
マイクロソフトがゲーム市場に参戦
Xboxは、PC用OSのWindowsでおなじみのマイクロソフトから発売された初めての据え置き型ゲーム機。本国アメリカでは日本よりも3ヵ月早い2001年11月15日に発売された。
発売当初“Xbox”はゲーム機そのもの指す言葉だったが、現在はマイクロソフトのゲームブランドの名称としても使われている。筆者もそうだが、PC上でXboxというアプリを利用してゲームを楽しんでいる人は多いと思う。
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日本にやってきたのはプレイステーション2やニンテンドーゲームキューブが販売されていた時期。黒くて大きなハードが海を越えてやってくるというところから、Xboxのことを歴史的事件になぞらえて“黒船”にたとえるメディアが多かったのが印象深い。
発売日当日の早朝に開催されたカウントダウンイベントには、まさかのビル・ゲイツ氏が登場。加えてミュージシャンのYOSHIKIさんも現れて大いに盛り上がっていたので、ニュースなどを見て記憶している人も多いだろう。
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初代Xboxが画期的だったのは、当時としては非常に先進的なオンラインサービス“Xbox Live”をスタートさせたこと。本体を買うだけでネットにつなげられたこともかなり便利に感じられたと思う。当時、多くのハードは別売りのユニットを揃える必要があったため、少々めんどうなところがあった。ボイスチャットにいち早く対応してくれていたのも、先進的でかっこよく感じたのを覚えている。
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Xboxのローンチタイトルは『デッド オア アライブ3』など12本。『DOA3』はXbox独占タイトルだったので、日本のゲーマー的には注目作だった。シリーズで初めてとなる外伝的な『デッド オア アライブ エクストリーム ビーチバレーボール』が発売されたのも本機が最初。なかなか衝撃的な作品だったので登場時はかなりの話題に。日本のXbox発売2周年時には、特別限定モデル“かすみちゃんブルー”なる本体も発売されていたので印象に残っている人も多いはず。
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