そんな同スタジオが最近手掛けているのが、ゴールド・マスター・シリーズと呼ばれる一連のインタラクティブドキュメンタリーの体裁を取った作品だ。このシリーズでは収録ゲームがメインコンテンツとなる従来の旧作コレクションタイプの作品と異なり、プレイ可能なゲームはあくまで全体を構成する資料の一部。それ以上に関連資料やインタビュー映像などをふんだんに盛り込んで掘り下げていくというものとなっている。
これまでに『メイキング・オブ・カラテカ』と『Llamasoft: The Jeff Minter Story』が出ていて、前者ではクラシックなアクションゲーム『カラテカ』の成り立ちを、後者ではカルト作家ジェフ・ミンター氏の足跡を追っており、前者がゲーム開発者によるゲーム賞“GDCアワード”の革新賞にノミネートされるなど、その取り組みが高く評価されている。
今回本誌ではDigital Eclipseのクリス・コーラー氏に取材を行い、その経緯や今後の展望などについて聞いた。
ゲームマニアからメディア側へ、そして開発側へ
――ゲームメディア側での長年の活動が知られていますが、いつどのようにスタジオに加わったのでしょうか? 最初に関わったプロジェクトは?
そして何冊か本も書きました。『POWER+UP: 米国オタクゲーマーの記したニッポンTVゲーム興隆の軌跡』(邦訳は2005年にコンピュータ・エージ社から発売)は、日本のゲームについてアメリカで出た最初の英語書籍だと思います。
それとご存知かもしれませんが、2008年に日本のカレーについてWiredに書いた記事(「日本のカレーライス」を熱愛する米国人記者が語る『ゴーゴーカレーNY店』)がWired Japanに翻訳されてとてもバズったりしましたね(笑)。
そして、ゲームについて、そしてゲームの歴史やその裏側にいた人物についての情熱をもっと注ぎ込みたいという思いがあり、2020年にDigital Eclipseでその素晴らしい機会を得ることとなりました。
関わった最初のプロジェクトは『ブリザード・アーケードコレクション』で、これは『バイキングの大迷惑』、『ロックンロール・レーシング』、『ブラックソーン 復讐の黒き棘』などBlizzardの初期作品をまとめたものです。
そして『T.M.N.T.カワバンガコレクション』、『Atari 50: The Anniversary Celebration』(以下、『Atari 50』)を手掛け、インタラクティブドキュメンタリーであるゴールド・マスター・シリーズへと繋がっていきます。
開発物語を軸にクラシックなゲームをまとめる
開発者がどうそのゲームを作ったか語っている映像のような“ボーナスコンテンツ”を見たくても、ゲームをプレイして目標をクリアーしたりしないと見られなかったりすることがありますよね。私達はそれはやってることがあべこべじゃないかと思ったんです。
というのも、私達が1980年代や90年代の名作についてそのゲームを知らない人の前で話すとしたら、まず興味を持ってもらうために感情的なきっかけを用意するじゃないですか。そのゲームがそもそもなんなのか、どういう経緯で生まれたのか、どうやって登場したのか、なんで今プレイするに値するのかとか。
そして「このゲームは80年代のものなんですけど、いまプレイしてみるとこういう意味で興味深いんですよ」とか説得する時に、人間性をそこに加えたりすると思うんですよね。誰がいつどこで作ったのか? どうやって、どんなツールで開発していたのか?
それはゲームも同じだと思うんです。時間や文脈から切り離されたそのゲームのROMファイルを単にプレイするのではなく、理解を高めたうえでゲームに向き合うことで、そこにそのゲームを手掛けたクリエイターの作業の痕跡が見えてくる。もしかしたらそうすることでプレイヤーとしてより楽しみを得られるかもしれない。
そしてそうした情報や文脈を示していくことを通じて、それを単にバラバラな周辺情報としてくっつけておくのではなくて、ひとつの物語として構成する。願わくばストーリーテラーやドキュメンタリー作家のようにありたいと思うんですね。誰かの作品を単に今聞けるようにしただけのカバーバンドのようではなくて。
私達は対象のゲームにまつわるユニークなストーリーを語りたい。『メイキング・オブ・カラテカ』なら、単に「はい、これがカラテカです」と現行機で遊べるゲームをお出しするだけじゃ足りません。そこには人々についての非常に興味深い物語があるわけで、ゲームの『カラテカ』はあくまでその中心となる要素です。そしてそこにこそ、あなたが今まで聞いたことがないであろう、ユニークで興味深いものがあります。
面白いのは、日本の皆さんは『カラテカ』と聞くとファミコン版をイメージすると思いますが、アレはジョーダン・メックナーが作ったオリジナル版とはかなり違う非常に変わった作品なわけです。
なので、当時遊んでみる機会がほぼなかったであろうApple II版をお見せできるのはとても楽しいことなんですよ。ファミコン版がもともとどういうゲームから出てきたのかわかるでしょう。
美術館のキュレーターと同じように、作品の物語を見出す
5つのタイムラインによる物語に絞り込む必要がありましたが、よく見るとそれぞれがゆるく繋がっているのがわかるかと思います。それぞれ直接の関係はそれほどない100本以上のゲームを収録するにあたって、そこに文脈やストーリーを加えたかったんですね。
実は『メイキング・オブ・カラテカ』の作業自体は『Atari 50』より前に始まっていたのですが、これは幸運なことでした。ここでタイムラインを軸に語っていくというスタイルや、そこにどうゲームのデモや資料などの要素を入れていくかについてじっくり取り組んだことで、ゲームについてのインタラクティブドキュメンタリーというコンセプトを進化させることができたからです。
というのも、ジョーダン・メックナーは本当にいろいろなものを保存して残している人だったんですね。当時のテキスト資料やプロトタイプが入ったフロッピーディスクがありましたし、その日何をやったかが書いてある日記まで残っていました。
あのタイムライン順の設計はココから来たようなものです。『Atari 50』の契約が決まったのはそのあとだったので、私としては「おお、いくつかの問題はあのやり方でうまくやれそうだぞ。じゃあアレやってみようか」という感じでした。
さて『メイキング・オブ・カラテカ』での最大の挑戦は「ひとつのゲームについての物語を描けるか」だったと思いますが、それについては可能であることを証明できたと思います。
『Llamasoft: The Jeff Minter Story』の場合はその中間という感じですね。100個のゲームをストーリーで繋ぐというよりも、ひとりの男の話であり、その人生を通じて手掛けた42のゲームの話です。
これはこれで時間軸に追っていくのがとても向いている。彼がひたすら自身のゲームを開発していく中でどうスタイルを進化させて、初期の白黒の『Centipede』(※ジェフ・ミンター氏が自作したオリジナル版)からその真逆のような『Tempest 2000』にたどりつくのか、その成長を見て取れますから。
展示可能なコレクションを見渡して「ここからどうやって物語を紡げるか?」と考えるのが美術館や博物館のキュレーターですよね。それと私の仕事は同じです。
――多くの資料が現存するゲームばかりではないわけですが、「ゴールドマスターされる」ために必要な条件などはありますか?
たとえば『Atari 50』の場合はあまり内部的な資料は提供されませんでしたからね。今では同じグループなので事情が異なりますが、当時は単にクライアントのパブリッシャーと発注先の関係で、使っていい内部資料が最初から渡されたわけじゃありません。私達が探し出さないといけなかったんです。
『メイキング・オブ・カラテカ』の場合でも、ほとんどは渡されましたが、それでも自分たちで探さなければいけなかったものもありました。なので仮にゲームのプログラム以外何もなかったとしても、私達が何が可能かを考えます。何が世に出ていて、何が入手可能でそこから何を語れるかなど。
なので、いつも開発側から提供されるものと私達が持ってくるものの組み合わせですし、渡されたものが何であれ、そこからどんな文脈を見出していけるかについてはとても自信があります。
ラマソフトのケースはまたかなり異なります。ジョーダン・メックナーとジェフ・ミンターはかなり違った人々です。ジョーダンの場合は『カラテカ』に3年ほどかけて、そのプロセスのすべてを記録して、その凝った設計やストーリーボードを紙に残していました。
それに対してジェフ・ミンタ―は、コンピューターの前にひとまず座ってタイピングし始めて、1週間後とかに出来上がったら「素晴らしい、じゃあ出そう」と次に行ってしまうでしょう。そうなると根本的にコンセプトアートについて尋ねる相手はいなかったりするわけです。いちいち作ってなかったりするので。
でもそこでほかの文脈が大事になってきます。当時はどんな所に住んでいたのかとか、それが作品にどう影響したのかとか。なのでラマソフト編の素材には、彼が育った通りの様子だったりローンチパーティーをしたプラネタリウムの写真が入っています。そういったものが入ることで現実感が出たり、インターネットで見られるゲームの画像には欠けている開発者その人の実在感が出ますから。
Atariグループ入りしたDigital Eclipseの今後の戦略
当時のゲーム業界にしてみれば、10年というのは永遠のようなものでした。10年後にその権利が必要な状況がありえるかどうかなんて想像もし得なかったんです。1年か2年売ったらそれでおしまいというような感じでしたから。そうして彼が今でも権利を持っていたからこそ、私達が『メイキング・オブ・カラテカ』をやれたというわけです。
あなたがおっしゃる通り、IPを確保していることの強みがあると思います。私達が『Wizardry: Proving Grounds of the Mad Overlord』、『ウィザードリィ』第1作のフルリメイクを実現するためには、(権利関係が複雑になっていたため)さまざまな関係者にテーブルについてもらう必要がありましたから。でもそれで実現し、あれをちゃんと『ウィザードリィ』と呼ぶことができるものにできた。それが大きな出来事なのは理解していましたし、実現できたのは本当に嬉しかった。
でももし開発者が自分たちの側にIPを保持できるのであれば、これはかなり将来的にこういったことを進めやすくなります。なぜ私達がジョーダン・メックナーやジェフ・ミンタ―の所に直接話しに行けるのかといえば、彼らが「うん、これの権利は持ってるからやろうよ」という感じだからなので。
またこれらのゲームには日本に接点があるものもありますからね。『カラテカ』やその後の作品である『プリンス・オブ・ペルシャ』を通じてジョーダン・メックナーをご存知の人も多いと思いますし、ジェフ・ミンターのいくつかの作品もそういう所があります。特に『Tempest 2000』は日本のゲーム開発者にも影響を受けた人がいるんじゃないでしょうか。
なので日本は非常に重要であり、みなさんが日本語でこれらのゲームを楽しめるようにするのが私達の戦略です。
――近年のDigital Eclipseの戦略の変化について教えてください。単なるコレクションとかリマスターだけを開発する会社以上のことをしようと向かう動機があったのでしょうか?
幸運なことに数年前に新たな資金を得て、そこから新しいプロジェクトを始める内部的な資金を確保できたんです。そしてそこからの発想は(雇われ型でやっていた)ビジネスモデルをひっくり返すということでした。
つまり、パブリッシャーが私達と契約して出来上がったゲームを彼らが売るのではなくて、私達が出ていってゲームのライセンスを得て、私達がベストだと思う形に仕上げるということです。この方針でこれらの作品が可能になりました。
というのも、『メイキング・オブ・カラテカ』にしても『Atari 50』にしても『Llamasoft: The Jeff Minter Story』にしても、こういったやり方でゲームをまとめた前例はありませんでしたので、(従来型の契約で)パブリッシャーに「こういうやり方がいいと思うんです」と説得するのは難しかったですから。その点でAtariが当時『Atari 50』でチャンスをくれたことには感謝しています。
ゴールドマスターシリーズをやる予算を確保した結果として、そのゲームについてのストーリーを語るのが確かにクラシックなゲームを楽しんでもらえるいいやり方のひとつであり、ビデオゲームのストーリーを語る最高の方法はインタラクティブなゲームそのものだと証明できたことは幸運でした。
一方で私達はAtari傘下となりましたけども、Digital Eclipseを選んでいただいた外部のパブリッシャーとのプロジェクトも引き続き目にするでしょう。私達としては喜んでやらせていただきます。
ただパブリッシャーの傘下となったことで、Digital Eclipseというブランドによる自主パブリッシング―それはつまりAtariでもあるわけですが―も可能になったというわけです。私達がインタラクティブドキュメンタリーをやることも、それ以外のタイプの再発を手掛けることも、オリジナルゲームをやることさえも目にすると思います。レトロゲームへのリスペクトというテーマを軸に、いろいろな場所に進めるようになったのが現在の私達です。
そしてそれらはすべて、クラシックなゲームへの、その設計への、そして当時の制約が生み出した美へのリスペクトに帰着します。先程触れたように私達は映画『スペース・プレイヤーズ』を元にしたオリジナルゲームを開発しましたが、新しい“レトロスタイル”のゲームを作るのも私達の能力のうちなのです。3Dリメイクの『ウィザードリィ』もそうですね。
グループには私達に加えて、より後の時代の作品(1990年代中盤)の素晴らしいリマスターを出しているNightdive Studiosがいて、Mobygames(ゲームのクレジットを中心にしたデータベースサイト)やAtariAge(Atari専門のデータベース/コミュニティサイト)もあります。
またAtariは当時のカートリッジも動作するAtari 2600+を成功させていますし、カートリッジの再発もしています。数年時間をもらえれば、Atariはグループとして昔のカートリッジリマスター、エミュレーション版、私達のやっているようなドキュメンタリーと、クラシックなゲームに関するあらゆる部分を扱えるようになれるのではないでしょうか。これはとても楽しみですね。
そしてゴールド・マスター・シリーズも続いていくでしょう。ゲームをインタラクティブに語っていくというこのやり方がうまくいくこと、プレイヤーの皆さんの反応がいかにいいかを示せたので、引き続きこの方法で素晴らしい物語を紡いでいけると感じています。
日本のゲームも「もちろんやりたい」
『T.M.N.T.カワバンガコレクション』はインタラクティブドキュメンタリー形式ではありませんが、KONAMIのアーカイブから出てきた大量の設計資料のディープなリサーチと翻訳など、その基礎となっているものはいくらか入っています。
当時のゲームはスタッフが名前を明かしていないこともあったりして、そういった資料を手に入れて、企画書に書かれている名前を見つけたりすると、そのゲームデザイナーとのつながりを感じられたりします。これはカワバンガコレクションでKonamiと働くことができて良かったことのひとつでもありました。
またコレクションを見てもらえればわかると思うのですが、私は日本版と海外版のROMをどちらも収録するように強く主張しました。コレクション自体が英語設定でも日本版のROMを起動できて日本版のロゴを見られるのは魅力的です。というのはタイトルをはじめとしてあちこち違ってる部分があったりするからです。『Teenage Mutant Ninja Turtles』ではなく『激亀忍者伝』でしたからね。
多分それは当時(海外のゲーマーにとって)体験できなかったことだと思うんですね。そういったちょっとしたことでも全体の豊かさを増すので、私達は異なるバージョンなども入れるようにしています。
いまだ衰えぬ日本カレーへの情熱
でもパンデミックの間に日乃屋カレーがオープンしたので、経営している人に会いました。いい食材が手に入らないので何もかも日本から輸入していると言っていて、日本と同様にすごく力を入れて作っているのがわかった。
面白いことに、日乃屋カレーは日本のチェーンで一番好きだったし、確か2013年だったと思いますがカレーグランプリを取ってますよね。単に自分が好きなだけじゃない受賞歴のあるカレーを本当にベイエリアで食べられるというのは最高ですね。
――あなたが薦めていたサンフランシスコのミッション地区のフミカレーに行ってみたんですが、おいしかったですよ。
米『WIRED』などで記者を務めるクリス・コーラーがおすすめしたいカツカレー「フミカレーハウス」サンフランシスコ──こだわりのカレーライフ https://t.co/mfFHId0Rlu #FOOD pic.twitter.com/GwKAxOmtsS
— GQ JAPAN (@GQJAPAN) July 21, 2016
Chris Kohler(クリス・コーラー)
Digital Eclipseエディトリアル・ディレクター。日本をはじめとした幅広いゲームの知識を活かし、KotakuやWired誌などで長年活躍。その後、Digital Eclipseに入社し、同社の手掛けるコレクション系作品のデータ収集や解説執筆などを手掛ける。日本留学の経験も。