桜井政博さんに聞く岩田さんの思い出第2回
ほぼ日刊イトイ新聞の取材で行われた、ゲームデザイナー・桜井政博氏へうかがう、任天堂の元社長・岩田聡さんのこと。岩田さんの発言をまとめた書籍『岩田さん 岩田聡はこんなことを話していた。』(ほぼ日刊イトイ新聞・著)をきっかけに、岩田さんと縁が深い桜井さんに、岩田さんのお話をお聞きします。
これは、ほぼ日が取材した桜井さんのインタビューを、ファミ通.comでも掲載させていただくという特別企画。インタビュアーは、週刊ファミ通の元編集者・風のように永田こと、ほぼ日の永田さんです。
『岩田さん』書籍情報
任天堂元代表取締役社長岩田聡さんのことばを抜粋し、再構成して1冊にまとめました。岩田さんの経歴、経験、価値 観、哲学、経営理念、そしてクリエイティブに対する思いなどが、凝縮されています。
ほぼ日刊イトイ新聞『岩田さん』紹介ページ(ほぼ日ストアでの購入もこちらから) 『岩田さん』Amazon販売ページ 『岩田さん』(Kindle版)Amazon販売ページ『岩田さん』関連記事
桜井政博氏(さくらい まさひろ)
ゲームクリエイター。1970年8月3日生まれ。有限会社ソラ代表。『大乱闘スマッシュブラザーズ』シリーズや『星のカービィ』シリーズなど、数々の名作ゲームを手掛ける。(文中は桜井)
第2回:ふたつのプロトタイプ
──HAL研時代の岩田さんが通常のプロジェクトに携わることはほとんどなかったとすると、初代の『スマブラ』のプロトタイプを桜井さんといっしょにつくったというのはかなりイレギュラーなケースなのでしょうか。
桜井そうですね。順を追って説明すると、私が『スマブラ』のまえに手掛けていたのは、スーパーファミコンの『星のカービィ スーパーデラックス』でした。私はディレクターですから、ソフトが出たあとも、インタビューに応じたり、攻略本をチェックしたり、海外版の監修をしたりと、いろんな仕事があるんです。
でも、ディレクター以外のスタッフというのは、もっと早く仕事が終わるんですね。サウンドエンジニア、グラフィッカー、プログラマーといった人たちは、自分がまだ仕事を終わってない段階で、プロジェクトから抜けてつぎの企画に入っていく。当時はスーパーファミコンからニンテンドウ 64への移行期でしたから、新しい企画がどんどん動いてました。だから、自分がつぎの企画を考えはじめたとき、スタッフがまったくいない状態だったんです。
──ああ、なるほど。
桜井そこで自分はまず3Dツールの勉強をしました。3Dのモデルとモーションはこうやってつくるんだなという特性をだいたい理解したところで、つぎに手掛ける企画を考えはじめました。それがいつ着手できるようになるのかはわからないけど、とにかく自分はディレクターだから、ゲームを企画しないといけない。なので、書きはじめるんですね。そのときに、3Dのグラフィックを使った、ニンテンドウ 64用のタイトルとしてできたものが、じつは2本あったんです。ひとつが、『格闘ゲーム竜王』と名づけた、4人対戦バトルロイヤル型アクションゲーム。
──『大乱闘スマッシュブラザーズ』の原型ですね。
桜井はい。ニンテンドウ 64の本体には4つのポートがあって、コントローラーにはアナログスティックがついているという情報はありましたから、4人でわいわい遊ぶものが出るのは必然かなと。で、もうひとつは、ロボットをメインキャラクターにしたアドベンチャーゲーム。じつは、これも岩田さんがプログラムすることになるんですが。
──えっ、そっちもプロトタイプがあったんですか?
桜井じつはありました。
──へーーー。以前、すこしうかがったとき、構想だけだったのかと思っていました。
桜井試作していたんです(笑)。ラジコンロボットを操作する感覚のゲームで、設定としては、自分たちが住んでいるところの地下、ものすごく深い、誰も手が届かないようなところに、なんか都市があるらしい、と。そういう謎の都市を発見したけれども、誰も立ち入ることができない。そこで、ドリルで穴を開けて、ロボットを1体だけ投入して、そのロボットをラジコンで操作して、まわりの監視カメラみたいなものをハッキングしながら進む、というものでした。
監視カメラに、ある一定の視野を設定して、そこの画面外にロボットが行こうとすると、つぎのカメラが、こう、追いかける。ラジコン操作で、切り替わるカメラの映像を見ながら移動する……というゲームは、その後、とても有名なタイトルが出ることになります。『バイオハザード』っていうんですけど。
──ああー、そうか、なるほど(笑)。
桜井というか、じつは、両方とも着想元が、同じゲームだったということかなと。それがなにかというと……。
ふたり 『アローン・イン・ザ・ダーク』。
桜井(笑)。
──そういう時代でした(笑)。
桜井つまり、そのとき、『格闘ゲーム竜王』と、ロボットアドベンチャーゲーム、両方のプロトタイプができてるんですね。
──どっちも岩田さんがプロトタイプを組んだんですか?
桜井はい。『岩田さん』の本の中で語られているとおり、そのとき岩田さんは、土日を利用してつくっていたそうです。
──その話を岩田さんからうかがっていたので、なにかの試作を週末にプログラムするというようなことをときどきやられていたのかなと思っていたのですが……。
桜井いえいえ、岩田さんがプロトタイプをつくるなんて、とんでもない話です(笑)。
──つまり、桜井さんがふだん頼めるスタッフがほかのソフトの開発をやっていて誰もいなかったから、岩田さんが土日を利用して組んだわけですね。
桜井そういうことです。で、その2本のうち、どっちを本開発に乗せるかという話になりました。どちらにも可能性はあったんですけど、新しい開発環境でいろんな企画を試すなかで、ほかのいろんな企画がどんどん潰れていた状態だったんですね。だから、すぐにつくれるものじゃないと困る。となると、格闘ゲームのほうが圧倒的に速いと自分は判断しました。ロボットのほうは、まともにアドベンチャーゲームだったので完成まで2年以上はかかるなと。
──『格闘ゲーム竜王』は、ぼくも触らせてもらったことがあるんですけど、『スマブラ』の基本的な動きがすでに入っていましたものね。
桜井そうですね。スマッシュ攻撃とか、蓄積ダメージとか、だいたい入ってました。
──挙動がすでにあの感じでしたよね。床もすり抜けてましたし(笑)。
桜井必殺ワザだけがなかったんですが、あとはもうだいたい『スマブラ』です。それをプログラミングしてくれたのは岩田さんだったわけですけど、ほかの開発者が言うには、あの仕事をしていたとき、岩田さんはとてもたのしそうだったそうです。ほかの仕事をしているときとは、かなり雰囲気が違ってたらしい(笑)。
──ほかの仕事というのは、つまり、トラブルを直していたときということですね。つまり、不具合を直すためじゃなく、のびのびとゲームをつくるというのは、岩田さんにとってかなり久しぶりのたのしいことだったんでしょうか。
桜井その可能性はありますね。いってみれば、趣味に近いというか。プログラムというのは、本来、おもしろいものだと私は思うんです。自分で組んで、できあがったものが、ちゃんと動いてくれるとか、それに対する人の反応が見られるというのは、とてもたのしいことなんですね。だけど、トラブルがあったり、会社の制約のもとでやるから、いろいろ摩擦も生じるし、しんどい作業になっていく。
──土日をつかって、まさにいい意味で趣味のような、たのしい作業だったのかもしれないですね。そのときのやり取りでなにか憶えてることってありますか。
桜井なんか気の利いたことを言えればいいんですけど、いつもの開発と変わらなかったからなぁ。
──いつもの開発、というのはどういう?
桜井いや、自分が仕様書を書いて、これお願いします、という(笑)。もちろんメールで。ログとして残らないといけないですからね。仕様も含めて。
──じゃあ、まぁ、実際には会わないやり取り。
桜井それに近いです。少なくとも同じブースにふたり入って、ということはないです。
──これは、のちに“社長が訊く”で岩田さんが言っていたことですけど、桜井さんは“完成形が見通せる人”だから、岩田さんも桜井さんの書く仕様を信頼していたのかもしれないんですね。
桜井だとすればありがたいことですが。
──お互い、わかり合ってたんだろうな、という気がします。
桜井まあ、わかりあっていたんでしょうね。だから、放任されても大丈夫だったという。
(つづきます)
“『スマブラ』とスポーツカーと誠実の怪人。桜井政博さんに聞く岩田さんの思い出。”連載一覧
第1回「そのときから笑顔だった」
岩田さんと桜井さんがはじめて会ったときの思い出。そして、意外にも、ふだん岩田さんと桜井さんはいっしょに仕事をしてなかった?
第2回「ふたつのプロトタイプ」
桜井さんが企画した『スマブラ』を岩田さんがプログラムしたことは知られていますが、じつはそのとき、もう1本のプロトタイプがつくられていたそうです。
第3回「E3の発表の翌朝に」
その後の『スマブラ』シリーズの流れを決定づけたのが『スマブラX』でした。2005年のE3で岩田さんがくりだしたウルトラCとは。
第4回「誠実の怪人」
岩田さんはどういう人だったのか。任天堂の社長になるまえの岩田さんのこと。桜井さんは「怒った岩田さん」を二度見たことがあるそうです。
第5回「最後のミッション」
岩田さんが亡くなったとき、桜井さんはなにをどう感じたのでしょうか。そして、これからの『スマブラ』シリーズは。