「esportsの発展にはスーパースターが必要だ」
こういう声をよく聞く。野球で言えばイチロー選手、サッカーならキング・カズ。スターに憧れて競技人口が増える、みたいな発想だろうか。
言いたいことはわかるのだけど、スターはすでにいると思うのだ。たとえば、
◆梅原大吾さん
おそらく日本でいちばん有名な格闘ゲーマー。“世界で最も長く賞金を稼いでいるプロゲーマー”としてギネス認定されたこともある。
◆ときどさん
東大卒の格闘ゲーマー。世界最大規模の格闘ゲーム大会“Evolution 2017”の『ストリートファイターV』部門で優勝を果たした。
◆noppoさん
オンラインFPS『カウンターストライク』で活躍した元プロゲーマー。10年以上前に強豪国スウェーデンに単身で渡り(当時はまだ10代)、現地のプロチームに参加した。現在はNVIDIAに勤務している。
ギネス認定、世界チャンピオン、単身での本場への挑戦。3人とも、ゲームを知らなくてもすごさが伝わるレベルの偉人だ。まだ足りないと言うのか。
スターはいる。いるのだが、彼らを目指して、あるいは彼らを真似てゲームをプレイする若者はどれくらいいるのだろう。
僕だったら目指せない。だって、すごすぎるから。FPSのプロになるためにひとりでスウェーデンに行けるか? いや、むりだ。
そう、たいていのスターはすごすぎるのだ。環境が、考えかたが、行動力が。「自分とあの人は違うから」で片付けてしまう。
そこで、この説を提唱したい。
憧れや夢に至る前に、現実的な目標も大切だ。階段みたいなものである。いまの僕らに必要なのは、ふつうの青年の適度な出世物語ではないか。
行動力は人並みで、育ってきた環境もふつうなのだけど、ゲームで結果を残し、それなりの立場にいる人。そういう人生は、ゲーマーにとってわかりやすい目標になると思う。
誰かに話を聞きたいなーと思ったら、いた。
MatchaくんはPC用オンラインFPS『サドンアタック』の強豪クラン・NabDのリーダーとして頂点を経験した後、ネクソンの『サドンアタック』運用チームでばりばり働いている(インタビュー当時。会社員なので所属が変更となることもあります)。
彼とはプレイヤー時代からの付き合いだ。来歴を教えてよと頼んだら、いい話がぽろぽろ出てきた。
【聞いた話の例】
・ライバルを追いかけて――ドラマティックな『サドンアタック』との出会い。
・無責任にプロを名乗ることはしなかった。
・つまらなさそうにゲームする人って何なんだろう。
・プロチームに入ったのに、すぐに「自分と合わないから辞めます」みたいな話を聞くと、そういうのは違うんじゃないかと感じる。
・プロになるのは目的を達成するための手段だと思う。ゴールではない。
インタビューにはマーケティング担当の坂下智久さんも同席し、ほぼ雑談状態。ふだんのノリで話を聞いたので、全体的に馴れ馴れしい言葉づかいになっている。
わりと長い記事なのでコーヒーでも入れてじっくり読んでください。
Matcha(まっちゃ)
PC用オンラインFPS『サドンアタック』強豪クラン“NabD”の元リーダーで、本名は竹本涼平。現在はネクソン勤務。
坂下智久(さかしたともひさ)
『サドンアタック』マーケティング担当。Matchaくんがいちプレイヤーだった頃からの付き合いで、彼のことをよく知っている。文中では坂下。
ミス・ユースケ(みす・ゆーすけ)
ファミ通.comのPCオンラインゲーム担当で、本記事の執筆者。Matchaくんとはそこそこ付き合いが長く、ビジネスの関係になったいまでも、当時と同じように馴れ馴れしく接している。文中ではユースケ。
クランに誘われなかったから頼み込んで入隊
ユースケMatchaくんは世間で言うところの“esportsプレイヤーのセカンドキャリア”に近い形でネクソンさんに入ってると思うんだ。
Matchaまあ、そうかもしれないですね。
ユースケプレイヤーとして何回も日本一になっているような人が、つぎは運営する側に回りました、と。何でそうなったか教えてほしいと思って。まじめなインタビューか雑談っぽくするか、どっちがいいかな。
Matcha雑談でお願いします。
ユースケわかった。それでは対戦ゲームの世界に入ったきっかけや、『サドンアタック』の出会いから、きみの来歴を教えておくれ。
Matcha北海道出身でして、オンラインゲームに初めて出会ったのが中学生くらいのときです。友だちの家に遊びに行ったとき、PCで『メイプルストーリー』をやってたんですよ。何だろうこのゲームと思って、そいつの家でやらせてもらったのが初めてです。
そこから『メイプルストーリー』にはまって。家にもPCはあったので家でもやって。で、いつだったか、そいつが『Gunz』(※)をやってたんですよ。
家のPCでは動かなかったので、 そいつの家に『Gunz』をやりに遊びに行くようになりました。
(※『Gunz』:正式名称は『Gunz Online』。2005年頃にサービスが実施されていたオンラインTPS。対戦ゲーム好きの支持を集めた傑作で、ここから出てきた有名プレイヤーは多い)
ユースケちょっと待った。
Matcha何ですか?
ユースケこの話、長い?
Matchaいきなり飽きないでください。かいつまんで話しますから。
ユースケ想定よりしっかり話してくれるもんだからびっくりした。ところで、展開が急じゃない?
Matchaさすがに担任と親に説得されました。急にやめるんじゃなくて編入しろと言われて通信制の高校に行ったんですよ。いま思うと、説得してもらえて助かりました。
(※紙投げ:多くのFPSや対戦ゲームで活躍するプレイヤー。『サドンアタック』ではMatchaくんのライバル的に扱われることも多かった)
ユースケへー、そこでか。もう。
Matcha『Gunz』を始めた当初から紙投げくんは有名でした。yukishiroくん(※)とかといっしょのチームでやっていて、僕は指をくわえて見ていました。最初はPCのスペックも低かったし、全然うまくもなくて。
PCがよくなったら「おれこんなに強いんだ」って思うくらい強くなってました。気付いたら紙投げくんは(『Gunz』を)やめていたんですけど、まあいいや、おれ強いしみたいな感じで、友だちと続けていて。
(※yukishiro:プレイヤーとしてだけでなく、試合の実況担当としても活躍。同世代のゲームキャスター・岸大河くんにも影響を与えた)
ユースケその友だちっていうのは?
MatchaVader(※)とかその辺です。で、2007年の夏ぐらいですかね、そろそろ違うゲームもやってみたいなと思ったんです 。
(※Vader:NabD時代のチームメイト。現在はプロゲーミングチームのUnsold Stuff Gamingに所属している)
Matcha紙投げくんとはちゃんと戦えてなかったんですよ。僕が弱かったので一方的にボコボコにされてました。そのまま彼はどっかに行っちゃってて。
つぎ何やるかなーって思ってたら、仲間内のボイスチャットで紙投げくんが『サドンアタック』やってるらしいと聞いて。
ユースケドラマティックな話。一応、確認するけど、盛ってないよね?
Matcha事実です。あいつがやってるんだったら、おれもやるわって感じですね。(勝手にライバル視していた)紙投げがいなかったら『サドンアタック』にも出会ってないと思います。
Matcha2007年の12月にSACTL2007っていう大会があって、そのときは2軍の補欠でした。大会には7人登録できるんですよ。5人がスタメン、ふたりが補欠ですね。
ユースケザ・下積み時代って感じ。
Matchaそれで大会に出て、予選のどこかで負けちゃったんですね。しかも相手が紙投げのチームだった気がする。紙投げは(『サドンアタック』の)最初のオフライン大会で準優勝……違ったかな。まぁ、そんな感じで。
oMaE:3)sの1軍もオフラインに出てましたね。「いいなー」って見てましたよ、北海道の実家で。その少し後、2008年の1月頃かな、oMaE:3)sがあんまりやる気がないなって時期があったんです。
ユースケクラン全体にそういう空気を感じたわけだ。
Matchaふたをあけたら、クランマスターがoMaE:3)sを発展させるためにWebサイトを作ってたってだけなんですけどね。勝手に僕らが勘違いしていた。
NabDを作った人はoMaE:3)sのオフラインのメンバーでした。その人がoMaE:3)sの人に「大会で上位を目指せるクランを作ろう」って声をかけていたんです。それがNabDです。
ユースケ留学ってまた急な話だな。その頃のNabDって、『サドンアタック』全体からするとどれくらいの立ち位置だったの?
Matcha最初から上のほうだったと思います。当時はRustyEggsっていうKeNNyくん(※)がいたクランがトップだったんですけど、それを超えるんじゃないかくらいに言われていました。
そこからですね、NabDは。おれがいちばん下手でいちばん下っ端だったはずなんですけど、マスターになっちゃって。
(※KeNNy:『カウンターストライク1.6』など、さまざまなゲームで活躍した元プロゲーマー。10年以上前から韓国で短期合宿を行うなど、精力的に活動していた)
ユースケいちばんやる気があったからマスターになった感じなのね。そのときは学生? 働いてた?
Matcha高校生です。高2の冬ですかね。学校は通信で実家暮らしで、ゲームばかり。たまにバイトしたり、家の仕事を手伝ったりもしてましたけど、まともに働いてはいませんね。
ユースケその後はふつうにプレイして、上位に入賞したり、だよね。NabDに加わって変化はあったのかな。
Matcha2008年に(e-stars Seoulという世界大会の)日本代表になったんですけど、韓国に行って思ったのは、「何かすげえな」って。
ゲームの大会をオフラインのでかい会場でやる、っていうか海外に行くのもすごいなって思いましたし。韓国でプロゲーマーがリムジンから降りてきて、女の子からきゃーきゃー言われてるんですよ。
ユースケそっか。10年くらい前ってちょうどそういう時代だ。韓国とか台湾では、そういう雰囲気がすでにできていたんだよね。
Matcha当時は『スタークラフト』が人気でしたね。あれ何? アイドル? って通訳さんに聞いたら、「えっ知らないんですか? 国民的アイドル級のプロゲーマーですよ」と教えてもらって。
すげえ世界があるんだなって思いましたよ。僕が最初にプロゲーマーとかesportsって単語を聞いたのがそのときです。
ユースケ20代半ばから後半くらいのプレイヤーは、だいたいそこで衝撃を受けてるんだよね。
いまの子たちは“esportsが世界で人気”っていう前知識があるけど、当時は知らない人が大半だから、カルチャーショックに真正面からぶん殴られる。
Matchaさすがに焦りました。高校でまともに勉強していないのに進学とか就職なんてできんのかなとか。ゲームばっかりやってて大丈夫かなとか。
そこで何かしたかと言えば、してないです。そのまま実家にいて、家のことを手伝いつつ、ゲームやりつつ、どうするかなって。
ユースケうわ、精神的につらそう。でも、そうだよね。ここでさ、「必死に勉強して取り戻しました」みたいなサクセスストーリーはよく聞くけど、簡単にはいかないよ。たぶん僕もそういう状況にあったら何もできないと思う。
Matchaずっとゲームやって、このまま家の仕事を手伝って生きていくのか、それとも別の道で何かやるのか。最終的に行きついたのが、ゲームを続けること。それでご飯を食べたいという考えが芽生えて。
うちの家業は父親がやりだしたことなんです。おれはおれでやりたいことを貫き通したくなったんですよね。父さんを見ちゃってるんで、やりたいことを貫き通している人を。
ユースケゲームで生きていくために東京に出る。いちばんゲーム会社が集まってるのが東京だからねえ。
Matcha親からは猛反対されました。ゲームのためだけに東京に行くなんて納得できないですよね。
ユースケそりゃそうでしょ。
Matchaじゃあ勉強する、専門学校に行くわって。お金の面も親と話し合って、専門学校に行くことになりました。2009年の12月に決まって、願書を出して、合格通知もらって。1月末に東京に来て部屋を決めて、2月中旬から東京生活。
2年間は専門学校に通ったんですけど、まぁー学校には行かなかったですね。ゲームばっかり。
ユースケだろうなって気はしてた。
Matcha(笑)。学校の先生にも何で学校に来ないのかって説教はされました。こういうの(『サドンアタック』)やってて、夜遅くまで練習があるから起きられませんって説明したりして。
テストの3日前くらいになったら「学校にあまり来てないし、勉強してないでしょ」って友だちの家に呼ばれて、勉強を教えてもらって、何とか試験は通るという。
ユースケ何だかんだで会う人に恵まれてるよね。両親も送り出してくれてるわけだし。
Matchaそうなんです。運がいいと思います。周りにいい人が多い。プレイヤーを続けながら学校に行って、何とか卒業はできました。
ユースケいまは就職して両親も安心してると思うけど、当時はハラハラしただろうね。さすがにさ、ちょっとくらい勉強する姿勢を見せてあげてもいいと思うよ。
Matchaその辺は、はい、反省してます……。
プロゲーマーになろうと思わなかった理由
ユースケ当時、プロゲーマーとしてやっていこうとは思わなかった?
Matchaもともとの考えが“ゲームで(自分の人生を)どうにかしたい”で、プロゲーマーになりたいっていう強い意志はなかったんです。
というか、当時は将来が見えてなかったし、ゲームばかりしていたので、“選手”以外のことをわかってなかった。その辺は周りの人に聞きながら勉強すればいいかなと思ってました。
いろんな人と話したり、イベントに出たり、大会スタッフをやったり。何があるのか、(ゲームに携わる人たちが)どういう仕事をしているのか、自分で経験しないとわかんないんですよ。
Matchaたとえば、デバイスメーカーがどうやって製品を作っているのか、とか。その頃はちょうどDHARMAPOINTさんがすごいよくしてくれていたので興味はありました。
作る現場を見るんだったら日本のブランドのDHARMAPOINTさん。steelseriesさんとかRazerさんとかは、海外の会社が作った製品を日本の流通に乗せるのが仕事って感じですよね。
ユースケだいたいそんな感じだね。
Matchaそれ以外だとイベント。松井さん(※)の会社とか。長縄さん(※)もですね。そういったゲームに携わる人たちが日常的にどういう仕事をしているのか、見聞きしないとわかりませんよね。
(※松井さん:株式会社グルーブシンク代表取締役・松井悠さんのこと。デザイン会社ではあるが、Red Bull系ゲームイベントのプロデュースなど、イベント運営業務も行っている)
(※長縄さん:E5 esports Works代表取締役・長縄実さんのこと。当時から株式会社成の代表取締役として数々のイベントを手がけてきた)
ユースケなるほど。具体的に知りたかったんだ。
Matchaどういうのがあるんだろ。ゲームはどういう風に成り立っているんだろ。それが知りたくて。
もともと、ものを作るのが好きなんですよ。技術があるわけじゃないですけど。そういうのも含めてDHARMAPOINTさんはいいなって思ってました。どっちかというとプロゲーマーは厳しいだろうなって。
ユースケ実力的に? 将来的に?
Matcha(当時の状況では)よくわからなかったんですよ。プロって言っても、どうするの? どうやってお金を稼ぐの? って。
ユースケチーム5人がプロになるとして、ゲームだけで食べていくためには、そうだなあ。年収ひとり400万円として5人で2000万円。超ざっくり見積もって、最低限それだけ稼がないと。
いまだったら“メーカーの製品を配信で宣伝したりして報酬をもらう”とか考え付くだろうけど、当時はそんなのほとんど聞かなかったもんね。メーカーからデバイスを提供してもらうくらい。
それでも、デバイスもらって「いえーいプロです!」って人は当時からいただろうし、たぶんいまでもいると思う。MatchaくんもNabDもそうはならなかった。
Matchaうーん、そうですね。そうなろうとは思わなかった。いろいろ見聞きしているうちに、僕が(メーカーの)中に入って、ゲーマーといっしょに仕事をしたいと思うようになりました。協力してマウスを作ったりとか。
DHARMAPOINTさんは(ブランド自体が)なくなったこともあります。いまは復活してますけど、2度なくなりましたよね。2回目になくなったのは2013年の秋頃なんですけど、何だかんだで待ってました。
ユースケ復活するのを? 「いっしょにやろう」って誘われるのを?
Matcha両方ですかね。なくなったタイミングで、海外のデバイスメーカーさんから声がかかったんですよ。でも、やっぱりものを作る側でいたいっていう意地があってお流れになっちゃったんですけど。
ユースケ意地ってどういうこと?
Matcha(流通メインだと)こっちの意見が通らないでしょって。
ユースケたしかに意見が通りにくいイメージはあるね。“プレイヤーと協力してデバイスを作る”という目的に合わせて動きたかったということかな。就職は目的ではなく手段。
Matchaその後で人生どうするかなってまた考えて、でもやっぱりゲームなんですよ。デバイスメーカーは厳しかった。いまからゲーム会社に入ってやっていけるかなと考えているときにネクソンと縁があって。
せっかくもらったチャンスだし、(『サドンアタック』で)お世話にもなっているので、何かできることがあるんであればやりたい。あと、僕も僕で今後の人生につなげるためにいろいろ勉強したいと思って入社した恰好です。