成人PCゲーム業界おもしろマンガが出ています

 1990年代のエロゲー(美少女ゲーム)開発メーカーを舞台にしたコミック『16bitセンセーション 私とみんなが作った美少女ゲーム』(KADOKAWAより単行本1巻が発売中)。雑誌に連載されていたわけではなく、サークルで発表されていた同人誌がもとになっている1冊です。

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『16bitセンセーション』1巻
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 主人公の上原メイ子はPCショップでのアルバイト中に、店長に頼まれ店舗の2階へと上がる。部屋にはデスクとPCが並び、なにやらカタカタと作業中。そこは、(成人向け)PCゲームメーカー“アルコールソフト”の開発室だったのだ!

 絵が描けるメイ子はその腕前を買われ、しだいにグラフィッカーとしてゲームづくりに加わることになっていく……そんなあらすじの本作は、エロゲーメーカーのゲームづくりや葛藤をコミカルに描きつつ、1990年代のオタクカルチャーも回顧させる絶妙な臨場感が心地よい内容です。これがまた、おもしろい!

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 本作を描くのは、自身もPCゲームに造詣が深いマンガ家・若木民喜氏と、『うたわれるもの』シリーズでキャラクターデザインやイラストを手掛ける美少女ゲーム界のレジェンドクリエイター・アクアプラス所属のみつみ美里氏&甘露樹氏の計3人。単行本には、“原案:みつみ美里・甘露樹、漫画・若木民喜”とクレジットされています。

 現役バリバリのイラストレーターと、週刊連載中のマンガ家がエロゲー業界マンガを? 『16bitセンセーション』の作者3人に、本作が出版にいたった経緯や1990年代のエロゲー文化、コミケの想い出などをたっぷり語っていただきました。当時のアキバを知る人のみならず、全オタクに読んでいただきたい内容です!

マンガ『16bitセンセーション 私とみんなが作った美少女ゲーム』第1話(コミックウォーカー)

若木民喜 氏(わかき たみき)

大阪府出身のマンガ家。代表作は2008年から少年週刊サンデーで連載され、後にアニメ化された『神のみぞ知るセカイ』など。現在、ビッグコミックスピリッツにて『結婚するって、本当ですか 365 Days To The Wedding』を連載中。

みつみ美里 氏(みつみ みさと)

アクアプラス所属のイラストレーター。美少女ゲーム業界の超人気作家で、国内外に多くのファンを持つ。代表作は『うたわれるもの』シリーズや『ToHeart2』、『こみっくパーティー』など。サークル“CUT A DASH!!”を主宰。

甘露樹 氏(あまづゆ たつき)

アクアプラスに所属するイラストレーター。みつみ美里氏と共作が多く、『うたわれるもの』シリーズ、『ToHeart2』』や『こみっくパーティー』など、多くの大ヒットタイトルを手掛けてきた美少女ゲーム・イラスト界のレジェンド。

『16bitセンセーション』誕生秘話。会食中の会話からすべてが始まった

――本作は、原案がみつみさんと甘露さんで、漫画が若木先生という珍しい座組になっています。この企画はどのように生まれたのでしょうか?

みつみ3人で会食をすると、若木先生が描いてる漫画のネタについてよくお話するんです。あるとき、その話のなかで『16bitセンセーション』のもとになるような話が出たんだと思います。でも、その後私はその話をすっかり忘れてしまい、しばらく経ってから若木先生から「みつみさん、アレやりませんか?」と声を掛けてもらいました。あのとき、私は「アレってなんだろう?」と思ってました(笑)。

若木よくある話ですね(笑)。

――漫画の舞台を“90年代のPCゲーム開発”にするアイデアは、若木先生が発案したのでしょうか?

みつみどっちでしたっけ?

若木マンガの話をしていて、なんとなく決まった感じだったと思います。

みつみそうだったかも。会話の流れで決まったような感じですね。

若木あのときは、みつみさんがどれくらい真剣に「やろう」と言ってたのかわかりません。いまでもね(笑)。

一同 (笑)

若木でも、僕としてはこの企画はすごく好きだし、やりたかったんです。

――最初は商業流通ではなく、同人誌として頒布されたんですよね。

みつみそんな感じで動き出して、同人誌をどうやって頒布しようかと考えたとき、私がやっているサークル“CUT A DASH!!”で頒布することになりました。あ、そうだ。ぜんぜん関係ない話だけどちょうど若木先生に伝えようと思っていたことがあって。先日はクッキーありがとうございました! 量が多くて食べきれません(笑)。

――急に私信を伝えないでください(笑)! ええと、若木先生からみつみさんへクッキーが贈られたのでしょうか?

みつみそうなんです。お歳暮にいただきました。ありがとうございます。

若木いえいえ(笑)。今年はさまざまなイベントが潰れてしまってまったくお会いできなかったので、せめてお歳暮でも、と思いまして。

みつみ若木先生はスイーツマニアなので、いつもおいしいものを教えてくれるんです……と、まぁ、こんな感じでふだんから仲よくやらせていただいてます。

――皆さんは昔から仲がよかったのでしょうか?

みつみ若木先生が『神のみぞ知るセカイ』のアニメをやるときに声をかけていただいて、それから仲良くなった感じです。

若木気がつけば長いねぇ。いきなり『16bitセンセーション』から脱線した話ですみません(笑)。

――いえいえ。そういう関係性があったからこそ企画が始まったのですね。本題に戻りますが、『16bitセンセーション』の同人誌を初めて頒布したのはいつですか?

みつみ2016年12月の冬コミ(コミックマーケット)です。いままでに7冊と、総集編を1冊。計8冊を頒布しています。基本的にコミケでしか出さないので、夏コミ・冬コミのたびに増えています。

若木もうそんなに前なんだ? 気づくと長いねぇ。僕はとても楽しく描かせてもらってます。

みつみ私も楽しいですよ。

――初めて世の中に披露したときの反響は、いかがでしたか?

若木とてもよかったです。気に入ってくださる方が多くて、自然と周囲からネタが集まるようになりました。

――1990年代のエピソードが。

みつみそうそう、いろいろな人から「あのころこうだったよね」という話が集まって。なので、原案ではありますが、『16bitセンセーション』のストーリーは、私の自伝ではありません。漫画で描かれているネタは、基本的に若木先生が好きなゲームと、その作者との関わりを描いています。私の担当は、最初のきっかけと、小ネタ提供係です。私と甘露君の体験談は小ネタとして入っています(笑)。

若木いや、物語の骨子はみつみさんです(笑)。僕の中では物語のゴールがあるし、みつみさんたちがやってきたことがお話の中心なのは、ずっと一貫しています。それこそ、最初のころはキャラクターもみつみさんのイラストに似た雰囲気になるよう、寄せて描いていましたからね。

みつみあはは! 初めのキャラクターデザインは私と甘露君だったので、多少は似ていたのかな?

若木ですね。みつみさんからは「もっと好きに描いていただいていい」と言われてましたけど。

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『16bitセンセーション』冒頭

1990年代コミケの思い出。会場が変われば雰囲気も変わる

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――マンガにはコミックマーケットの話も出てきますね。1990年代のコミケって、どのような雰囲気だったのですか?

みつみ甘露君は1990年代もコミケに通ってたよね?

甘露1994年くらいから行ってましたね。

――やはり、いまとは違いましたか?

みつみいまといちばん違うのは、いまもっぱら会場になっている東京ビッグサイトがまだ存在しなくて、会場が晴海(※)でした。

(※東京国際見本市会場、通称:晴海国際貿易センター)

甘露それか、幕張メッセですね。

みつみ会場が違うと、雰囲気もぜんぜん違って。

甘露そうですねえ。あと企業ブースがなかったのも、いまとは大きな違いだと思います。

――企業ブースの物販は、それだけを目当てに訪れる人も大勢いますから、それがなかったらまた変わりますよね。

みつみ昔はメジャー感がなかったよね?

甘露いまと比べると、マイナーなイベントだったと思います。

みつみいまはけっこういますけど、テレビ局もほとんど取材に来ていなかったと思います。でも、有名な漫画家さんは当時からたくさん参加していましたし、会場内の雰囲気は言うほど変わっていないんじゃないかな。ただ、来場者数はどんどん増えていますね。

――若木先生の思い出は?

若木僕の1990年代は、あんまり外出していないんで!

一同 (笑)。

若木僕は上京して初めてコミケに行ったのは、1999年の夏コミだと記憶しています。友だちに誘われて行ったのですが、とにかく人が多くて「とんでもない場所だ!」と(笑)。あのころは、いまよりも“即売会”って感じがあったと思います。あ、そうそう! ちょうどいま、僕は『こみパ』(※)をやり直してるんです。

(※こみパ:恋愛アドベンチャーゲーム『こみっくパーティー』。同人誌即売会“こみっくパーティー”通称“こみパ”に出展するサークルを舞台とし、女の子と交流を深めながら物語を進めいく。攻略対象のヒロインが同人作家だったりコスプレイヤーだったりした。PCゲームとして発売された後、家庭用ゲーム機向けにも移植されている。発売: アクアプラス)

みつみ懐かしい!(笑)

若木『こみパ』を動かせるパソコンを作ってプレイしています。あのゲームの舞台って、1990年代後半ですよね?

みつみそうかもしれない。『こみパ』は「ゲームしか知らない層に、同人誌文化を広めた」とか当時言われていましたね。

――『こみパ』をプレイした人が、ゲームに出てくる「同人誌即売会って何だ」ということで、実際に足を運んだ人もいたり。

みつみそうした形でコミケに来る人も増えたんじゃないかと思います。

若木みつみさんに伺いたいのですが、いまのコミケって芸能人も参加していますよね? そうやってメジャーになっていく風潮は、どう思っていますか?

みつみ私はいいと思いますよ。アングラじゃない方が利点が多いと考えてます。もちろん、寂しくなっちゃう点もありますけどね。アングラよりメジャーなイベントの方が、何かあったときにみんなが助けてくれるのかなぁ?(笑) メジャーなイベントになった方が、コミケに参加するみんなが肩身の狭い思いで作品を作らなくていいし。

――昔は肩身が狭かったことも?

みつみ多少はあったと思います。私がうれしかったのは、企業ブースができたことです。あれはすごい強みなんですよ。

――と、言いますと。

みつみ企業で参加しているということは、コミケに理解があるということですよね? 公に「二次創作を許す」と名言してくれなくていいんです。でも、そういう文化について、多少はわかってくれているんじゃないかなぁ~と、私たちがそういう気持ちになれるからです。なので、参加してくださる企業さんは、とてもありがたいなと思います。

――出展している企業は、少なくとも「コミケなんて何も知らない」ということはないわけですもんね。皆さんがコミケに参加するときは、ご自身で売り子もするのですか?

みつみもちろんです! コミケは自分で作った同人誌を、来てくれた方に自分で手渡すのが楽しいんです。一般流通の場合、漫画もゲームも目の前で手渡しできる機会はほとんどありません。電気屋さんと本屋さんが売ってくれますからね。

――商業だとそうですね。

みつみ同人誌を作るというのは、欲しい人に自分で渡すことができるというのも醍醐味だなと思います。手にとってくれる方々は全員“同志”ばかりですし。冷やかしの人がいなくて、そういう一体感が楽しいんです。

――出展する際は、ほかのサークルの作品も手に取られるのですか?

みつみコミケの同人誌は一期一会なので、もちろん手に取ります。それに、遠方に住んでいる作家さん友だちと、同人誌の交換もします。これはすごく古くからある文化らしいですし、いまでも続いています。私も毎回、何100人の友達と交換しますよ!

――えっ、何100人ですか!?

みつみそうです。ダンボール何箱ぶんもあります(笑)。コミケはお祭りですからね。みんなが大好きなお祭りです。またリアルで開催できるようになってほしいですね。

初めてパソコンを触ったのは?

――マンガには、主人公の上原メイ子が初めてパソコンに触れる話が出てきますね。最初に触れたパソコンって覚えています?

みつみ私はシャープの“X68000”かな? これを使えばCGが描けると聞いたので、大学入学のお祝いに買ってもらいました。そうしたら数年後、いつの間にか弟がエロゲをたくさん買ってきまして……。

一同 (笑)

みつみ楽しそうに遊んでましたよ。そこで私は「こんなものがあるのか」と、エロゲの存在を知りました。

若木僕は中学1年のころ、ヤマハのMSXをお年玉で買いました。でも、あんまりおもしろくなかった……。ファミコンを持っている友達が、とてもうらやましかったです。

――MSXにもいいゲームはたくさんありますよ!(笑)

若木ヤマハ製というのがミソだったのですが、音楽をするわけじゃないし、ヤマハであるメリットを感じられませんでした。『ミステリーハウス』を遊んだ後、手放すことにしたんです。知り合いが欲しがっていたので、『めぞん一刻』全巻と物々交換しました。

一同 (爆笑)

若木値段を考えたら、えらい損した気分ですけどね。ですが、その『めぞん一刻』を読んで僕はマンガ家になろうと思ったんです。

みつみ正しい選択だった!?

若木そうですね。あれは人生の分岐点でした。

――いま、まさに『めぞん一刻』が載っていたスピリッツで連載されているわけですしね。甘露さんが最初に触ったPCというのは何でしたか?

甘露“ぴゅう太”はパソコンに含まれますか?(笑) それ以外でしたら、中学生になって「勉強に使えるから」と両親に懇願して買ってもらったシャープの“X1”が最初です。当時、地元に毎日のように入り浸っているPCショップがありまして、そこでゲームを遊んで興味を持ったんです。

みつみどんなゲームを遊んでいたの?

甘露チョップリフター』(※)とかかな? 当時のパソコンショップって、よく海外のゲームをお店で動かしてたんですよね。

※横シューティングゲーム。後にアーケードゲーム、ファミリーコンピュータ用としても発売されている。ファミコン版は1986年発売。

みつみ自宅以外で遊んだと言えば、私も『イース』や『ウィザードリィ』を初めて触ったのは友だちの家でした。

――PCショップといえば秋葉原ですが、皆さんは1990年代のアキバの思い出はありますか?

甘露僕はよく行ってました。当時の5インチフロッピーディスクは、10枚で2000円くらいしたんです。でも、アキバに行けばノーブランドが500円で買えました。なので、それを買いにアキバに通ってました。

みつみ私、パソコンを買ったのはアキバのソフマップだったよ。中古だったけどね。当時はパソコンを買いに行くんだったら秋葉原じゃない?

若木“ソフマップの中古”というのが、いかにも当時っぽくてリアルです(笑)。

みつみソフマップは中古パソコンがいっぱい並んでいたんですよ。NEC(日本電気)の“PC-9801”は高いから、エプソンの98互換機を買いました。当時のパソコンはとても高価だったのですが、互換機なら比較的安いんです。そして、中古はもっと安い!

――現在の秋葉原にはアニメショップなどもたくさんありますが、当時はどうでしたか?

みつみまだまだ“電気街”の方が強かったですよね。

甘露駅前に怪しい店がたくさんあって、おもしろい街でした。

みつみ用途がわからないパーツがたくさん売ってたよね。

甘露バスケットコートもあった。

みつみとくに気にもしてなかったけど、バスケットコートはあったねぇ。

――若木先生は秋葉原には。

若木僕は大阪在住ですから。日本橋・恵美須町の電気街“でんでんタウン”に行ってました。秋葉原と同じように、ソフマップとかいくつかの電気屋が集まってました。でもね、友達が東京に住んでいたので、たまには青春18きっぷを使って秋葉原に行ってました。

――日本橋と秋葉原とでは、街の雰囲気も違いましたか?

若木街の広さ、規模がぜんぜん違いました。アキバは超巨大電気街でした。美少女ゲームに関しても、品揃えがすごいなと。しかも安い!

みつみ私たちはエロゲを買いに行くのに、わざわざ秋葉原に行かなかったかも。新宿にもお店あったよね? ヨドバシカメラとかソフマップとか。

甘露あった!

――ああ、新宿にも電器店が集まっているエリアがいまでもありますね。

みつみそうだ! ヨドバシの近くのソフマップには知り合いが勤めていたんです。

甘露当時から仲よくしていましたね。

みつみちなみに、その人はいまウチの会社にいます。スカウトされてアクアプラスに来ました(笑)。

1990年代ゲーム開発の舞台裏。泊まり込み制作はホント!?

――『16bitセンセーション』に登場する“アルコールソフト”の開発室はPCショップの2階にあって、作中には何日も泊まり込んで制作するという描写がありますが、これはどこまで事実に基づいているんでしょう?

若木初期のころのアルコールソフトの描写は、僕が大学時代に経験したパソコンクラブの描写なんです。在籍していた京都大学のパソコンクラブはめっちゃ大掛かりで、文化祭の前になると何日も泊まり込むアジトのようでした。

――アジトですか!(笑)

若木高価なパソコンがいっぱいあって、限られた人しか入れない場所なんです。それが2ヵ所くらいあって、そこに泊まり込んで。そんな経験があったので「こんな感じかな~」と想像しながら描いてました。それで後から裏付けをとったら、実際にそういう環境だったみたいです。

みつみ実際、私が前の会社に在籍していたとき、開発室はマンションの一室でした。一ヵ月くらい帰宅できないのはよくあること。お風呂がついてるふつうの住居用の部屋に7~8人が集まって、ゲームを作っていました。なので、若木先生が描いたアルコールソフトの雰囲気は合っています。

――いま所属しているアクアプラスはそんな会社ではありませんよね?

みつみもちろんです(笑)!

甘露ホワイト企業です(笑)。

みつみ20年前はどこもブラックだったと思います……。いまは、多くのゲーム会社がホワイトになったんじゃないかな?

若木聞きたかったんだけど、ゲーム会社って、いわゆる“デスマーチ”みたいなのはないんですか?

みつみそうですねぇ。発売日の1ヵ月前とかだったらあるかもしれないですけど、めったにないんじゃないですか? 完成しなかったら、発売日を伸ばしちゃいますから。

一同 (笑)

若木ということは、当時から変わってないのはマンガ業界だけですか! 僕の制作体制は、ここ10年間で変わっていません。

みつみたぶん、週刊漫画家は“週刊”を変えないと、体制は変わらないんでしょうね。ゲーム業界は新作の発売周期が伸びていますよね。昔は1年後だったのに、2年後、3年後、5年後……と、どんどん伸びてます。だからホワイトになっていったんじゃないですか?

若木それはあるかもしれませんね。

みつみそれに、いまのゲーム開発は、数人が1ヵ月泊まりで作ったところで、どうにもならないんですよ(笑)。個人のチカラ技でどうにかできる時代は終わったんだと思います。

作画はアナログからデジタルへ。最近の開発&制作現場は?

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――ちょっとマンガの話からは離れますが、2020年はリモートワークが多くなり、働く環境が変わったと思います。最近、いかがですか?

若木アシスタントさんのリモートワークを始めました。いままで人がたくさんいた職場に誰もいなくて、まるで『16bitセンセーション』の(自分以外の仕事はほとんど外部の会社に外注している)キョンシーのような状態ですよ。

みつみ寂しい!(笑)

若木すっごく孤独です。そろそろみんなを呼んでもいいかなと思っても、まだ踏み込めませんね。

みつみ私もテレワークになって長いですね。もう半年かぁ。

若木初めは慣れなかったけど、いまとなってはラクチンになってしまいました。これはこれで、もういいかな~と思い始めています。

みつみ今年入った新人はとてもかわいそうです。たぶん1ヵ月くらいしか出社していないタイミングで、リモートワークになっちゃったと思います。中には1日しか来ていない子もいます。

若木テレワークでゲーム会社の新人教育ってできるんですか? めちゃめちゃ難しくないですか?

みつみそうなんですよねぇ。最近の私は、リモート会議の画面共有機能を利用して「はーい、新人講座やりまーす。うちの塗りはこうやって塗ります!」とか、配信者になったつもりで教えています。

若木そんなことやってるんですか?(笑)

みつみ「ふつうに配信しておカネを取りたい!」とか思いながらやってます(笑)。

若木それ、僕めっちゃ見たいです!

みつみ甘露君もやってますよ。

甘露肌の塗りの解説をやりました。

――門外不出の貴重なテクニック講座ですね! どんなことを教えているのでしょう。

みつみみんな得意な塗りかたがあるので、改めて教えるのは「いま、ウチの会社ではこんな塗りかたをしているよ」という基本的なことです。チームで仕事をするときには守るべき基準があって、それを教えている感じです。

――若木先生は作画はフルデジタルですか?

若木そうです。ペン入れからデジタルになったのは、『神のみぞ知るセカイ』の“女神編”の途中から完全デジタルにしました。

――2010年ごろですかね。業界内でもかなり早かったのではないでしょうか。移行するきっかけというのは?

若木そのころ、線画はアナログで、加工はデジタルでやっていて、そのためには線画を描いて乾かし、スキャンしてPCで作業……と、時間も手間も掛かる手法をとっていたので、「デジタルにしたほうがいいかな」と踏ん切りました。

――変えてみて、どういったところが利点でしたか。

若木デジタルは描き直しができるのが利点ですね。それ以外では、老化に耐えられるのがデジタルのいいところかなと思っています。今後も頭の中に描くイメージは昔と変わらないと思いますが、人間なので肉体的に衰えてくるはずです。年をとっても絵柄で進化できるのは、デジタルの利点だと思います。

みつみそれって、デジタルとアナログで違いますか?

若木年を重ねて握力が弱くなったら筆圧も変わりますしね。そういった理由で絵のタッチが変わる方もいると聞きます。ですが、デジタルだと変わらないんじゃないかな? あとは老眼とかも、拡大ができるデジタルの方が有利だと思います。

――やはり実際に描かれる方はデジタルの方が便利だと感じるのですね。

若木ですが、アナログは描いている感触が指に伝わるので、いまでも好きですね。紙にペンで“彫って”いますから。デジタルに移行したいまでも、「アナログは描いていて楽しいな」と思います。それに、アナログはすごく集中して描くから、その集中が絵に現れるときもあります。いまでもたまに思いますよ、「アナログに戻ったほうがいいのかな」って。

みつみなるほどね~。

――みつみさんと甘露さんはいかがですか? ゲーム開発自体がデジタルなものなので、作業もデジタルなのかなというイメージです。

みつみいや、昔はアナログでした。私がデジタルに移行したのは10~15年くらい前だと思います。最初の『うたわれるもの』を作っていた時代は、すべてアナログで描いてました。アナログで描いてスキャナーで取り込んで色を塗るんです。

甘露長いあいだずっとアナログでしたね。

みつみいま考えるとすごい作業だったよね(笑)。紙で描いた絵をスキャナーで取り込んだ後に、「頭をもっと小さくしよう……」とか加工してたんですよ。初めからデジタルで描いておけば、そんな手間はかからないのにね。でも、色を塗る作業は16色を卒業してから、ずっと板タブ(※)を使っていました。それなのに、絵を描くのは紙から卒業できませんでした。

※絵描き用の機器。ペン型マウスで実際に絵を描くように入力できる。液晶タブレット(液タブ)と異なり、液晶画面がない。

――紙に描いてスキャナーで取り込む作業は、面倒ではありませんでしたか?

みつみ面倒です。なので、作業を少しでもラクにするために、『こみパ』のときはGペンでペン入れしてました。Gペンは鉛筆よりも線が濃いので、スキャナーで取り込んだ後にゴミ取りがしやすいんです。

――ザ・デジタルなゲームの開発現場でも、アナログ描きもかなり残っていたんですね。

みつみもちろん、何度もデジタルで描こうと思って、液晶タブレットの導入を考えました。ですが、いざ電気屋さんに行って試し描きしてみると「あかんわ……」って。

一同 (笑)。

――それは何が“あかん”かったのですか?

みつみタブレットは描き味が違います。それに、当時は板面がツルツルで硬いものしかなく、思ったように絵が描けないんです。「みんなコレで描いてるのか。すごいなーっ!」と思いながらも、何度も挫折していました。

――では、デジタルに移行したのは?

みつみどうして移行できたのか覚えてません。「そろそろ移行しないとヤバいんじゃね?」とか思ったのかも(笑)。しかも、私はいまでも液タブで描いてなくて板タブなんです。使っている液タブっぽい機材といえば、2~3年くらい前から使い始めたiPadくらいですね。あれは液タブと呼べるのかな?(笑)

――iPadですか!

みつみいままで液タブは何度も挫折してきたのですが、iPadだと紙と同じ感じで描けるんです。いまの作業はiPadとパソコンが半々くらいです。

――では、甘露さんは?

甘露僕はみつみさんよりは、すこし早くデジタルに移行したと思います。液タブに慣れたきっかけは、時代が進むに連れ製造技術も向上していったのか、タブレット表面のガラスがだんだん薄くなってきて、ペン先と描かれる線の場所に差が出なくなってきたな、と感じたことですね。

エロければなんでもオーケーな世界。自由な土壌にスーパークリエイターが集結

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――1990年代や2000年ごろのPCゲーム業界には、虚淵玄氏や奈須きのこ氏を始めとした、いま第一線で活躍している才能豊かなクリエイターがたくさん集まっていたように感じます。その理由はなぜでしょうか?

みつみエロゲは自由でしたからね!

――自由。

甘露エロシーンさえあれば、どんなゲームでも(18禁で)出せましたから、その中で、いろいろな冒険をしている人がたくさんいました。

みつみ美少女のビジュアルは大勢のお客さんに受け入れてもらいやすかったのと、1990年代中盤には、OSが実質的に統一されたのもエロゲーがブームになった要因のひとつだと思います。そんな業界に尖った人たちが集まってきて、多彩な作品をつぎつぎと発表していました。家庭用ゲーム機では絶対に出せないようなゲームを発売できたのは、エロゲー業界の懐が深かったから。それに尽きると思います。

――作品を発表するのに、自由なフィールドは大事ですか?

みつみとても大事だと思います。たとえばマンガ雑誌の場合、雑誌のイメージがあるじゃないですか? 最近は変わってきているようですが、少年漫画誌には、その雑誌に連載されそうな作品のイメージってありますよね? でも、18禁のエロゲーは、エロゲーでさえあれば、本当に何でもよかったんです。主人公がどれだけ鬼畜でも、格好よくないオジサンでも、エロが入っていればオーケー。家庭用ゲーム機ではありえないような設定のゲームも許される、創作者にとってとてもいい土壌だったと思います。

――自由な土壌がクリエイターを育てた。

みつみそんなエロゲー業界でいくつかの作品がヒットして、それを見て、新しい才能どんどんが入ってきました。そしてまたエロゲーが広がり、ファンも増えていきます。当時の相乗効果はすごかったんじゃないかなと思います。

――1990年代の成人ゲームカルチャーは独特なものがありました。

みつみいま思い返すと、固定観念がないのがよかったと思います。おもしろいことがたくさんありました。いまはユーザー数は増えていても、「○○じゃないと売れない」とか、開発側からすると視野が狭くなってしまった部分もあると思います。

これからの『16bitセンセーション』はサクセスストーリー!?

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――最後に、今後の『16bitセンセーション』の展開や制作サイドの展望を、すこしだけお願いします!

みつみ当時の熱量をすべて込めつつ……私はネタだけ提供しています。それを若木先生が昇華させたマンガが、今後も続きますので楽しみにしていただきたいです。

若木1990年代後半からがオタクカルチャーの本番だと思うんです。いま出ている『16bitセンセーション』1巻は美少女ゲーム的にはまだ序章です。1990年代後半から2000年代の美少女ゲーム興隆期をがんばって描きます!

みつみこれから売れるところを描いてください!(笑)

若木それはもう、これからはサクセスストーリーですよ! だって、まだ“みつみ絵”も出てきてませんからね。

みつみそれはマンガに必要かなぁ?

若木絶対必要です! あのね、エロゲー雑誌を見ていると、あるタイミングから突然同じ絵ばっかりになってくるんです。みつみ美里という存在が、エロゲーの画風を一度すべて塗り替えたんですよ。そういうところも、エロゲー業界のフットワークの軽さというか、すごいところですよね。

――甘露さんはいかがでしょう。

甘露自分もがんばってネタ出ししますので、今後の展開を楽しみにしてください。半分は純粋に読者として読んでいて、僕も楽しみにしています(笑)。

みつみそうそう、私も(笑)。

若木いやいや、おふたりの意見はたくさん聞いてますから! いただいたネタは、ほぼすべて一発オーケーですしね。

みつみ基本的にマンガがおもしろけばなんでもオーケーなんですよ。

若木『16bitセンセーション』がおもしろいのは、作っている3人は同年代なのに、片方は発信側(ゲーム開発者)、もう片方はプレイヤーというところです。それがいま、こうやってタッグを組んで漫画を作ると、立場の違う両方の目線で描けるんです。あの時代のよかったところをふたつの視点で表現していますので、今後の展開も楽しんでいただけるとうれしいです。

インタビューは2020年12月、オンラインで行われた。

サシカエ03

コミックウォーカーで1話試し読みがスタート!

 2020年12月24日より、コミックウォーカーにて本作の第1話試し読みが公開! 興味を持った方はこちらから読んでみてはいかがでしょうか。

マンガ『16bitセンセーション 私とみんなが作った美少女ゲーム』第1話(コミックウォーカー)