ただただ酷い話に途方に暮れる
Valerie Veatch監督のドキュメンタリー「Love Child」を紹介する。本作は2014年のサンダンス映画祭でプレミア上映され、今月中旬に米ケーブル局のHBOで放送された。
「Love Child」が題材とするのは、2010年に韓国で起きた、とある児童虐待事件だ。ある日、水原市に住むキム夫妻がいつものようにPC房(ネットカフェ)でオンラインゲームに熱中し、早朝に帰宅したところ、そこで目にしたのは生後三ヶ月の娘サラン(韓国語で愛/Loveを意味する)が死んでいる姿だった……。
検死の結果は餓死。当時の捜査官のひとりは「今日、子供を餓死させるなんてまったく理解できない。でも21世紀だというのに彼女は飢えて死んだ。悲しむほかない」と語る。この映画の証言者の多くが釈然としない、どこか困惑した顔をしているのが印象的。自分は遊んで、娘が餓死するまで放っておくなんて、なぜそんなことができるのか?
ちなみに夫婦がプレイしていたのは、日本でもサービスされていた『プリウスオンライン』だった。同作の特徴的な要素“アニマ”は、プレイヤーの行動によって性格や能力が変化していく、少女の姿をしたキャラクターだ。監督は映画が進むに連れてアニマの高レベルクエストの映像を挿入し、演出を通じて明らかにこう問いかけている。「なぜこのキャラクターを育てて、実の娘を育てなかったのか」と。
Photo: Courtesy of HBO
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映画は事件の背景を探っていく取材と、ゲームに熱中しすぎた結果死亡した例などがクローズアップされたことによって巻き起こった「これはアルコールやドラッグやギャンブルと同じ中毒ではないか」という議論を追っていく取材のふたつを平行して行っていく。
果たして“オンラインゲーム中毒”は存在するのか、そしてそれによる減刑が成立するようなものなのか? そう、仮に深刻な中毒があるのならば、法廷では責任能力の問題が出てくる。問題の夫婦の弁護人が行ったのは、まさに「これはオンラインゲーム中毒の結果起こった、故意ではない事故だ」という主張だったのだ。
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次第に明かされる、ただ荒涼とした生活が推測される証言の数々や、唖然とするほかないブラックなオチに至るまで、事件にまつわるエピソードの部分は強烈で一見の価値がある。
しかしドキュメンタリーとしては、一方的な見立てにはならないように配慮した跡は感じられるものの、「バーチャル=冷たい、非人間的」といったステレオタイプや、「土着的な精神の一方で過剰にデジタルコミュニケーションが発達した不思議な国」といった体裁のオリエンタリズムに陥っている部分があるように感じた。特に韓国のシャーマニズムとバーチャル世界を重ねて議論するパートは雑すぎるし、別にアニマがいない他のゲームでも起こり得た話だ。
それでも、考えさせられる部分は十分に大きい。それはオンラインゲーム中毒がどうこうという話ではなく、社会問題の部分でだ。
記者の個人的な考えを一応示しておくと、「オンラインゲーム中毒」が減刑の理由になるようなものとして存在するとは思わない。そりゃ、ゲームを遊び続けて気がついたら朝どころか昼になっててヒヤッとしたことはあるけど、根本的な倫理観をすっとばしたようなことはない。
結局、作品中でも何人かに指摘されているように、そもそもの倫理観が欠落している方が遥かに問題なんじゃないだろうか? 40代の夫は無職で、ゲームで出会った年の離れた妻ともども、RMTで仮想通貨を売り飛ばすことで生活しており、過去に家族からそれを非難され、地元を追い出されていたことが中盤で明かされている。
だが、まともに稼ぐことができないはっきり言って「終わってる」旦那と、子供を育てる方法をまったく知らず、知ろうともしなかった妻(医療記録によると、出産後に検診などに行った形跡もないらしい)が、子供を虐待するどころか、ただ単に何もせずに餓死させるという事態(死亡時、横には腐ったミルクが入ったままの哺乳瓶が転がっていたという)は、いったいどうすれば避けられるのか? この大きな闇にはそう簡単に答えを出すことができないし、映画もまた無理に答えを急ぐことなく、やり場のない怒りとともに幕を閉じている。(文:ミル☆吉村)