2005年7月26日にアーケードゲームとしてスタートした『アイドルマスター』(以下、『アイマス』)シリーズが今年15周年を迎えた。それを記念して、アーケード版『アイマス』プロデューサーの小山順一朗氏、『アイマス』シリーズ総合プロデューサーの坂上陽三氏、『アイマス』サウンドプロデューサーの中川浩二氏にインタビューを実施。『アイマス』プロジェクト誕生の経緯や、15年間の思い出など、たっぷり語っていただいた。

※本インタビューは、新型コロナウイルス感染拡大予防の対策を十分に行ったうえで実施しています。

小山 順一朗(こやま じゅんいちろう)

アーケード版『アイマス』プロデューサー(文中は小山)

坂上 陽三(さかがみ ようぞう)

『アイマス』シリーズ総合プロデューサー(文中は坂上)

中川 浩二(なかがわ こうじ)

『アイマス』サウンドプロデューサー(文中は中川)

「つぎの1年はないかもしれない」から15周年へ

――15周年を迎えた率直な感想を聞かせてください。

小山ここまで続いて本当によかったです。ナムコブランドとしては、『鉄拳』シリーズ(第1作は1994年発売)、『テイルズ オブ』シリーズ(同1995年)、『エースコンバット』シリーズ(同1995年)、『太鼓の達人』シリーズ(同2001年)などに次ぐ、長寿タイトルになりました。

坂上15周年続いたのは本当にありがたいことですね。でも、アーケードのころからスタッフが積み重ねてくれた結果だと思っています。アーケードチームのスタッフが家庭用も手伝ってくれて、家庭用のスタッフはアプリも手伝ってくれて、みんなで積み重ねてきたという思いが強いです。なんと言っても、強く支えてくださったプロデューサー(お客さん)の皆さんのおかげで成長してきたコンテンツだなと。それこそライブのタイトルに1周年や2周年と付けていたのは、「つぎの1年はないかもしれないから、今年がんばろう」という思いだったからなんです。そういう意味でも15年を迎えられたのは感慨深いですね。

中川もちろん最初から15周年を目指してやっていたわけではありません。つねに過渡期のように新しいものを考えていく中で、気が付いたら15周年になっていたので、僕は「結果として15周年を迎えました」という気持ちでもあります。ただ、15年間同じコンテンツに関わり続けながらも、いまでも刺激をもらえているというのは、クリエイターとしてすごく幸せですね。

――1年1年積み重ねてきた結果が15周年につながったということですね。

坂上そうですね。本当に1年1年が大事だなと実感しています。10周年を超えたあたりからは安定しているということもあるのですが、いまも思いは変わりません。

――では続いて『アイマス』の始まりについてうかがえればと。そもそも『アイマス』はどういう経緯で制作がスタートしたのでしょうか?

小山当時のアーケードゲーム業界は、カードを使ってデータを保存し、長期的にプレイするゲームが出始めたころでした。そんな中で弊社としても、そういったゲームを作ることになり、タッチパネルで遊べる『ドラゴンクロニクル』というシミュレーションゲームを開発しておりました。そのときに「女の子をテーマにしたら、もっと人気が出るのでは?」と考え、『(仮称)アイドルゲーム』として制作したのが始まりです。

中川それが2002年ごろですよね?

小山そうですね。ちなみに『アイマス』というタイトルは、『ドラゴンクロニクル』が開発中に“ドラゴンマスター”と呼ばれていたことに由来しています。

――なるほど。

小山そして、『(仮称)アイドルゲーム』の開発がスタートしてから数年後にロケテストを行ったのですが、ロケテスト第2回のサントロペ池袋店(当時)では、400分待ちになるほどの盛況ぶりでした。ロケテスト当日の朝、店の前を通ったら店舗を囲むほどの行列ができていて、「もしかして、『アイドルマスター』の列なの!?」と驚いたのをいまでも覚えています。

――その後、Xbox 360で家庭用版が発売されるわけですが、坂上さんはどのようにしてプロジェクトに関わることになったのでしょうか?

坂上ロケテストで盛り上がっていたということもあり、アーケード版の稼動がスタートする前から、家庭用版を含めたマルチ展開をしていこうという流れがありました。そんな中で、僕はもともとアーケードゲームの出身だったということもあり、当時の上司から「ちょっと見てきて」という指示を受け、打ち合わせに行ったところ、いきなり家庭用版のプロデューサーとして紹介されました(笑)。そのときはまだゲームを見たこともなくて、打ち合わせが終わった後、小山さんといっしょに試作室で、置いてあったアーケード版を教えてもらいながらずっとプレイしていました。ちなみに僕が最初にプロデュースしたのは(菊地)真です。

――「これをどうやって家庭用ゲームにしよう?」といったことを考えながらプレイされていたのですね。

坂上そうですね。ただ、『アイマス』はアーケードゲームではありますが、テーブルでゆったり遊ぶゲームになっていたので、仕様などを含めて家庭用ゲームにしやすい仕組みだったと思います。しかもハードの世代が変わるタイミングでしたので、非常にやりがいがあるなと思っていました。

――Xbox 360版はグラフィックもすごくキレイになりましたよね。

坂上Xbox 360版を制作するにあたって、最初にトゥーンシェードで作る意味があるのかということを考えましたね。というのも、それまでは、無理にポリゴンのトゥーンシェードにしないで、イラストのほうがいいなと思うようなゲームがあったんですよね。ただ、『アイマス』に関しては、歌って踊るという要素があり、トゥーンシェードにすることで映えると思ったので、そこを突き詰めるようにしました。その認識をスタッフで共有してスタートできたのは大きかったですね。

――アイドルたちが歌って踊る姿はもちろんですが、そのための楽曲も『アイマス』の魅力ですよね。中川さんは現在サウンドプロデューサーを務めていますが、どういう経緯で関わることになったのでしょうか?

中川最初はひとりの作家としてプロジェクトに参加していました。アーケードの『アイマス』が立ち上がったときに、社内でアイドルの歌唱曲を作る人を募集していたんです。僕はアイドルが好きなこともあり、「そんな企画があるなら、ぜひやってみたい」と思って手を挙げました。それが2002年末ごろですね。そこから誰がどのアイドルの曲を作るのか決めていく中で、(双海)亜美・真美が元気な子ですごく印象に残ったため、彼女たちを選びました。それで『ポジティブ!』を作ったのが始まりでした。

――サウンドプロデューサーという立ち位置になったのは、いつからなのですか?

中川2008年ごろに坂上たちから「サウンドプロデューサーをお願いできないか?」と相談を受けまして、音楽ディレクションを行うことになりました。

――そこから考えても10年以上経っているのですね。ちなみに『ポジティブ!』を作られたときに、アイドルが好きな気持ちやアイドルの曲を聞いていた経験は活きてきましたか? それともそこは気にせず制作されたのでしょうか?

中川やはり、それまでに好きでアイドル曲を聴いていた影響は大きかったと思います。それこそ、当時好きだったアイドルグループなどの楽曲では、「イェーイ」や「フゥー」といったコールが行われていて、そこへの憧れや、子どものころから聴いていたアイドル曲への憧れを自分の中で詰め込んで作りました。ですので、そんなに奇をてらってはなくて、好きだったものをそのまま入れたという感じです。

――当時のサウンドプロデューサーからは、「こういうふうな曲にしてほしい」というようなオーダーはあったのでしょうか?

中川とくにはなかったです。というのも、どのアイドルの曲を作るのかを決めるときに、アイドルの雰囲気、イメージカラーが書かれたリストがありましたし、実際の制作前にはキャストさんも決まっていたので、それらの情報を参考に作りました。

――ということは、キャラクターやキャストさんの声質などを考えながら、イメージを膨らませていったという感じでしょうか?

中川そうですね。楽曲を作る前に、亜美・真美役の下田(麻美)さんとお会いして、お話しをしたりもしました。

坂上当時は高校生でしたよね。

小山そうそう、地元の鳥取から通っていてね。

中川そのときに「どういう曲がいいですか?」というお話もしました。ただ、その意見をすべて参考にしたわけではないですが、どんな声の感じなのかを確認したうえで作り始めましたね。

――アーケードや家庭用の『アイマス』では、すべての曲をアイドル全員が歌いますよね。それは、曲を作るうえでのハードルにはなっているのでしょうか?

中川最初は各アイドルのソロ曲としての意識はありましたが、全員が歌うということは意識していなかったのではないかなと思いますね。少なくとも僕はイメージしていなかったです。でも、最初は意識していなくても、ゲーム性として全員が歌うものだとわかってからは、「セリフを入れることで、アイドルごとの個性が出せるのではないか」というように、作家としてはそれありきで考えるようになりました。そういう変化が起こりながらコンテンツが続いていく中で、たとえば765プロオールスターズの楽曲は全員がそれぞれ歌って個性が光る曲にしようと、自然に考えるようになってきたと感じていて。そういった環境や変化が、いまの各ブランドの個性にもつながっているのかなと思います。

――なるほど。そもそも全曲を全員が歌うことにしたのは、どういう経緯だったのでしょうか?

小山本当はハモリをさせたかったのですが、ハモリはできないということだったので、ユニゾンをやるかと。

中川それは難しいですよね。データ量が膨大になる(笑)。

小山でもね、アイドルが3人で踊っているのに、ひとりしか歌わなかったらおかしいですよね。だから、ユニゾンはやりたかったんです。

――そういうことだったのですね。ちなみに小山さんからは、楽曲に対するオーダーなどはしたのでしょうか?

小山あまりないですね。「『THE IDOLM@STER』はいちばんアイドルっぽい歌にしてね」というようなことは言いました。

――そのほかの楽曲は、先ほど中川さんが話されていたように、アイドルたちの雰囲気やイメージカラーで作っていったということですね。

小山そうですね。

坂上当時のゲームでは、歌唱の入った曲がそれほど多くはなかったので、サウンドチームはおもしろがって参加していましたね。

小山最初はおっかなびっくりだったんですよ。当時のサウンドチームはハウスやテクノのような曲を作っていたので、「アイドルの曲を作ってほしい」とお願いしたら「はぁ?」と言われるのではないかなと(笑)。でも、みんな「やりたい!」と言ってくれたのでホッとしました。

中川アイドルの曲を作ったことがない人がほとんどでしたから、やりたいものの方程式も正解もわからなくて。そして、思い思いに作った結果、個性は出たもののバラバラで幅広い楽曲となってしまいました。それで全体をまとめる曲として、『THE IDOLM@STER』を作ることになったんでしたよね?

小山そうです。このゲームを象徴する曲がないという話になって、作ってもらいました。

――ちなみに『THE IDOLM@STER』という曲名はどなたが決められたのですか?

小山プロデューサーの特権で、僕が決めました(笑)。

『アイドルマスター』15周年記念開発スタッフインタビュー、小山順一朗氏×坂上陽三氏×中川浩二氏。プロジェクト誕生の経緯や15年間の思い出などを語る_01

ターニングポイントはアニメとソーシャルゲーム

――その後、『アイマス』シリーズは『アイドルマスター シンデレラガールズ』(以下、『シンデレラガールズ』)や『アイドルマスター ミリオンライブ!』(以下、『ミリオンライブ!』)といった新しいブランドも生まれ、さらに広がっていきましたが、当時いまのような展開を予想されていましたか?

小山さすがにしていないですね。春香の「ドームですよっ! ドームっっ!」というセリフが、まさか実現するとは思っていませんでした。

――西武プリンスドーム(現在はメットライフドーム)で行われた“THE IDOLM@STER M@STERS OF IDOL WORLD!!2015”(以下、“10thライブ”)は本当に夢のような空間でしたね。では、小山さんから見て、『アイマス』シリーズのターニングポイントはどこだったと思いますか?

小山ひとつは、ソーシャルゲームに展開したこと。あれで、遊んでくださる人が急激に増えて世界が変わりました。もうひとつは、テレビアニメですね。

坂上アニメは錦織(敦史)監督との出会いが大きかったですね。『アイマス』に興味があるということで知人の紹介でお会いしたのがきっかけでした。最初はPVを作りたいというお話だったのですが、話を聞いているうちに「どうせならテレビアニメをやってみませんか?」ということになりました。

――テレビアニメは錦織監督を始めとする、スタッフ皆さんの愛が溢れていましたね。

坂上本当にありがたいです。そして、テレビアニメの放送中にプレイステーション3版『アイドルマスター2』の発売と、『シンデレラガールズ』のサービスがスタートしました。『シンデレラガールズ』を始めたころのソーシャルゲーム業界は、ダメなら3ヵ月でサービス終了というような時代でした。でも、そんな中でも新しいことをやってみるのはいいかなと。あと、『アイマス』とソーシャルゲームは相性がいいと考えていたんです。当時、ゲームに対して興味があるのに遊ばない理由のひとつとして、「時間がない」ということが挙げられていました。時間がないというのは、家に帰って家庭用ゲーム機の電源を付けるのが面倒ということもあり、それなら日常に密接に関わっている携帯電話でいつでも楽しめるのはいいのではないかと考えました。

――テレビアニメとの相乗効果もあり、大ヒットでしたね。いま、『シンデレラガールズ』のお話がありましたが、『アイマス』はそのほかにも『ミリオンライブ!』、『アイドルマスター SideM』、『アイドルマスター シャイニーカラーズ』といったブランドが存在します。これらの作品を作るうえで、『アイマス』シリーズの作品として、これだけは絶対守っているというルールのようなものはありますか?

坂上アーケードゲームからずっとつながっている、プロデュースゲームであるというところですね。パッと聞いた感じでは、アドベンチャーゲームかリズムゲームか、どんなゲーム性なのかピンとこないと思われるかもしれません。『アイマス』はキャラゲーとも言われたりもしますが、ほかのキャラゲーとは違うところがあります。それは、主人公がプロデューサー、つまりプレイヤーが主人公であるというところです。プロデューサーがいて、アイドルがいて、その関係性を描くのが『アイマス』ということです。ただ、テレビアニメについては、むしろ女の子たちを主人公として、その成長を描くというストーリーにしています。

――『アイドルマスター ディアリースターズ』では、アイドルが主人公でしたが、それは特別ということですね。

坂上そうですね。あれは一度、アイドル視点のストーリーものとしてやってみようということで、挑戦してみました。ただ、原点に戻って考えてみると、最初にアーケード版『アイマス』をプレイしたときに感じたのが、プロデューサーとアイドルという立場が違うふたりの関係性です。アイドルたちはトップアイドル、プロデューサーはトッププロデューサーという、同じようで少し違う目標に向かって、協力して成長し合う関係性が儚げに感じました。アーケード版『アイマス』では、アイドルのプライベートはわからないようになっています。たとえば、真がビリヤードを好きなことはメールでしかわからなくて。そういうところが、リアルだなと。実際に会社で仕事をするときも、相手のプライベートまでは深く知らないですよね。でも、そこがちょっとミステリアスでもある。そういう関係のふたりがお互い信頼し合っているところが、『アイマス』のおもしろい部分だと思っていたので、そこは大事にしています。

――アーケード版で生まれたイズムを、15年間受け継いでいるわけですね。

小山ありがたいですね。アーケード版では引退すると「プロデューサーさん。ごめんなさい。私がんばれなくてここで終わっちゃいました……」といった内容のメールが届くようになっているので、帰りの電車の中で泣いている人とかもいましたね。

坂上ロケテストでも、プロデュースがうまくいかなくて「ごめん、(如月)千早……」と言っている人がいましたよね。

中川自分のプロデュースが失敗したから、そうさせてしまったというふうに思ってしまうんですよね。

小山『アイマス』は「すべての人たちに新しい日常を」というテーマだったので、多くの方がゲームセンターに足を運んで、お互いのことを「プロデューサー」と呼び合って交流してもらえて、本当によかったなと思います。

――イベントなどでもプロデューサーどうしの名刺交換が文化のひとつになりましたね。では、楽曲のほうでは、ブランドごとに決めていることはあるのでしょうか?

中川それはないですね。生まれてくるものは、コンテンツによって変わっていくものだと思っています。それこそ、765プロオールスターズの場合は全員歌うところからスタートしているので、全員にフィットすることが条件になっていきましたが、765プロオールスターズがテレビアニメになったときは、テレビアニメのシーンに合わせた楽曲を作っていました。

――そのときの状況などに合わせて、方向性を考えているということですね。

中川そうですね。このブランドはこの方向でいくと決めたり、ほかのブランドでこういうことをやっているので、このブランドではそれをやめましょうというような決めかたをしているわけではありません。たとえば『シンデレラガールズ』であれば、「シンデレラ」という言葉がパワーワードだと思うので、初期のころはその言葉のイメージが強かったというのはあったと思います。ですが、『アイドルマスター シンデレラガールズ スターライトステージ』が生まれたり、進化していく中でどんどん変わっていくので、一度決めたルールを守り続けるほうが、変われないリスクにもなるのかなと思います。時代によって音楽性に合わせたり、ゲームに合わせたりするのですが、各アイドルが持つイメージや、アイドルとプロデューサーの関係など、変わらないものもあります。そこを意識することはありますが、ほかにはあまり楽曲についての軸を作ったりはしませんね。

坂上それなのになぜか差別化されているという、不思議なコンテンツなんです(笑)。

――そういう意味では、先ほども話題に出ましたが、作家性が強く出ているから結果的に差別化されているという感じでしょうか?

中川それもありますね。あとは、ブランドそれぞれが進化していくのだと思います。最初は似ていることもあるけれども、そこから広がっていく段階で求められるクリエイトが変わり、結果、差別化されているのではないでしょうか。

『アイドルマスター』15周年記念開発スタッフインタビュー、小山順一朗氏×坂上陽三氏×中川浩二氏。プロジェクト誕生の経緯や15年間の思い出などを語る_02
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『アイマス』はこれからも動線の中に

――『アイマス』シリーズではいろいろな楽曲がありますが、皆さんはとくに印象に残っている曲はありますか?

中川僕は、いちばん最初に作った『ポジティブ!』ですね。いま聞くと不器用で恥ずかしいところもありますが、純真にアイドルが好きだったりという想いが乗っているんですよ。やはり、作家としてのスタートだったので想い入れは強いですね。

――ちなみに坂上さんと小山さんはいかがですか?

坂上GO MY WAY!!』ですね。初期の曲ばかりになってしまい恐縮ですが(苦笑)。

――坂上さんにとっては原点の曲ですよね。

坂上じつは、『GO MY WAY!!』はゲームがほとんどできていない状況で発表しなければいけなくて。だから、『GO MY WAY!!』を発表した東京ゲームショウ2006のPVでは、ゲームの説明が一切なかったんです。

――そうだったのですね。

坂上約2分間アイドルたちがいろいろな衣装を着ながら踊っていて、ロゴが出るだけのPVでどんなゲームなのかもわからないという。それを作るためにずっと『GO MY WAY!!』を聞いていたんですよ。しかも、『GO MY WAY!!』というタイトルがわかりやすいですよね、「我が道をいく」と(笑)。そういう意味ですごく印象に残っています。

小山僕は『蒼い鳥』ですね。いろいろな思い出があります。

――それはどういった?

小山『蒼い鳥』を作曲した椎名(豪)が、僕の確認を取らずにオーケストラで録音してしまったんです。当時は予算も少なかったので、「そんなお金は出せない」と怒りました。でも、いまとなっては15年も歌われる曲になったのでよかったなと思います(笑)。

中川『蒼い鳥』の個性というか、突き抜け感はすごいですよね。

――すごいインパクトでした。

坂上そういえば、最初にプレイしたときにもうひとついいなと思ったのが、楽曲のバリエーションの多様さでした。バラエティーに富んでいるところが、『アイマス』のおもしろいところであり、カオスなところでもあり、魅力のひとつですよね。

――『太陽のジェラシー』と『エージェント夜を往く』が同じ作品の曲とは思えないですよね。

坂上そうですね。『I Want』を初めて聞いたときは「(天海)春香の曲じゃないだろ」と思いました(笑)。『アイドルマスター SP』の春香の新曲として入ることになっていたので、初めて『アイマス』を遊んだ人はとまどうだろうと。事務所で会うときは、「おはようございます。プロデューサーさん」という感じなのに(笑)。

中川ちょっぴりドジで、お菓子作りが趣味の女の子と紹介されているアイドルが「そこに跪(ひざまづ)いて」ですからね(笑)。

坂上あのギャップがすごいですよね。しかもライブでめちゃくちゃ盛り上がるんですよね。そのカオス具合がいいですよね。

――『アイマス』の楽曲と言えば、初期のころからユーザーによる動画投稿などが盛んに行われていましたが、皆さんはどのように見られていたのでしょうか?

坂上いまだから言えますが、おもしろがって見ていました。じつは、それがテレビアニメを作るキッカケにもなっていたりもするんですよ。

――それはどういうことですか?

坂上最初はおもしろがって見ていましたが2~3年経ってくると、ゲームを知らない人たちが、ユーザーさんが作った動画を観て、キャラクターについて勘違いして捉えてしまっているなあと。

――二次創作要素が強くなってきたという感じですね。

坂上そうですね。悪ノリのまま定着してしまった感じで、たとえば、春香は“黒春香”という見かけと違って腹黒いキャラクターと思う人たちも出てきてしまいました。おもしろがってはいましたが、さすがに事実とかけ離れすぎてしまいまして。そこで、オフィシャルに『アイマス』のアイドルたちはこういうものですよと示さないといけないなというのが、テレビアニメを推進した理由のひとつです。確かに二次創作によって『アイマス』の認知も広がりましたし、プロデューサーさんにも楽しんでもらっていますが、『アイマス』の春香はこういう子ですと改めて伝える必要があると考えました。でも、自分たちのコンテンツを遊んでくれて広がっていくのはうれしかったですし、ありがたかったですね。いまで言うUGC(※1)の走りだったと思います。

※1 UGC……User Generated Contentの略で、一般ユーザーによって作られたコンテンツのこと。

――では、イベントやライブで印象に残っていることはありますか?

小山AOU ショー(※2)で開催した“ THEIDOLM@STER 6/9”です。

※2 AOUショー……アーケードゲームの展示会

中川ナムコのブースで歌を歌ったんですよね。とても狭いステージでキャストの皆が歌っていたのを覚えています。

小山当時はブースでライブをやるようなことはなかったので、多くの人が足を止めていたのが印象に残っています。

――ちなみに小山さんは10周年記念として行われた10thライブのステージにも上がられていましたが、夢のドームの景色はいかがでしたか?

小山ずっと上で見ていたのですが、プロデューサーさんがとても多くて「あんなところには行けないよ」と怯えていました(笑)。でも、皆さんが温かく迎え入れてくださって、ドームに行けて本当によかったなと感慨深かったです。

坂上本当にいろいろあって選ぶのが難しいのですが、僕は9thライブ(THE IDOLM@STER 9th ANNIVERSARY WE ARE M@STERPIECE!!)の大阪公演ですね。会場がものすごく暑かったうえに、しかも、ひとり3曲ずつくらい連続で歌う構成になっていて。すごくハードな環境でのライブでしたが、みんなすごくがんばってくれて、印象に残っていますね。

中川僕はやはり10thライブですね。曲数も多かったですし、2日間で公演の内容がまったく違いましたし、とにかく大盛りだったんですよね(苦笑)。休憩時間にもパフォーマンスをして、「プロデューサーさんたちですらトイレに行く時間がないのではないか」と心配になるくらいの詰め込みっぷりで。それを実現するために事前にいろいろ用意もしていたのですが、気温がどのくらい暑くなるのかとか、あまりにも不確定要素が多かったので、スタッフ側もめちゃくちゃ集中していました。だからこそ、2日間やり切って、終わらせることができた、安堵感や感動は特別なものでしたね。あの後にもライブをやっていますが、数年間は「10thライブに比べれば余裕です」というような、ちょっとした指標にもなっていました(笑)。

坂上あれだけ大きな会場は初めてでしたし、あのときのピリピリ感は半端ではなかったです。

中川やはり初めてあれだけ大きなことをやるので、作り手側も「皆さんに楽しんでもらえるものにしたい」という強い想いで取り組んでいたのですが、ときに意見がぶつかったりすることもあるわけですよ。そういったことも乗り越えて、最終的に作り上げられたというのは、感動しましたね。

坂上メットライフドームは、外光が入る構造になっているんですよ。陽が出ているうちにスタートして、ライブが進むに連れて、暗くなってくるとコンサートライトがよく見えるようになってきて。あのときの『Rebellion』は圧巻でしたね。一斉にコンサートライトの色が青(浅葱)から赤に変わった瞬間は「すげー!」と鳥肌が立ちました。

――では、最後に今後の『アイマス』の目標を教えてください。

坂上今年は『アイマス』として15周年を迎えましたが、最初に中川も言っていた通り、15周年だからということではなく、つねにつぎの一歩を考えています。家庭用では4ブランド合同のスペシャルユニットによる“プロジェクトルミナス”を描く『アイドルマスター スターリットシーズン』の開発を進めています。また、先日発表させていただきました『ミリオンライブ!』のアニメ化プロジェクトを始動したり、Youtubeではプロデューサーさんのみなさんの集う場所を掲げて“アイドルマスターチャンネル”を開設したりと、ゲーム、イベント、アニメを含めてプロデューサーのみなさんが動線の中でさらに楽しめるように取り組んでいこうと思っています。

――最後に全国のプロデューサーにメッセージをお願いします。

中川『アイマス』という世界で、プロデューサーである皆さんの存在はものすごく大きいものです。皆さんの願いや好きという想い、そしてプロデュース活動のすべてが、これまで続いてきた『アイマス』のいまにつながっていると感じています。アーケード版には、高木社長が「765プロはいつでも君を待っているぞ」というセリフがありますが、これからも興味を持って、プロデュース活動をしてくれる人が増えたらうれしいなと思います。

小山先ほどもお話しましたが『アイマス』は、「すべての人たちに新しい日常を」というのが最初のテーマです。そんな中で、いちばんうれしく思ったのは、『アイマス』を通じて友だちが増えたり、全国を練り歩く人がいたり、中には結婚したりという人がいたことですね。ちょっとした社会貢献をしている気分を味わえました。ぜひ今後もそういった活動を続けてもらえるとうれしいです。

坂上『アイマス』は15周年を迎えました。全国のプロデューサーのみなさん本当にありがとうございます。この節目の年に世の中はたいへんな状況となりましたが、プロジェクト一同がんばって乗り切って、プロデューサーの皆さんとともに“15年目の、その先に”向けて一歩を踏み出していきたいと思います。ぜひこれからも応援のほどよろしくお願いいたします。

『アイドルマスター』15周年記念開発スタッフインタビュー、小山順一朗氏×坂上陽三氏×中川浩二氏。プロジェクト誕生の経緯や15年間の思い出などを語る_06