
※本記事は、2023年7月15日にアップした記事を再編集したものです。![[IMAGE]](https://cimg.kgl-systems.io/camion/files/famitsu/10532/a4efdd2f969559e8b1c92e99f32ded48e.jpg?x=767)
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SC-3000 ![[IMAGE]](https://cimg.kgl-systems.io/camion/files/famitsu/10532/af99687dd719c4e8bc6a39e946c3d9ef7.jpg?x=767)
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カードキャッチャ(左)とジョイスティック&ジョイパッド(右) ![[IMAGE]](https://cimg.kgl-systems.io/camion/files/famitsu/10532/a135007e7085979a7d5b41ce54c0e54d7.jpg?x=767)
SG-1000 ![[IMAGE]](https://cimg.kgl-systems.io/camion/files/famitsu/10532/afac4ef5554f69012fe38d2f1d4e245a6.jpg?x=767)
SK-1100
当時はデパートのおもちゃコーナーなどでゲームの試遊ができたので、筆者は『フリッキー』目当てに足繁く通っていた思い出がある。なぜかSG-1000でもファミコンでもなく“アルカディア”という海外生まれのゲーム機を買ってしまったためなのだが。
1984年7月には、本体形状が洗練されたマイナーチェンジモデルのSG-1000IIが発売。以降、セガは家庭用ゲーム機のハードメーカーとして活躍していくこととなる。1985年10月20日には、SC-3000シリーズとも互換性のある有名ハードのセガ・マークIIIが発売された。
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SG-1000II
アーケードの移植作がとにかく魅力だった
いまから41年前の1983年(昭和58年)7月15日は、SC-3000とSG-1000のふたつのハードが発売された日。
SC-3000とSG-1000は、セガ・エンタープライゼス(当時)から発売された初めてのゲームパソコンと家庭用ゲーム機。アーケードで実績のあるセガが家庭用ハードを発売するということもあり、流行に敏感なゲームファンは大いに注目していたのではないだろうか。
筆者は子どもだったが、当時人気だったメガネがトレードマークのタレント、斉藤ゆう子さんがテレビCMを担当していたこともあり、ゲーム専用機であるSG-1000がめちゃくちゃ欲しくなった記憶がある。筆者同様のおじさん世代のゲームファンであればこのCMの記憶がまだ残っていたりするんじゃないだろうか。
SC-3000とSG-1000は、セガ・エンタープライゼス(当時)から発売された初めてのゲームパソコンと家庭用ゲーム機。アーケードで実績のあるセガが家庭用ハードを発売するということもあり、流行に敏感なゲームファンは大いに注目していたのではないだろうか。
筆者は子どもだったが、当時人気だったメガネがトレードマークのタレント、斉藤ゆう子さんがテレビCMを担当していたこともあり、ゲーム専用機であるSG-1000がめちゃくちゃ欲しくなった記憶がある。筆者同様のおじさん世代のゲームファンであればこのCMの記憶がまだ残っていたりするんじゃないだろうか。
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両機の発売日の1983年7月15日は、任天堂からファミリーコンピュータが発売された日でもあり、この1983年という年から日本におけるゲーム機の発売ラッシュがスタート。“ゲーム機戦争”などと称された販売競争は、SC-3000とSG-1000の投入によってより勢いを増していくことになる。
SC-3000は、本体とキーボードが一体化したゲームパソコン。PC用ディスプレイは不要で家庭用のテレビに接続してパソコンとして利用できるだけでなく、専用ソフトを挿入すればゲームが楽しめるところもセールスポイントだった。ちなみに名称のSCは“SEGA COMPUTER”の略とのこと。
当時のゲームパソコンは高価なものが多く、29800円という価格はかなり破格だった模様。本体カラーはブラック、ホワイト、レッドのバリエーションから選択可能で、別売りのプリンターやデータレコーダーなどを接続することもできた。
キーボードはゴム製のものを採用していたが、後にプラスチック製のキーボードに改善したSC-3000Hも発売されている。
当時のゲームパソコンは高価なものが多く、29800円という価格はかなり破格だった模様。本体カラーはブラック、ホワイト、レッドのバリエーションから選択可能で、別売りのプリンターやデータレコーダーなどを接続することもできた。
キーボードはゴム製のものを採用していたが、後にプラスチック製のキーボードに改善したSC-3000Hも発売されている。
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もう一方のSG-1000は、ゲームパソコンのSC-3000をゲーム用に特化させたセガ初の家庭用ゲーム機となっている。SGは“SEGA GAME”の略称。
任天堂のファミリーコンピュータに対抗すべく開発されたマシンとして知られており、キーボードを取っ払い、価格をSC-3000のほぼ半額の15000円に抑えているのが凄いところ。当然ながらファミコンの14800円という価格を見据えてのものだろう。
セガ発売のゲームカートリッジだけでなく、なんとオセロマルチビジョン(ツクダオリジナル)のカートリッジと互換性があったのも非常にユニークな試みだった
任天堂のファミリーコンピュータに対抗すべく開発されたマシンとして知られており、キーボードを取っ払い、価格をSC-3000のほぼ半額の15000円に抑えているのが凄いところ。当然ながらファミコンの14800円という価格を見据えてのものだろう。
セガ発売のゲームカートリッジだけでなく、なんとオセロマルチビジョン(ツクダオリジナル)のカートリッジと互換性があったのも非常にユニークな試みだった
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やはり『サファリハンティング』(※1)や『フリッキー』、『モナコGP』、『コンゴボンゴ』(※2)、『ジッピーレース』などの人気アーケード作品が移植されていたのがSC-3000/SG-1000の大きな魅力だったんじゃないだろうか。
※1:アーケード版の名称は『トランキライザーガン』
※2:アーケード版(国内版)の名称は『ティップタップ』当時はデパートのおもちゃコーナーなどでゲームの試遊ができたので、筆者は『フリッキー』目当てに足繁く通っていた思い出がある。なぜかSG-1000でもファミコンでもなく“アルカディア”という海外生まれのゲーム機を買ってしまったためなのだが。
1984年7月には、本体形状が洗練されたマイナーチェンジモデルのSG-1000IIが発売。以降、セガは家庭用ゲーム機のハードメーカーとして活躍していくこととなる。1985年10月20日には、SC-3000シリーズとも互換性のある有名ハードのセガ・マークIIIが発売された。
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