中村彰憲のゲーム産業研究ノート グローバル編

立命館大学映像学部 中村彰憲教授による、その見識と取材などを元に、海外ゲーム情報を中心としたブログ連載!

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【ブログ】akinakiのJust Watched! 『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』に見る、シリーズモノが有終の美を飾るための処方箋

2019-12-20 20:10:00

 12月20日 0:00。日本国内のどれだけの人たちが待ち望んでいた瞬間だろう。

 京都にある東宝シネマズ 二条は、深夜の上映時間であるのにも関わらず熱気に包まれていた。もちろん、劇場用スター・ウォーズ第9作『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』(以下、『スカイウォーカー』)を見とどめけるためだ。おなじみの「スター・ウォーズ」のロゴとともに、プロローグのテキストがスクロールされていくと、350席ほどある劇場の9割を占めていた観客全員が固唾を飲みながら見守るかのように、場内は静まりかえった。『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』(以下、『最後のジェダイ』)の展開が賛否両論であったことが、大きく影響しているのは間違いない。

 だが、鑑賞後にまず感じたのは、「最高のエンディングで良かった!」であった。少し、胸をなでおろしたと言ってもいいかもしれない。恐らく、多くの観客はそう感じたのだろう。エンディングクレジットが流れ始めたところで、どこからともなく、自然に拍手が沸き起こったのだ。応援上映という枠ではない中での拍手には観客の本シリーズに対する万感の思いが込められている。

 復習しよう。『スカイウォーカー』は「スター・ウォーズ」シリーズにおける総本山ともいえる劇場版映画「スカイウォーカー・サーガ」第9作にして最終章だ。

 はるか昔の銀河系を二分した大規模星系間戦争における、スカイウォーカー家の出自とその行く末を主軸に、全銀河を支配下にしようと野望を抱く者と、知的生命体の自由と友情、そして愛の絆を守ろうとする者との間で繰り広げられる戦いを描く。

 前作に当たる『最後のジェダイ』では、銀河帝国軍の残党から発展して生まれたファースト・オーダーが圧倒的な軍事力でレジスタンスを蹴散らし、銀河の片隅に追い込む中、ファースト・オーダーにおける最高指導者直属の弟子であるカイロ・レンと、ルーク・スカイウォーカーの元で修行を始めたレイが、それぞれの立場で成長しつつ、フォースにより不思議に引かれ合う様を描いていた。第9作は拡大するファースト・オーダーに対し、レジスタンスがいかに最終決戦を挑むのか、そしてカイロ・レンとレイがどう対峙するかが描かれていく。

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往年のファンも新3部作からのファンでも楽しめる緻密な作品設計

 142分という長時間の上映時間だったが、中だるみということもなく文字通り、あっと言う間に時間が過ぎていった。つまり、非常に密度の濃い情報で占められていたということだ。ひとによっては、「詰め込み過ぎ」と感じてしまう人も出てくるかもしれない。ただこれについてJ・J・エイブラムス監督を批判するつもりは全くない。前作まで拡大された物語の伏線を回収する必要があったからだ。そして、本作では、そのほとんどにおいて観客を満足させることに成功している。

 例えば、『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』以来、提示されていた謎(レイやスノーク、ファースト・オーダーの出自や、レイのフォースに対する素養)などは丁寧にかつダイナミックに解が示されている。さらに、今回はフォースという存在について、皇帝=貪欲に支配を志す者/ダークサイド、レイ=知的生命体の自由や愛による絆を守る者/ライトサイドという形でより概念的な内容も具象として終始一貫しめされ、その対峙が、ファースト・オーダーとレジスタンス陣営の最終局面の戦いと同時進行でありながらもじっくりと描かれたことに感動を得たひとも多いと思われる。

 もちろん、『最後のジェダイ』における最高の見せ場であったカイロとレイの間に存在する情感の交差について理解を深められるシーンも多数準備されていた。ここまで鑑賞して、新3部作では、むしろ、カイロとレイによるダブル主演であることを実感させられるほど、2人のやり取りは意義深くかつ演技も優れたものだった。これを見届けるためだけでも劇場に足を運ぶ価値はあると言い切れる。

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トランスメディア・ストーリーテリングならではの付加価値と難しさ

 また、「スター・ウォーズ」シリーズは以前から本ブログで示してきたように、欧米で発展が進む、トランスメディア・ストーリーテリング(以下、TMS)の先端的事例でもあるが、本作はその点からも裏切らない。

 レイが旅の道しるべのために活用するアイテムや旅の行方で行き着く場所は、映画鑑賞者にとっては初めて見るアイテムや場所なのだが、3DCGアニメーションシリーズ「スター・ウォーズクローンウォーズ」や「スター・ウォーズ 反乱者たち」を見てきた人たちにとっては、その出自が何となくわかるものや場所が、物語の鍵となる形で展開されているからだ。

 もちろん、これらの作品を見ていなくてもほとんど、影響はないが、これらを見てきたファンにとっては感動も一際だ。さらにコミックを読んできたひとであれば、今回改めて示された新たな事実についてもその文脈をより深く理解することができるようになっている。これらは、「スカイウォーカー・サーガ」というパズルのピース全体としての型に影響を与えない程度の凹凸だが、理解できるひとにはさらにしっかりとピースが重なったと実感することができる。もちろん、「スカイウォーカー・サーガ」、9作のみを楽しんできた人にとっては、数秒しか登場しない登場人物やクリーチャーに一喜一憂するのは間違いなく、その点において、J・J・エイブラムス監督がいかに本作のファンに対して感謝の意を抱いて作品を創り上げたかが実感できる。ある意味、自身の作家性よりもファンの心を優先したとも言え、その点においては、このような巨大な作品の集大成をまとめあげる立場として、正しい判断を下したということができる。

 ただ、同時に改めて露呈されるのが、TMSをデザインすることの困難さだ。本作は間違いなく、ファンサービスを中心に据えつつ、「スカイウォーカー・サーガ」としてのテーマを首尾一貫して示した匠の作品と言えるが、それでも恐らく賛否両論になるのは回避できないだろう。

 例えば、今回フィン、レイ、ポーの3人がある目的のために幾つかの惑星を探索する必要が出てくるのだが、本来、これらの行動動機の鍵になる内容は前作で示唆するべきだった。これ以外にも、レイアとレイとの関係性が本作で明らかになる内容においても同様である。

 またレジスタンスの状況についても説明不足感があったのは否めない。前作の物語進展が緩慢であったが故に、なぜこれらの要素をもっと早く3作間で分散できなかったのかとも思ってしまうのだ。ただここからは、監督の領域というよりは監督を任命するプロデューサー側の領域だろう。監督は往々にして作品づくりにおいて自由度を求めるものだが、自由を許容するべき領域と、作品展開において守るべき領域というのは間違いなく存在し、プロデュースする側はそのかじ取りをしない限り、このような状況は今後のTMSにおいて起こりうる。

 ただ、このような状況から既に「スター・ウォーズ」シリーズはかじ取りを正しくしつつもある。つまり、『最後のジェダイ』や『ハン・ソロ/スター・ウォーズ・ストーリー』で失敗を犯した段階から既に軌道修正は完了している。というのも、喫緊のプロジェクトであるテレビドラマ『スター・ウォーズ マンダロリアン』やゲーム『Star Wars ジェダイ:フォールン・オーダ』は軒並み高評価なのだ。つまり「スカイウォーカー・サーガ」は一旦、終幕を迎えつつも、「スター・ウォーズ」シリーズは今後も続く。さらに行く末は少なくともしばらくは明るいと言えるだろう。新たなパズルのピースが、いかにつながっていくの、期待してやまない。

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