
中村彰憲(なかむらあきのり)
立命館大学映像学部 教授 ・学術博士。日本デジタルゲーム学会(DiGRAJapan)会長、太秦戦国祭り実行委員長 東京ゲームショウ2010アジアビジネスフォーラムアドバイザー。 おもな著作に『中国ゲームビジネス徹底研究』『グローバルゲームビジネス徹底研究』『テンセントVS. Facebook世界SNS市場最新レポート』。
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ここは少し補足の解説が必要だろう。実際のところ、『黒神話』も『SHOGUN』も、それぞれ作品を生み出すうえでのインスピレーションとなっている『西遊記』や“戦国時代”にそこまで忠実であるというわけではない。にも関わらず『黒神話』には随所に『西遊記』を継承した“オーセンティシティ”、『SHOGUN』には“戦国時代”の”オーセンティシティ”を感じることができたのは、それぞれの作り手が、インスピレーションを得た要素に対する多大なる敬愛を有し、同時にこれらの本質をとらえながら継承、発展させた先のIPとしてそれぞれの作品を位置づけていたからにほかならない。
『黒神話』に関しては、プロデューサー兼ディレクターのフェン・ジー(馮驥)氏率いる7人ものコアチームが、同作を開発するにあたり、『西遊記』を100回以上読み込んだのに加え、孫悟空の装備用モデルを12億個もデザインしたという(※1)。
(※1)詳細はこちらを参照のこと(英文)
『黒神話』の物語も秀逸であった。主人公は古典たる『西遊記』に登場した孫悟空にうりふたつのヒーローが、『西遊記』で失踪してから数百年後の世界に天命人として現れたという設定だ。ポスト『西遊記』の世界観のなかで、かつて三蔵法師との道中で出会ってきた、さまざまな主要キャラクターの生末を見守るロードムービー的な形式となっている。『西遊記』の結末で孫悟空に引導を渡したのは、さまざまな局面で孫悟空を苦しめた神格だが、本作でも重要な役割を果たしている。
これに限らず、道中で登場するさまざまな妖怪や登場人物は『西遊記』ファンであれば合点がいくものばかり。天命人の身のこなしやそれの体得を意識したゲームメカニクスから如意棒の登場シーンまで、『西遊記』愛を感じられないことがない、ファン感涙のシーケンスが続いているのだ。
これに対し、ドラマ『SHOGUN』から感じられるのは時代劇の里とも言える日本を代表する時代劇映画撮影所に対する“太秦(うずまさ)愛”であり、日本の時代劇への”オーセンティシティ”が息づいているとも言える。
作品自体は英米の映画・ドラマ界で活躍したジェームズ・クラベルが1975年に発表した小説が原作であり、ストーリー自身もそれを踏襲しているため、“戦国時代”に忠実かというとそうではない。
だが、主演かつプロデューサーを務めた真田広之氏は、京都・太秦にある東映京都撮影所が東映太秦映画村名義で東映とともに製作として深く携わった時代劇の傑作『柳生一族の陰謀』で俳優として本格デビューし、アクションスター、そして海外スターとしての地位を固めていくが、『柳生一族の陰謀』以降の俳優としてキャリアの初期には、同拠点を中心に撮影された『忍者武芸帖百地三大夫』や『龍の忍者』そして『伊賀忍法帖』などで主役を務めるなど太秦との関わりは深かった。
『SHOGUN』はこの地で作り上げられた真田氏のネットワークが十二分に発揮されている。東映京都撮影所衣裳部の古賀博隆氏を衣装アドバイザーとして起用し、衣装デザインはもちろん、家紋の位置からわらじの履きかた、兵士の槍の持ちかたといった所作までリアルにこだわって撮影に挑んでいた(※2)。また、テクニカルスーパーバイザーとしては、長くフリーの助監督として太秦で活躍してきた原田徹氏が就任。小道具の位置、役者の動線、正座やすり足の指導まで行っている(※3)。このように太秦で実績を積んできた多くのベテランが『SHOGUN』の“オーセンティシティ”を生み出していたのだ。
(※2)詳細はこちらを参照のこと
(※3)詳細はこちらを参照のこと
■物語作りは脱・勧善懲悪の“コレクティブジャーニー”の時代へ
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このように2024年に『黒神話』、『SHOGUN』が示した“オーセンティシティ”は、いわば”ローカリズム”が根底にある“多様性”が作りだしたヒット作であり、これまでのエンターテイメントの潮流と言われていた“グローバリズム”の流れには相反してしまう。
より多くのユーザー層に訴求しうる勧善懲悪的なストーリーテリングも、カリスマ的なヒーローが台頭して人々を救うといった単純な物語体験も、“オーセンティシティ”の標榜する“リアリズム”とは相容れないものだ。得てして、人間がこうした複雑な人間関係をもエンターテインメントに求めるようになってきている実情を『黒神話』や『SHOGUN 』が示した。
昨年2024年12月8日に京都文化博物館にて“京都ヒストリカ国際映画祭”の公式連動企画として、国内外の映画制作者やクリエイターを招いて開催された映像と最先端技術のカンファレンス“HISTORICA X 〜AIの限界を超える、感情と共感を生むIP戦略〜”に、当方もモデレーター、通訳として参加させていただいたが、そこにゲストとして登壇した米映画プロデューサー、ジェフ・ゴメス氏も、現在多くの人たちが求めるようになってきた新潮流のエンターテインメントについて言及していた。
北米における『ウルトラマン』シリーズを成功へと導き、ハリウッドや欧米において、ひとつのIPを単体作品ではなく複数のメディアをまたいで展開するトランスメディアストーリーテリングによる物語体験の価値を提唱してきたゴメス氏だが、人々がスマホやPCでネットに常時つながるのが当たり前となった時代において重視される物語体験として挙げたのが、“コレクティブジャーニー”だ。国内における物語論者のあいだではかねてより『英雄の旅』としてすでに知られている(キャンベル, 1984)“ヒーローズジャーニー”と対比されるキーワードだが、“集合的”とも“集団的”と訳することができる“collective”を冠した“コレクティブジャーニー”は、“群像劇”と訳されてきた”Ensemble Cast Drama(アンサンブル・キャスト・ドラマ)”ともまた違ったニュアンスの概念だ。
かつての“ヒーローズジャーニー”は、単体または同一方向を向く少数の主人公を中心に冒険譚が語られたストーリーテリングだったの対し、“コレクティブジャーニー”では、物語世界における“システムの欠陥”がストーリーテリングの焦点となっているとゴメス氏は言う。主人公は、システムの欠陥を正すように物語世界で影響力を発揮していくのに対し、相対するヴィラン(悪役、敵役)が、そのシステムを利用して世界の影響力を得ている存在として成立している。悪役を倒してもシステム上の欠陥を修整し続けない限り、“悪が世に跋扈しつづける”ことになる。従来型の“善”対“悪”ではなく、システムにおける欠陥により生じる資源配分の不均衡を解決するために、語り手は主人公をむしろ”持たざる者”の代弁者として描き、ネットワーク内コミュニティとつながりながら独自資源を活用し、ときにはヴィランとされていた存在とも和解しながら根本的な問題の解決に向けて話を進めていく。
“コレクティブ”には視聴者、ユーザーも含まれるとしているのも、ゴメス氏の言う“コレクティブジャーニー”の特徴だ。ユーザーは”世界を外苑から見守るガーディアンエンジェル”のようにその世界の行く末を見守りながらSNSで声をあげ、場合によってはこれらの声が世界観の変換に影響を与えうる存在になる余地を残す必要がある。この点は、ストーリーテラーというよりは、ゲームデザイナー的思考であるとも言える。
■生成AIとユーザー介在がもたらす次世代のストーリーテリング
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「近いうちに、生成AIがこういった複雑な世界の些細を作り上げることができるようになるだろう」とゴメス氏は予測する。生成AIが新世代の物語の正史を生み出すことに貢献するとゴメス氏は主張し、これを“フラクタル・クリエイティブ・デベロップメント”と表現した。“フラクタル(fractal)”は、一部を拡大した形状が全体の形状と類似する幾何学的概念だが、物語世界のひとつひとつの破片が物語世界全体のDNAを内包する“コレクティブジャーニー”をこの幾何学的概念に重ね合わせたものと思われる。生成AIを用いた物語形成は、ゴメス氏が推進してきたトランスメディアストーリーテリングにも有効だ。
IPの世界観マニュアルを制作し、特定のIPに特化した生成AIをコミュニティの専門SNSなどで提供し、ユーザー登録した人のみ生成したコンテンツを共有できるようにすれば、誰が何の目的でどのアセットを活用し、何を生み出したかまでの軌跡を追えるようになる。これにより、ユーザーが共有したコンテンツに矛盾があったり、不当な形で使われた場合はこれらについてもIPホルダーが報告を受けることになる。これはトランスメディアストーリーテリングのための壮大な世界観を生み出すデザイナーにとっては吉報にもなりうるとゴメス氏は説明した。
昨今、IP、コンテンツの世界では、ワールドワイドで空前の日本ブームが巻き起こっている。前述の『SHOGUN』は、まさにその代表例だが、ゴメス氏は同作を”コレクティブジャーニー”的であると評している。
天下取りを目指す吉井虎永(徳川家康がモデル)、虎永を脅威ととらえ、つねに排除をもくろむ石堂和成(石田三成がモデル)、虎永傘下で動きつつ寝返りを図るなど一癖ある樫木藪重(本多正信がモデル)など、この世界観に善悪はなく、それぞれの思惑で生き残ろうとする姿がまさに“コレクティブジャーニー”に合致しているというのだ。
シーズン2以降は、原作小説から離れた完全オリジナルになると言われている。戦国末期から江戸初期はまさに混沌とした時代。それに対し“オーセンティシティ”を維持しながら、関ヶ原、大阪の陣を描いていくのであれば、まさに“コレクティブジャーニー”的に語られていくことになるだろう。もし多様な視点を想定したようなSNSコミュニティモデルを確立することができれば、まさにゴメス氏が理想として思い描いている”コレクティブジャーニー”の条件を完全に満たすシリーズになりえる。
そのほかにも前述の傾向にもとづいて日本製IPを見直すと、“コレクティブジャーニー”的視点で語るに相当する作品が日本には多い。そのような視点からも日本製IPの黄金時代はこれからもしばらく続くであろうと考えている。
※参考文献:キャンベル, J. (1984). 千の顔をもつ英雄(平田武靖・浅輪幸夫監訳). 人文書院