは異なる世界のトーンが確立されているので、それに沿った演技じゃないといけないということです。これはうまく行っていると思います。
そしてこれが私にとっては楽しい部分でもありますね。自分の演技のためのムードボード(デザインなどでイメージやコンセプトの参考になるものをまとめたもの)を作るというか、確立された世界から大きく外れないものの中で演技を作り出す、これはとてもクリエイティブな作業です。
ウォルトン・ゴギンズ自分の仕事は、目の前で起こることにできるだけ正直であることだと思うんだ。それ以外のことは彼ら(制作側)が仕事として気にかけてくれるからね。プレイヤーのことを考えてしまうのは、あまりいいやり方じゃないと思う。
体験に対して内側から出てくるものに語らせる。真実味とかそういうものはみんながそれぞれの仕事をきっちりやることで出てくると思うんだ。
――ゲーム原作の映像作品はよくないというのが長いこと定説でしたが、最近は優れた作品が多く出てきています。その違いは何だと思いますか?
アーロン・モーテンシネマティックシーンがすごくいいゲームが出てきていることが関係あるんじゃないかと感じていますね。それともしかすると、どんな作品を選ぶかがよくなってきたとか。
シネマティックシーンがいいゲームは、それを映像化する際に削ぎ落とさなければいけない部分とか付け足したい部分があったとしても耐えうるんじゃないでしょうか。
ウォルトン・ゴギンズどうなんだろう、もしかするとうまいやり方がようやく見つかってきたということじゃないかな? 最初の西部劇とかもそういうものだと思うんだよ。それが駄目だったとして「何が正しくなかったんだ?」ってね。
あらゆる新しいジャンルには、その手法を確立するまでの学習曲線があると思う。ファンは何を求めてるのかとか、ゲーム以外のメディアで突然変異を起こせそうなIPはどんなものなんだろう、とかね。
ジェニーヴァとは『トゥームレイダー』(2018年)でも仕事をしたんだけども、みんないろいろ作品をやってあそこがうまく行かなかったとか微調整を繰り返して学んできている。そうして勘所を捉えられるようになってきて、原作にふさわしい素晴らしいストーリーを描けるようになってきたんじゃないかな。