今年末で『Diablo』20周年!!

 アメリカのカリフォルニア州サンフランシスコで本日閉幕した、ゲーム開発者向けの国際会議GDC(ゲーム・デベロッパーズ・カンファレンス)。さまざまな最新技術やノウハウが共有されるGDCでも、“Postmortem”と呼ばれるタイプの講演は定番のひとつ。
 直訳すると“検死解剖”とか“反省会”的な単語なのだが、実際はネガティブな意味合いはあまりなく、プロジェクトを通じた“振り返り”を行い、良かったことも悪かったことも共有して後進に役立ててもらおうというワケだ。近年はレジェンド級のクラシックなタイトルを手掛けた開発者に登場してもらう“Classic Game Postmortem”がシリーズ化しており、すでに本誌でご紹介した通り水口哲也氏が『Rez』を振り返る講演などが行われた。

 本稿では最終日に行われた、David Brevik氏によるClassic Game Postmortemの模様をお伝えしよう。ネタはBlizzard Entertainmentの代表作『Diablo』。1996年12月31日に発売され、今年20周年を迎えるアクションRPGの金字塔はどのように作られたのか?

アクションRPGの金字塔『Diablo』。その初代作品完成までの道のりが明かされる【GDC 2016】_14

名前の由来は近所の山

 David Brevik氏は、シリーズの初期作品を開発したBlizzard Northの共同設立者として、2003年までプレジデント(社長)を務めた人物。初代『Diablo』ではオリジナルコンセプトからゲームデザイン(共同)、リードプログラマーまで担当している、まさにディアブロ様の生みの親だ。

 父親にApple II Plusを買ってもらい、プログラミングを始めたDavid少年は高校生の頃から『ウィザードリィ』や『マイト・アンド・マジック』といった系統のファンタジーRPGを作ろうと考えており、これが『Diablo』の原型となる。実はDiablo(悪魔の意)という名前を選んだのは、当時住んでいたカリフォルニア州ダンビル(サンフランシスコから1時間程度)から“ディアブロ山”が見えていたからというのが、なんとも高校生的。

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 そしてBrevik氏はカリフォルニア州立大学チコ校で学んだ後、Iguana Entertainmentに入社してゲーム業界のキャリアがスタート。このスタジオは後にAcclaim Studios Austinとして『テュロック』などを生み出すことになるのだが、同氏は1993年にスタジオがテキサスに移った際に離脱。慣れ親しんだ北カリフォルニアで仲間とともにCondorを設立する。後のBlizzard Northの原型だ。

「RPG is Dead」(RPGなんて終わってる)

 Condorでは『Diablo』の企画書が書かれる一方、アクレイムジャパンから発売された格闘ゲーム『ジャスティス・リーグ』のメガドライブ版の開発にも関わっているのだが、このタイトルがCESに出展された際(当時はまだE3がなく、家電ショーのCESの一角でプロモーションしていた)、Brevik氏らはまったく同じコンセプトの同名ゲームのスーパーファミコン版が隣で出展されているのに気がつく。

 なぜだか理由はわからないが、パブリッシャーのアクレイムが同じゲームを異なるスタジオに別々に作らせているにも関わらず、そのことの連絡がうまく行っていなかったのだ。ワイルドな時代としか言いようがないが、このスーパーファミコン版を手掛けていたSilicon & Synapseというスタジオはやがて名称を変更し、Blizzard Entertainmentとなる。役者は揃った。

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▲アクレイムが悪いのか、それとも開発を主導したサンソフトのせいなのか? 多分設定は同じだけど解釈の差異で微妙に違うという気持ち悪い事態に。

 当時の企画書では、『Diablo』はターンベースのシングルプレイゲームで、パーマデス(死んだらやり直し)があり、プラットフォームはDOS。拡張パックでコンテンツが増えるという、現在とちょっと違う内容だった。
 しかしBrevik氏はCESで企画書を手にパブリッシャーを25社ほどまわりって売り込みをかけたそうなのだが、「RPG is Dead」(RPGなんて終わってる)と言われてしまい、企画は通らず。しかし今度はストラテジーゲーム『Warcraft』を出展して小規模ながら話題を呼んでいた例のスタジオ、Blizzardが興味を示し、本開発がスタートする。

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▲ちなみにこの初期企画書はいずれ公開される模様。気になる人はBrevik氏のTwitter(@davidbrevik)をチェックしよう。
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▲コンセプト段階では、恐竜/怪物格ゲー『Primal Rage』に影響されてクレイアニメーションの採用も考えたそうなのだが、やってみたら酷かったので即却下したらしい。

グラフィックは『X-Com』オマージュ

 さて初期『Diablo』と言えば、斜め上方向からのクォータービュー視点で、決して派手さはないものの、禍々しいダークなトーンが印象的。
 実はこのクォータービュー視点、同氏が好きだったストラテジーゲーム『X-Com』を元ネタにしており、設計する際は『X-Com』の画面をキャプチャーし、各タイルの形とサイズまでまったく同じに完コピしたんだとか。

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 一方ライティングについては、8つの色相に16段階の明度を与えたパレットを作成。これをベースに、その場所にあたる光源の強さと、ダンジョンではキャラクターを中心に照らすライトの当たり具合によって明度をずらすという処理に。コレが功を奏して初期『Diablo』のおどろおどろしい雰囲気が生み出されたのだ。

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リアルタイム vs ターンベース

 初期の企画書ではターンベースゲームだった『Diablo』。行動によってアクションポイントが違う、初期『フォールアウト』的なターンベースだったようだが、Blizzardからはリアルタイムアクション、しかもマルチプレイ対応できるものにとのオーダーが。
 ローグ系のゲームが好きで、緊張感の中で次の行動を考えるのが好きだったBrevik氏はギリギリまでターンベースにこだわったものの、結局投票で押し切られてしまう。しかしプロトタイプが出来、ウォーリアーがスケルトンを斬り倒す光景を見た瞬間、「これだ!」と感激したことを今でも覚えているという。

Blizzard Northの誕生

 Blizzardから提示された『Diablo』開発予算は30万ドル(約3300万)に過ぎず、Condorは3DOから100万ドル(約1.1億円)でM2向けのアメフトゲームの開発を引き受けることで乗り切ろうとしたものの、それでも20人のスタジオを走らせるのには苦しい日々。
 そして1995年12月、Blizzardによる買収話が持ち上がる。苦手なビジネスや資金繰りをBlizzardに任せて『Diablo』を仕上げたいCondor組にとっては願ってもないチャンスだが、ここで開発力を確保したい3DOがBlizzardの2倍の額を提案し買収争いに。結局、金額ではなくスタジオカルチャーなどをちゃんと理解してくれていたBlizzardの提案を取ることになる。

 お金についての失敗はこの他にもあり、ある日Sabeer Bhatiaという人物が「Webでメールをやる会社を作りたい。ついては収益の10%と引き換えにオフィスを貸してくれないか」と提案してきたのだが、「当たらないだろうし面倒くさい」と断ったそう。
 しかしその後、この会社“Hotmail”は大成功。14ヶ月後に4億ドルの価値のある会社へと成長する。そう、マイクロソフトによる買収後には世界最大級のWebメールサービスにもなった、あのHotmailだったのだ。
 オフィスを貸していれば10%の4000万ドル、現在の価値で2億8000万ドルが手に入っていたはず……と笑いながら話すのだが、『Diablo』が成功していなければ確実に表情が凍りつくエピソードだろう。

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マルチプレイ

 『Diablo』の初期コンセプトはターンベース&シングルプレイだったことは先程も触れたが、リアルタイムバトルを採用したものの、マルチプレイについてはノウハウに乏しいこともあって「そのうちできる」と答えて逃げまわっていたBrevik氏。

 しかし、Blizzardで当時開発中だったオンラインサービスBattle.netを使えば比較的簡単に実現できることが判明。かくしてBattle.netは採用第1弾タイトル『Diablo』のリリースとともに成長を遂げていくことになる……のだが、当時のBattle.netはチャットしたり、各プレイヤーのマルチプレイセッションを繋ぐロビー的な機能しかなく、実際のゲームに関する通信はP2Pでやるだけ。このため、たった1台のサーバーで間に合っていたらしい。

 問題は、「やりたきゃやればいいんじゃないの?」ぐらいで放置していたチート対策。ゲームの通信がBlizzard側のサーバーを通りもしないので、やりたい放題の状況になってしまう(オールドゲーマーの人はチーターを避けるためにプライベート部屋を立てて遊んでいたのを覚えているかも)。かくして続編『Diablo 2』ではチート対策を強化するとともに、P2Pではなくクライアント―サーバー型の通信を採用することになる。

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デモCDの配布と改善

 かくして開発が進んでいった『Diablo』は、PC Gamer誌の1996年11月号に特典CDとして収録する話がやってくる。100万枚出回るというため、導入に躊躇していたDirectXの採用も決定。
 そして11月号のリリース後、フィードバックを受けてキャラクター作成に時間がかかっていたのをすぐに始められるようにしたり、『スター・ウォーズ ダークフォース』を参考にプレイ画面にオーバーレイさせるオートマップを導入したり、ホットキーでアイテムを即座に使えるスロットを用意したり、急速に改善が進んでいく(デモ版ではマウスのクリック&ホールドでの移動もできなかった)。

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▲デモ版ではキャラ作成に25分もかかっていたそうで、サクッとアクションを始められるように変更。

地獄へ最後の1マイル

 予想以上にギリギリまで重要そうな部分を弄っていたのがわかるが、開発末期には仕事が詰まりまくっている中で、妊娠中だったBrevik氏の妻が「生まれそうなの!」と電話をかけてきて、焦りまくったそう(実際は『Diablo』発売から明けた1月3日に出産)。
 またバグチェックを進めるために、最初にディアブロを倒したテスターに100ドル与えるよう賞金をかけたところ、わざと瀕死になってから自分と相手のHPを入れ替える“Blood Exchange”というスキルでディアブロを瀕死にするというテクであっさり倒されてしまい、慌ててスキルを削ったというエピソードも。

 かくして発売された『Diablo』がジャンルを定義付けるほどの作品となり、現在もシリーズが続く成功を収めているのは御存知の通り。「誇りに思っている。自分はラッキーだった」と語って講演を締めくくったBrevik氏に、満員の聴講者からは惜しみない拍手が送られた。

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