溢れる“ゲーム愛”の秘密に迫る
レトロチックなファンタジーRPGの最終決戦。勇者タケルとその仲間たちは見事魔王を討ち倒し、世界に平和が訪れた。城で王と謁見し、迎える大団円。スタッフロールとエンディングテーマの演奏が終わった後の“フリーズした世界”で、タケルの仲間のひとり、戦士アソンテは目覚めた――!
『Final Re:Quest -ファイナルリクエスト-』は、講談社の漫画雑誌『月刊少年シリウス』とニコニコ静画のコラボレーション企画“水曜日のシリウス”の連載Web漫画。毎月第4水曜日に更新され、2015年2月22日現在、第7話までが公開されている(※最初の2カ月間は月2回更新)。バグに浸食されていく絶望的な世界を舞台にした熱い人間ドラマが、ファミコンを思わせるドット絵がアニメーションする映像とBGMによって綴られる。手法自体の奇抜さ、クオリティーの高さもさることながら、その特性を最大限に活かした巧みなストーリーテリングによって、感度の高い漫画ファンから注目されている作品だ。
1970年代前半生まれの筆者は、本作のメインターゲット(と思われる)層を代表する気持ちで、日下一郎氏のドット絵漫画に素材協力を手がけるヒューガ代表・岡野哲氏、そして、担当編集者の小笠原宏氏にインタビューを敢行。本作の1ページ1ページから滲み出る、痛いほどの“ゲーム愛”の源流にどこまで迫れるか……?
限りなくゲームに近い漫画として……
──まずは、現在(※インタビューを行ったのは、第7話が更新されて間もない2015年2月3日)まで連載してきての率直な感想は?
岡野 当初の予定よりもかなり手間取っていて、ほかの業務のスケジュールを圧迫しています。最初は「どうせドット絵だから回を進めるごとに楽できる」と思ったんですけど、どんどん作業が増えていくんです。
──いざ始めてみたら、同じグラフィックを使い回せなかった?
岡野 本当はできるんですけどね(笑)。毎回新しいキャラがでてくるたびに「この場面の空はいつもとは違う空で……」といった調子でやってしまうんです。やはりドット絵が好きなんですね。ドット絵漫画と謳っていて、肝心のドット絵がヘボかったら、それはいやだろうと。こういうタイプの漫画がもう2、3本あると手を抜けると思うんですけど(笑)、いまのところ誰もフォロワーがいないので。
──実際、本作のドット絵はどのように書いているのでしょうか。
岡野 これを見ていただければわかると思いますが、ゲームを作るのと変わらないんですよ。その都度、キャラチップ、バストアップを増やしています。
──こ、これはモロですね……。
小笠原 タケルの仲間のひとり“リカトク”との再会エピソード(第4話)が、それを加速させましたね。めっちゃ顔のパターンが多いんです。
岡野 こういうキャラのいいところは、かわいくなくてもいいところ。どんな顔をさせてもリカトクになるんです(笑)。
──現状は、あえて選んだ茨の道を、苦しくも楽しく進んでいる……といった心境なのでしょうか?
岡野 それだけではないですね。ウェブで公開する漫画で、絵は動くし音も出る。漫画のニッチとゲームのニッチのあいだを突いたこんなアプローチはどうでしょう? という、野心的な意図があります。
──確かに、単に漫画として珍しい・おもしろいだけでなく、このままゲームとしてすぐ遊べそうな感触は、他の漫画作品にはないものです。
岡野 そのあたり、だんだん本末転倒になってきていますね。毎回、タイトルにはこだわろうと思っているんですけど、だんだんエスカレートしてきて、第7話なんかはタイトル表示用のプログラムを作っているという。
──(笑)。
岡野 20フレームごとにキャプチャするプログラムを組んで、それを並べると、ちゃんと飛行機がふわふわしているように見えるという。最初は手作業でやっていたんですけど、飛行機が5機6機と増えていくとわけがわからなくなってきまして(笑)。漫画とゲームのあいだをふわふわ漂っている漫画ですね。
“ファミコンスペックの準拠”を掲げたドット絵制作
──そもそもなぜ、ドット絵の漫画でいこうと思ったのでしょうか?
岡野 なぜドット絵かというのは、この漫画の場合すごく大きいんです。もうゲームをしなくなった、けっこう年がいった人も、ドット絵にはひっかかる。なぜかというと、これが本当に“ひとつの事象”だったからなんです。つまり、当時初めてゲームに触れた人にとって、そのビジュアルはとってもインパクトがあり、後にそれはメインストリームからは姿を消してしまった。そのビジュアルが持っていた世界なり物語なりをもういっぺん示そうといったところから、この作品は始まっているんです。その際には皆が一番ぐっとくる……別の言いかたをすれば「あれはもう廃れたな」と納得できるドット絵である必要があるんです。
──本作のドット絵の使用色が、ファミコンのパレット仕様に準拠しているように見受けられるのも、そういった読者の最大公約数を意識してのことなんですね。
岡野 よくぞ指摘してくれました! ファミコンは基本的に、1キャラクター(※8×8ドット単位)に3色+透明色しか使えないんです。おまけにファミコンの表示色は、1983年発売のハードとしてはものすごく優れているんですけど、グレイが足りないという穴もあるんです。
──そうでしたっけ?
岡野 正確に言うと、“薄いグレイ”、“濃いグレイ”はあるけど、“黒に近いグレイ”がない。これではよくあるグレイ諧調での絵作りができません。
──なるほど。そういう制約を再現した上での絵づくりは、かなり苦労されていると思います。
岡野 ドット絵の実作業的には、3色だろうが何色でも使えようが、かかる手間はあまり変わらないんです。手間は同じなのに「なんだ、しょぼいな」と言われるのは少し寂しいですね。
──でも実際、色数が少ないほうが大変ですよね?
岡野 そう言っていただけるのはありがたいです。一見、色が多いほうが難しく思われるかもしれませんが、大抵のドット絵は限られたスペースに打つものなので、色が多いほうが絶対に楽なんです。
──1ドットの相対的な情報量が多いぶんニュアンスを再現できる、と。
岡野 だんだん話が進むと「もっとすごい絵を見せてくれないか」という話になって、この登場人物のバストアップでは、じつは4色以上を使っています。
岡野 歯や白目、金貨の部分などはスプライト(※レイヤー状に重ね表示が可能で、かつキャラクター単位での高速な表示制御が可能なグラフィック描画機能。1980年代の多くの家庭用ゲーム機、一部のPCでは標準機能として搭載されていた)を重ねて……って、もちろん勝手にそう言っているだけですけど(笑)、一応そういうシミュレーションをしながら「ファミコンの実機で再現できなくはないんじゃないかな」という絵作りをやっています。先ほどもお話した第7話のタイトルでは、背景の雲の端がちゃんと繋がっていないんですけど、技術的には問題なく繋げられます。でも繋いだら、ファミコンのスペック的にキャラクター数オーバーするのが、経験上、目に見えているので。
──うーん……そのあたり、判断のしどころが難しそうですね。
岡野 どちらを選んでも怒られるんです。「なんだ、この端っこがカクカクしたのは!」と「こんなにキャラクター数あるわけないだろ!」という意見の間で、いつも悩んでいます(笑)。
──結果的には、自然な絵作りよりもファミコンのハード性能再現を優先されている、と。
岡野 厳密には「使用可能なキャラクター数とかパレット数をオーバーしているじゃないか」みたいな部分もいっぱいあるんですが、そこはすみません、勘弁してください(笑)。
──そこまできびしくチェックしている方はごく少数と思われますが……そのあたりのこだわりに関して、編集サイドは、どの程度関知しているのでしょうか?
小笠原 専門的なことはよくわからないですけど、タイトルが『ファイナルリクエスト』と決まった時に、『ファイナルクエスト』という架空のレトロゲームの存在が嘘っぽいと、読者も懐かしさが感じられないですし、物語に入っていけないとは思っていました。
──作中で使用されている、ノスタルジーを喚起するメロディが印象的なBGMも、“往年のファミコンゲームらしさ”を印象づけていると思います。
岡野 こちらも矩形波2音、三角波1音、ADPCM1音、ノイズ1音……というファミコンの内蔵音源準拠の構成で作成しています。この三角波というのがクセモノで、クセがありすぎて使い道がなかなか見つからないんです(笑)。BGMは本作用のオリジナルで、作曲は漫画作成とほぼ同時進行です。更新日までに間に合わなかったら、すでにできているほかの曲をとりあえずあてておいて、2、3日後にこっそり差し替えたりしています。
80年代の落とし前をつけるための"僕らの物語"
──本来は原作の日下一郎さんへの質問になるのですが、ストーリー面についても少し伺います。本作の主人公・アソンテは、世界から姿を消した勇者・タケルを探す旅に出かけます。第1話を読む限り、タケルの正体は現実世界のプレイヤーで、アソンテが究極的に目指すのは、彼らの世界の外側、つまり、この現実世界であると推測できます。そういった世界の多重性や、"自分がゲームのキャラクターに過ぎない"ということにたいして、登場人物たちはどの程度自覚的なのでしょうか?
岡野 禅問答的になってしまうんですけど、僕らのこの世界が現実だっていう保証が、そもそもないですよね? アソンテは自分たちの世界をどのように捉えているのか、そして、僕らが現実だと思っている世界に来たアソンテはどのような姿で現われるのか、アソンテたちにとって僕らが現実だと思っている世界はどう見えるのか……。最終的にはこれらをきちんと描ければと思っています、というところで、いまのところはご容赦ください。
──わかりました。ここ数年、フィクションの世界側から現実世界にアプローチするタイプの映画に心を揺さぶられる機会が多いので、そのあたりの境界がつい気になって、訊いてしまいました。
岡野 『シュガー・ラッシュ』(2013年)や『LEGO ムービー』(2014)を観た日本人が、JRPGの世界でこれをやらないのは許せないというか(笑)。実際にやれるわけだから、少なくとも「あー、あれヌルかったね」で終わるわけにはいきません。当時ゲームに恩恵を受けた私たちが、当のゲームが語らなくなってしまった物語──冒険、勇者、魔王に彩られた物語がどれくらいエモーショナルでどれくらいおもしろかったかを、昔の表現を使って語らせてもらっている……という認識です。
──そうしたあたり、小笠原さんは担当編集としてどのように捉えているのでしょうか?
小笠原 連載が始まる前、同僚の編集者と「30代がノスタルジーを覚える作品ってないよね」という話をしたことがありまして。上の世代が十分ノスタルジーを楽しんでいるんだから、俺たちもそろそろいいんじゃないかと。私自身、もろファミコン世代なので、8ビットファンタジーというテーマはストライクです。あと、スマートファンが普及して誰もが気軽にゲームを遊べるようになったいま、ゲームが初めてメインカルチャーになったと思うので、題材への追い風は感じています。
──内容面にはどの程度介入しているのでしょうか?
岡野 初期のネームは、キャラクターパーツをそのまま並べて、ゲーム画面を再現する要領で組んでいたようですけど、それでは読み物にならなかった。小笠原さんから「1回ドット絵から離れて手書きネームで描いてもらえませんか」と言われ、このような形で描き直したということです。
岡野 これを書かなかったら作品として成立しなかったと思います。ゲーム屋としては「これはゲームのお約束で逃げよう」と考えがちなのですが、小笠原さんは漫画編集のプロですから「これでは読まない」、「おもしろくない」と。読者は漫画として読むのだから、こういうゲームがありますよ、と再現するだけではダメなんだということを叩き込まれました。これは本当に感謝しています。
──昨今の少年漫画には欠かせない、かわいい女の子キャラが登場しないまま連載が続いていたことに関しては?
小笠原 うちの編集部はおっさんばかりなんですけど、校了のたびに「いいねー、いいねー」と。皆が「女の子出てこないの?」という当たり前のツッコミを忘れていたという(笑)。
岡野 第7話で、女の子が主要キャラとして登場するにあたって、初めてきびしいツッコミが入りました。「これはだめでしょう、もっとロリであるべきだ」と(笑)。実際、そのあたりの判断がヌルかったんです。ドット絵だからといって女の子がかわいくなくていい……という不文律はないですから。
小笠原 最初に出てきた女性キャラは、リカトクの奥さんでしたからね(※第4話)。
岡野 じつは第5話のラスト、リカトクの奥さんのシーンだけ、ファミコンのレギュレーション──横幅最大256ドットをオーバーした絵作りを意識的にしているんです。あそこは、広げた両手の手先まで書かなければダメだろうと。そうまでしておばちゃんを書いているという(笑)。
小笠原 あの回は物語として素晴らしかったんですけど、「いけねっ、俺、編集者だった!」と思い出したターニングポイントでもあります(笑)。みんなに好かれる、かわいい女の子をそろそろ出さなきゃいけないんじゃないかな……と。
──力の入れどころ、そこじゃないでしょ! みたいな(笑)。ただ、そういったこだわりの部分のお話を伺うと、ドット絵に親和性がある特定世代に向けたメッセージ性を大事にしていることが、改めて伝わってきます。
岡野 私たちより少し上の世代だと「飛雄馬よ、魔球を投げて巨人の星となれ」という違う物語を持っています。“魔王を倒す”というのは、僕らが手に入れた、新しい物語なんです。このころのJRPGに登場する魔王は、記号性なんです。僕らは数少ないドットの中に、自分なりの魔王像を作り出していました。そのための必要十分な情報をしっかりもらっていたからです。『ドラゴンクエスト』シリーズのロト三部作がいまだになぜ人の心を掴むかというと、ディテールを全部捨ててもわかるようにお話を組んで、キャラクターのエピソードをきちんと積み上げているから。もしも読者に物語やキャラクターを伝えるのであれば、より要素を削ぎとっていって、メッセージを純化して伝えられるのが、ドット絵の武器だと思います。私たちが背負っているのはドット絵やゲームといった表層的な部分だけではなく、“僕らにとっての80年代の落とし前”なのかもしれません。
──私がこの作品に惹かれる理由が、よく理解できました(笑)。逆に言うと、媒体のメイン読者層には伝わらなくてもしょうがない、という割り切りもあるのでしょうか。
岡野 かもしれません。……でもやっぱり、本気のものは、人の心を打つと思います。私、このころのゲームのビジュアルが大好きなんです。自身が青春を過ごしましたからね。当時は本当にすごいものを見せてもらったと思っているので、この作品でも1ドット1ドットの意味を大事にしながら描くようにしています。
ニコニコ静画から飛び出す『ファイナルリクエスト』の世界
──今年1月発売の『月刊少年シリウス』(※2015年3月号)に第1話が特別掲載されたとのことで、読者層のさらなる広がりが期待されます。
小笠原 “水曜日のシリウス”内の『ファイナルリクエスト』はFlashで動いているため、iOS端末では見られません(※)。30代以上はニコニコ静画などのコンテンツをPCで観る環境や習慣がある方が多いので、そこの方々には届いていると思うんですけど、新規への道筋はまだ立てられていないというのが現状です。今回の本誌掲載でどのような反響があるか気になるところです。ただひとつ、計算違いがありまして……。
──というと?
小笠原 うちの雑誌の紙がインクをよく吸う紙でして(笑)、グラデーションが潰れてしまいました。
──(渡された雑誌を読んで)たしかに……これは勿体ないですね。
小笠原 単行本はフルカラーですので、ファンの皆さんはご安心を。
──ついに出ますか、単行本!
小笠原 第1巻が、2015年5月上旬発売予定です。動画で構成されていたものが通常の漫画の形に再構成されているだけでも新鮮だと思いますが、シーンの追加やオマケの企画ページも用意します。現状、漫画作品としては読む環境が限られているので、保存版としてお手元に置いていただければと。
岡野 “当時のファミコンゲーム風の説明書”とか、そういうインチキにかけては得意分野ですのでお任せ下さい!
──(笑)楽しみにしています。あと、これはどうしても伺っておきたかったのですが、漫画本編で使用されている素材を使ったゲームは……遊べるんですよね?
岡野 漫画連載中はとても手が回りませんが、ゲームアプリ化はもともと考えていました。ここまで作っておいてゲームにしない手はありません。
──おおっ!! 今後の漫画連載とゲーム化、楽しみにしています!
※iOS端末では見られなかった『Final Re:Quest -ファイナルリクエスト-』だが、この度iOS対応版として“第1話 お試し動画版”が配信された。以下に、その動画をお届け! iPhoneユーザーの方はしかとご確認あれ。