亥年のゲーム業界ではどんな出来事があったのか? 過去3回ぶんの亥年のおもなニュースを振り返る
2019年の干支は“亥(いのしし)”。子(ねずみ)、丑(うし)、寅(とら)、卯(うさぎ)……と順に数えて、2019年の“亥”で干支が1周することになるので、いわば大トリである。そこで今回は、過去の亥年にゲーム業界で起こったおもな出来事をまとめてみた。2019年のゲーム業界で何が起こるのかは現時点では不明だが、亥年の傾向を調べれば、ある程度の傾向が見える……かも!?
1983年 ファミリーコンピュータ発売
1971年は、ビデオゲームがまだこの世に誕生していないので、最初に振り返る亥年は必然的に1983年となる(ちなみに、世界初の家庭用ゲーム機“オデッセイ”がアメリカで発売されたのは、翌1972年の子年……惜しい!)。そんな1983年には、皆さんご存じ、任天堂の家庭用ゲーム機“ファミリーコンピュータ”(以下、ファミコン)が発売された。
ファミコンの誕生によって、日本のみならず、世界のゲーム業界が飛躍的に発展したと言っても過言ではないので、最初の亥年からいきなり超大物が誕生したことになるわけだ。ちなみにファミコンが発売されたのは1983年7月15日だが、これとまったく同じ日にセガ・エンタープライゼス(現セガゲームス)の家庭用ゲーム機“SG-1000”が発売されたことも特筆すべきだろう。また、バンダイからは“アルカディア”も発売されており、1983年はゲーム業界にとって最初の“ハードの年”とも言えるくらい、家庭用ゲーム機市場がにぎわった年だった。
ファミリーコンピュータ
1995年 記念すべき第1回“E3”が開催
1995年には、家庭用ゲーム機では初となる、3D立体視に特化した“バーチャルボーイ”が任天堂から発売された。ゴーグルタイプのモニターとコントローラがセットになっており、テレビに接続しなくても3Dのゲームが楽しめるという、かなりユニークなコンセプトのゲーム機だったが、対応ソフトの少なさもあって、残念ながら大ヒットにはつながらなかった。
しかし、プレイステーション VRなどの台頭により、VR(仮想現実)が世間的に浸透した現代に発売されていたらどうなっていただろうか? あまりにも時代を先取りしすぎていた感は否めないが、 このタイミングで後継機が発売 ……なんてことになったらおもしろいと思うのは、筆者だけではないはずだ。
ゲーム機以外にも、1995年には大きな動きがあった。アメリカ・ロサンゼルスで毎年初夏に行われている、世界最大規模のゲームの見本市“Electronic Entertainment Expo”( 以下、E3)の記念すべき第1回が行われたのがこの年だったのだ。ちなみに“E3 1995”は 1995年5月11日~13日(現地時間)に、現在も会場として使用されているロサンゼルス コンベンションセンターで行われ、任天堂が翌1996年に発売する“ニンテンドウ64”の製品見本(現地の名称は“ウルトラ64”)を展示したり、セガが北米で発売されたばかりのセガサターン向けに、日本未発表の『バーチャファイター リミックス』を出展したりと、各ハードメーカーがこぞって目玉ネタを用意。第1回からかなりの盛況ぶりで、現在でもゲーム業界には欠かせないショーとなっている。
バーチャルボーイ
2007年 『MHP 2nd』と『Wii Fit』が発売
2007年は、カプコンから『モンスターハンターポータブル 2nd』(以下、『MHP 2nd』)が2007年2月22日に発売され、プレイステーション・ポータブル(以下、PSP)初のミリオンセラーに。同ソフトの影響もあり、同年9月20日にソニー・コンピュータエンタテインメント(当時。現ソニー・インタラクティブエンタテインメント)から新型PSP(PSP-2000)が発売されたが、『モンハン』ユーザーを中心に多数の購入希望者が殺到。しばらく品薄になるほどの大ヒットとなった。
一方で、任天堂が2006年12月2日に発売した“Wii”が、これまでゲームにあまり触れてこなかったユーザーにも支持されて、2007年12月1日に発売された『Wii Fit』のブームにつながった。コアな ゲームファンを中心にPSPの普及に貢献した『MHP 2nd』と、主婦層など非ゲームユーザーを開拓した『Wii Fit』。コアユーザーと新規ユーザーという、まったく性質の異なるユーザーを中心に支持された、ゲーム業界にとっても非常にエポックメイキングなタイトルが発売された年だった。
『モンスターハンターポータブル 2nd』