メディア・ビジョンは、『ワイルドアームズ』や『ケイオスリングス』などを開発してきたゲーム開発会社。直近では、2021年12月に4周年を迎えたiOS/Android向けアプリゲーム『メギド72』の開発も担当している。
今回は代表取締役社長の福島孝氏に加えて、『SOUL SACRIFICE』や『New みんなのGOLF』などを担当していた元ソニー・インタラクティブエンタテインメントのシニアプロデューサーで現在はメディア・ビジョンの取締役を務める本村健太郎氏、そして20年以上メディア・ビジョンに勤め続ける梅澤晴美氏をお迎えして、30年間の想い出や苦労話などを伺った。
インタビューの終盤には現在開発中の新作タイトルに関する情報や一部デザインの先行公開も! その開発に関連して行われるスタッフの募集についても、求める人材像などについて語っていただいたので、気になる方はぜひ最後までご覧いただきたい。
福島孝(ふくしま たかし)
メディア・ビジョン株式会社 代表取締役社長。1993年にメディア・ビジョン設立。プレイステーションローンチタイトルから『ワイルドアームズ』シリーズ等の開発を経て、現在は様々な家庭用ハード向け作品や『メギド72』などのスマートフォン向け作品開発へと裾野を広げる。文中では福島。
本村健太郎(もとむら けんたろう)
元SIEシニアプロデューサー。『ワイルドアームズ』シリーズ、『Bloodborne』、『NewみんなのGOLF』をはじめ、プロデュース・監修・運営で約30タイトルを担当。2021年に同社退職後、メディア・ビジョンにゼネラルマネージャーとして入社。2022年1月より取締役に就任。文中では本村。
梅澤晴美(うめざわ はるみ)
メディア・ビジョン株式会社 ゼネラルマネージャー、取締役。2000年メディア・ビジョンに入社。現在はマネジメント業務を担当。『ワイルドアームズ アドヴァンスドサード』以降、主にメディア・ビジョン家庭用ハード向け作品約25タイトルを担当。文中では梅澤。
メディア・ビジョンの生みの親・佐藤明氏との出会い
――今年で創業から30年目を迎えるメディア・ビジョンですが、そもそも設立の経緯はどのようなものだったのでしょうか?
福島メディア・ビジョンを設立する前、私は日本テレネットという開発会社に勤めておりました。おもにPCゲームの開発と販売をしている会社で、私が入った当時は10人にも満たない規模で。後にパブリッシャーとして大きく成長していくのですが、その過程で多くの部署が新設され、そのたびに私が先陣を切って立ち上げを行っていました。営業、プロモーション、広告、宣伝、そして開発とさまざまな部署を経て、最終的には開発プロデューサーとしてゲームをいちから作るところまで経験することができました。この経験を活かして、だいたい30歳くらいまでには独立したいという夢があったのです。
――その夢はいつごろから抱かれていたんですか?
福島学生のころからですね。ゲーム会社に限らず、独立の道を選ぶか、一生サラリーマンとして上を目指すかの選択をするリミットが30歳だと自分の中で決めていまして。そしてちょうど30歳のときに、ソニー・コンピュータエンタテインメントの元会長で、当時はソニー・ミュージックエンタテインメント(以下、SME)でゲーム担当の責任者をしていらっしゃった佐藤さんにお会いできたことが、独立のきっかけになりました。
――佐藤さんとはどのようなお話をされたのですか?
福島SMEとソニーグループが共同出資で新しいプラットフォームを立ち上げるという話を伺いました。その際に佐藤さんが私の経験を評価してくださって、いっしょにお仕事をさせていただくこととなり、メディア・ビジョンを設立するに至りました。そのプラットフォームというのが、初代プレイステーションです。創業からしばらくはSMEの事務所の一画をお借りして、機材や開発環境もすべてお世話になりました。メディア・ビジョンにとって、佐藤さんは生みの親のような存在なのです。
――まさに運命の出会いだったのですね。プレイステーションという新たなチャレンジについて、当時はどう考えていましたか?
福島不思議と、プレイステーションビジネスの立ち上げが失敗するイメージは一切ありませんでした。スーパーファミコン全盛期だったこともあり、プレイステーションの立ち上げについてソニーの内部でも賛否両論あったと思いますが、佐藤さんを筆頭にいっしょに仕事をさせていただいた方々が優秀な方ばかりだったので、成功のイメージしか浮かびませんでした。実際、そのイメージ通りに成功したと思っています。
――佐藤さんとの出会いをきっかけに、プレイステーションビジネスからスタートしたメディア・ビジョンですが、創業時はどういう会社にしたいと思っていましたか?
福島プレイステーションというハードは将来どんどん進化していくだろうと想像していましたので、新たなプラットフォームが生まれたり、ゲームの遊びかたが変わったりしても、つねに時代に沿った新しいものを作り続けていく会社にしたいと考えていました。そうした想いから、社名には未来を見通すといった意味が込められています。
超短期間での『クライムクラッカーズ』開発。そして、代表作『ワイルドアームズ』の誕生
――メディア・ビジョン初のタイトルとして『クライムクラッカーズ』がプレイステーションのローンチと同時に発売されました。開発中はどのような様子だったのでしょうか?
福島プレイステーションビジネスの動き出しに関わった会社であることを誇りに思っていましたし、どうしてもローンチに間に合わせたいという想いがとにかく強かったです。というのも、プレイステーションの発売が1994年12月3日だったのに対して、『クライムクラッカーズ』の制作が決定したのが同年のゴールデンウィーク明けだったのです。
――リリースまで約7か月ですか! 現在ほどゲーム制作に時間がかかる時代ではなかったとはいえ、かなりの急ピッチですよね。
福島たいへんでしたが、ハードを発売するソニー・コンピュータエンタテインメント(以下、SCE)からソフトが1本も発売されないなんてことはあってはならないと、気合を入れてがんばりました。ほかのタイトルは間に合わないかもしれない、と聞いていましたので、何が何でも開発を間に合わせないといけないというプレッシャーは大きかったです。それでもがんばった甲斐があり、マスターアップした後にSCEの取締役の皆様から拍手とともに「おめでとう」と言葉をかけてもらえたことは、いまでも強く印象に残っています。
本村あそこまで早く制作できたのは、シナリオとキャラクターデザインがすでに出来上がっていたのも大きかったですよね。
福島そうですね。原作漫画の『超光世紀スター・クラッカーズ』を連載されていた漫画家・ここまひさんとは知り合いだったこともあり、すでに出来上がっていたシナリオとキャラクター設定をゲーム化させてもらうことでゲームシステムの開発に専念できました。
――ゼロからの制作ではなかったことを踏まえてもかなりのスピード感だと思います。『クライムクラッカーズ』といえば、エンディングのアニメーションも印象的でした。
福島あのアニメーションをオープニングに使っていればもっと売れたのに、とよく言われます。アニメーションがどれくらいのクオリティでできるのか分からなかったので、最初にスベってしまうリスクを避けたのですが、結果的にはクオリティーの高いものが出来上がったので、オープニングにしておけばよかったなと思います。それもあり、つぎに開発した『ワイルドアームズ』ではオープニングにアニメーションがしっかり入っています。
――『ワイルドアームズ』の開発はどのような方針で進められたのでしょうか?
福島『クライムクラッカーズ』の開発期間が本当に短かったものですので、つぎの作品はある程度余裕をもったスケジュールで、自分たちの得意なものをしっかり作り上げようというコンセプトで開発に臨みました。また、今度はオリジナルのRPGを作りたいという想いもありましたね。
――『ワイルドアームズ』の開発期間は約2年。日本テレネットの『天使の詩』を開発したチームが参加されていたこともあり、『クライムクラッカーズ』と比べると、かなり充実した開発環境だったのではないでしょうか。
福島おかげで、シナリオやバトルなどRPGの基本となる部分はもちろん、アクションやパズル、ミニゲームなどいろいろな要素を詰め込むことができました。これは『ワイルドアームズ』をよりおもしろくするだけでなく、将来的にメディア・ビジョンはパズルゲームもアクションゲームも作れるようにしたいという開発展望を見据えてのことでした。『ワイルドアームズ』は、その後のゲーム開発の基となった作品でもあるのです。
――『ワイルドアームズ』の開発によって幅広いジャンルの経験値を得ていたのですね。ほかに、当時のエピソードで印象に残っているものはありますか?
福島じつは、『ワイルドアームズ』がプレイアブルになった段階でいちばん最初にプレゼンさせていただいたのはファミ通さんでした。当時編集者だった浜村さん(元週刊ファミ通編集長・浜村弘一)に「3Dでカメラも動いてプレイステーションらしいでしょう」なんて言いながらバトルシーンを見ていただいた後、フィールド画面になったら浜村さんに「フィールドは2Dなんだね」って言われたのを覚えています(笑)。理由を説明したらすぐに納得していただけましたが、関係者以外に初めてお披露目する場ということで本当にドキドキしましたし、いまでも鮮明に覚えています。
マスターアップ直前に致命的なバグを発見。そこから始まる奇妙な縁
――本村さんがメディア・ビジョンに関わられた最初のきっかけを教えてください。
本村SCEのアルバイトでデバッガーをやっていたころに、『ワイルドアームズ』を担当したのがきっかけでした。当時は『ポポロクロイス物語』のデバッグを行っていたのですが、『ワイルドアームズ』がマスターアップ直前ということで、空き時間にチェックを頼まれたのです。そこで致命的なバグを発見してしまいまして……。じつはそれが原因で『ワイルドアームズ』は発売延期になりました。ですが、それを機に『ワイルドアームズ』のチームに参加することになったので、不思議なご縁ですよね。
福島デバッグシートのバグ発見者欄に書かれていた“本村健太郎”という文字はいまだに脳裏に焼き付いていますよ。見つけてくれて助かったけど、欲を言えばもう少し早く見つけてくれれば……(笑)。
本村本当に直前でしたからね。
――そのまま発売されず、よかったかと思います(笑)。その後はどのように関わっていくのでしょうか?
本村デバッグチームに2年半ほど在籍した後、制作部からお声がけいただいてプロデューサー候補としてSCEに入社することになりました。そして入社後初めて関わったタイトルが『ワイルドアームズ アドヴァンスドサード』だったんです。そこからずっと『ワイルドアームズ』シリーズを見てきました。
――梅澤さんが入社されたのが2000年ということで、ちょうど同じくらいのタイミングだったのではないでしょうか?
梅澤まさに『ワイルドアームズアドヴァンスドサード』が開発中だったのですが、私が入って数ヵ月で発売が延期になってしまって。ゲームの開発って本当にこういうことがあるんだな、と衝撃を受けたことを覚えています。
――メディア・ビジョンの歴史を語るうえで『ワイルドアームズ』は欠かせないと思いますが、そのつぎにメディア・ビジョンにとって転機となった時期はいつだと思われますか?
福島作品を挙げるとすれば、『ケイオスリングス』ですね。当時はスマートフォンであれほど本格的なゲームは少なかったと思います。
本村全世界で発売されたタイトルで、2010年のAppストア売上ランキングでは世界15ヵ国で1位になっています。
福島現在主流になっているような基本プレイ無料のタイトルが出る前だったのも大きかったですね。web版のニューヨークタイムズに『ケイオスリングス』の記事が載ったときは本当に衝撃的でした。英語の記事は読めなかったので翻訳してもらい読みましたが(笑)。
――初めてスマートフォン向けに『ケイオスリングス』を開発されたのがひとつの転機だとすると、運営型タイトルである『メギド72』の開発もまた転機なのでしょうか?
福島そうですね。ビジネスモデルもそれまでの家庭用タイトルとはまったく違いますし、ユーザーさんの反応に対する反映スピードもぜんぜん違います。柔軟性やスピード感を大事にする開発のノウハウが溜まっていっていますね。さらに今後はPCゲームや家庭用ゲームも収益の上げかたが変化していくと思うので、そういう意味でも『メギド72』をDeNA運営スタッフの皆さんといっしょに開発させていただいていることは、メディア・ビジョンの今後の成長につながるかけがえのない経験となっています。
――どんどん新しいことにチャレンジされていて、これまでのお話ではかなり順調に成長を続けているように思いますが、会社の運営を続けていくうえで工夫や苦労をされたことはありますか?
福島定期的にスタッフとコミュニケーションを取ったり、スタッフの様子にはなるべく目を配るよう心掛けています。技術的な面では、スタッフがモチベーションを高く保てるように、つねに新しいものにチャレンジできる環境を用意しています。経営面で苦労したのは、スマートフォン以前の携帯電話ゲームが流行したころですね。市場がいっきに携帯電話ゲームにシフトしていきましたが、弊社ではそこには手を出さず、コンシューマーゲームを作り続けていたので、苦しい時期でした。
――携帯電話ゲームを作らなかったのはなぜですか?
福島これまで家庭用ゲームの開発で培ったノウハウが携帯電話ゲームの開発に活かせるかというと、そこは少し別物でした。ですので、そのタイミングでは我慢しつつ、スマートフォンが出てきた段階では家庭用ゲームのノウハウが活かせることが分かったので、そちらへシフトしました。それもあって『ケイオスリングス』がすぐに作れたので、我慢したかいはあったと思います。
――会社運営の苦労という点において、2020年からはコロナ禍の影響も大きかったと思いますが、現在はどのような対策を取られていますか?
福島2020年の5月にはテレワークに完全移行しまして、いまも協力会社含めて9割以上のスタッフはテレワークで働いてもらっています。じつは、コロナ禍になる前からメディア・ビジョンの開発室はヘッドホンをして仕事をしていることもあってすごく静かで、もともとチャットなど、ツールを利用したコミュニケーションには慣れていまして。そのおかげで、テレワークになったからといってコミュニケーションツールが変わることもなく、コミュニケーション不足で開発が遅れるといった問題はほとんどありませんでした。
本村僕が入社してから約1年、まだ10回も出社していませんが、皆さんと不自由なくやり取りができています。コミュニケーションは他社さんと比べてもしっかり取られていると実感しています。
梅澤むしろテレワークになったことで意識が高まったぶん、以前より密にコミュニケーションを取るようになったと思います。打ち合わせはもちろん、気軽な雑談も多くなった気がしています。
本村コロナの影響で会社の飲み会が無くなったとかってよく言われますが、うちは節目のタイミングでオンライン飲み会が推奨されていて、ちゃんと経費が出るんですよ。
――それはすばらしい取り組みですね! オンラインならお酒が得意でない人も気軽に参加しやすそうです。
本村いい環境ですよね。勿論全員強制参加の様な物ではなく、オンライン飲みがしたいスタッフどうしで集まって実施しているみたいです。
数年ぶりの新作タイトルを5作同時に準備中。その一部を特別に先行公開!
――皆さんが個人的に思い入れのある自社タイトルを教えてもらえますか?
福島ひとつ選ぶとなると悩みますが……私がユーザーのひとりとして長く楽しんでいるゲームという意味で『メギド72』ですかね。発売前からプレイしていましたし、リリースから4年経ったいまでもプレイし続けています。ちなみに、召喚のキャラクターも毎回ぜんぶ自力で入手しています。それくらいやり込んでいるのですが、PvPはなかなか勝てないですね(笑)。プレイヤーの皆さんが強くて、そこはちょっと敵わないなと思ってしまいます。
本村私は『デジモンストーリー』や『サモンナイト6』など、他社IPの続編をメディア・ビジョンで開発した作品が好きです。たとえば『戦場のヴァルキュリア』シリーズは2作目までセガさんが開発をしていますが、『戦場のヴァルキュリア3』はメディア・ビジョンが開発参加しています。続編ということで、継続した部分も変更した部分もありますが、そのあたりをうまく落とし込んでいると思います。ほかの続編タイトルもそうですが、メディア・ビジョンは過去作のプレイ感を変えずに、新しい要素を取り入れる作りかたが上手なんです。プレイヤーとして遊んでいてすごく楽しかったし、勉強させてもらうことも多かったですね。
梅澤いま名前が挙がりましたが、私は『戦場のヴァルキュリア3』が印象に残っています。初めてセガさんのIPをいっしょに作ったプロジェクトだったうえに、セガさんのエンジンを使って、しかも10ヵ月で作らないといけないという制約があって……(笑)。本当に大変でしたが、初めての経験をたくさんさせてもらいました。その後セガさんからは『シャイニング』シリーズでお仕事をいただくようになりましたし、ここもひとつのターニングポイントだったのかなと思っています。
――2018年3月の『戦場のヴァルキュリア4』以降、メディア・ビジョン開発の家庭用ゲームはリリースされていません。今後の予定について、お伺いできますでしょうか?
福島じつは、現在家庭用ゲーム機およびモバイル向けの新規タイトルを、オリジナル・他社IP含めて5本同時に動かしています。これまでメディア・ビジョンの作品はアニメ調のテイストで描かれたものが多かったと思いますが、いま着手しているものの中にはリアル系のものもあります。情報が発表されれば、「メディア・ビジョンってこういうのも作れるんだ」と思ってもらえる作品になると思います。
本村また、いままでは自社エンジンで開発を行うことが多かったのですが、今回は各ライン毎に一番適した環境で開発を進めるため、UnityやUnreal Engineといった他社のエンジンもプロジェクトごとに選んで使っています。それだけの影響ではありませんが、表現の幅はこれまでよりもさらに広がっていると思います。
――同時に5本って、ものすごい数ですよね。
本村いま当社は正社員数が約150名くらいで、派遣社員などを含めると200人を超えるのですが、それでもまったく賄えない作業量です。もちろん協力会社さんにお手伝いいただきながら制作を進めているのですが、もっと人手が欲しいというのが正直なところです。
福島 創業時のメンバーは7人だったので、そこから考えるとかなり大きくなりましたが、それでもまだ足りないですね。
――ちなみに、早いものだといつごろ情報発信できそうですか?
梅澤早ければ1年後くらいに何かしらのお披露目ができるかと思うのですが、そこはパブリッシャーさん次第なので、当社のほうでは何とも言えないですね。
――今回少しだけアートワークを見せていただきましたが、こちらの作品について何か教えていただけることはありますか?
本村内容に関してはまだ何もお話しできない状態です。申し訳ありません。代わりに企画が立ち上がった経緯をご説明させていただくと、僕が前職から懇意にさせていただいていた、とあるクリエイターさんたちと仕込んだ作品です。当時検討していた物はそのままでは使えないので内容は改めてイチから練り直していますが、座組はそのままです。
――SIE時代にクリエイターさんたちといっしょに仕込んでいたプロジェクトを練り直した、と。
本村ええ。当時からそのクリエイターさんたちとメディア・ビジョンとで検討していた企画なのですが、そのときは諸事情あってできなくなってしまいまして。その後しばらくして僕がSIEの退職を考え始めた頃に、そのクリエイターさんたちから「メディア・ビジョンともう一回再チャレンジしたい」という話をお聞きしまして、僕もその座組に再び加わるなら、僕がメディア・ビジョンに入るのがいちばんいいと思いました。メディア・ビジョンに入社した大きな理由のひとつにもなっているくらい思い入れのあるプロジェクトですし、メディア・ビジョンはクリエイターさんの表現したいものを形にするのが得意な会社なので、きっとすごくいいものが出来上がると信じています。
――アートボードを見ると日本っぽい雰囲気を感じますが、キャラクターの後ろ姿はサイバーチックに見えますね。
本村こちらはオリジナルの作品なのですが、世界観もキャラクターもまだ現時点で確定しているものではありません。まだ先になりますが、今後クリエイターさんのほうからも、もっと詳細な発表もあるかと思います。その際には世界観やジャンルなどにご納得いただけるものを、お披露目できるかもしれません。
福島この作品で日本のゲーム市場を元気にしたいという想いもあるんですよね。
本村近年、日本のゲーム市場から活気が失われていると感じておりまして、それを理由に海外市場へ注力する会社さんがいるのも仕方ないと思っています。ですが僕たちは、まず日本のゲーム市場を元気にしたい。日本のゲーム市場がまたにぎやかになって、その結果として海外でも通用するものを作りたいという想いをもって制作に取り組んでいます。
――その想いを聞いて、ますます期待が大きくなりました! 現在の開発状況は、だいたいどれくらいでしょうか?
本村クリエイターさんたちとも急がずお互いに納得のいくものを作っていきましょうという風に話していまして、まだ時間はかかると思いますし、お見せしたアートボードも大きく変更になる可能性があります。ただ、最終的に作り上げたいものはお互いにしっかり共有できているので、1度方向性が固まればその後はスムーズに進められると思っています。
――ほかにも複数のタイトルが同時に動いていて、いまの人数では足りないというお話もありましたが、その状況もあってスタッフの募集をされるとお聞きしました。どんな方に応募してほしいですか?
梅澤おもにハイエンドゲームの開発経験者です。とくにUnrealEngineの使用経験や、ほかにもライティングやルックデブ(ルックデベロップメント)の経験がある方、リギングアーティストなどの人材を求めています。スマートフォンや携帯ゲーム機など、これまで開発してきたタイトルではあまり必要とされていなかった部分を細分化し、専門職種として開発を行う必要性を感じ、改めて募集をかけたいと考えています。
――就職を考えている方へ、メディア・ビジョンの魅力をアピールしてください!
福島クリエイターの方々は、つねに自身のスキルアップを求めていると思っています。メディア・ビジョンはどんどん新しいことにチャレンジし続けていますので、自分を成長させるにはうってつけの会社であると自負しています。
本村我々の業界では、テレワークと言いつつも業務上仕方なく出社日が多くなるケースが珍しくありません。しかしメディア・ビジョンではそういったこともなく、日々の業務は完全にテレワークで仕事ができますし、一方で出社した方が効率が出るという人は、希望すれば出社することもできます。あとは、オンライン飲み会が経費でできるところですかね(笑)。
福島テレワークに完全移行してから、結婚や出産を機に地元へ戻ったスタッフが何人かいます。そういうライフスタイルはコロナ終息以降も選択できるようにしていきたいと思いますし、極端なことを言えば海外在住であってもいっしょに仕事ができると思っていますので、働きかたの自由度が高いというのもアピールポイントだと考えています。
梅澤私はこういう場ではいつもスタッフの人柄のよさをアピールしているのですが、社長も含めてみんな本当にやさしい方ばかりです。人間関係が良好なことは開発に集中するためにはとても大切なことです。スタッフが気持ちよく開発に集中出来るように、つねに意識しています。
本村ここ数年新規タイトルの情報が出せていなかったので、「『メギド72』の開発で手いっぱいなんじゃないか」といったような声はよく耳にしていました。実際は複数のタイトルを同時に抱えていて、これまではずっと仕込み中で言えなかっただけなのです。今後は少しずつ発表できるようになっていくと思いますので、ぜひお楽しみにしていただければと思います。
福島弊社はデベロッパーで、パブリッシャーさんに比べて表に出る機会は少ないのですが、ありがたいことに「メディア・ビジョンの作ったゲームだから買いました」という声をいただく機会が本当に多いです。創業30年目を迎えさせていただけたのは、そんなユーザーの皆さんを始め、クライアントさん、協力会社さん、そしてメディアの皆さんに支えていただいたおかげだと思っています。これからも皆さんの期待を裏切らないようチャレンジを続けてまいります。現在制作中のタイトルについても、どうぞご期待ください。
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