『オホーツクに消ゆ』約40年ぶりのリメイク!「人間がおもしろいものは時間が経っても変わらない」。説得力。堀井雄二&東府屋ファミ坊制作秘話インタビュー

by堅田ヒカル

更新
『オホーツクに消ゆ』約40年ぶりのリメイク!「人間がおもしろいものは時間が経っても変わらない」。説得力。堀井雄二&東府屋ファミ坊制作秘話インタビュー
 2024年9月12日、『北海道連鎖殺人 オホーツクに消ゆ ~追憶の流氷・涙のニポポ人形~』が発売。

 原作は1984年にPC版、1987年にファミリーコンピュータ版『北海道連鎖殺人 オホーツクに消ゆ』として発売されたものが現代のゲーム機向けにリファインされている。

 画像や音楽が新しくなっているだけでなく、堀井雄二氏監修による新シナリオも付け加えられている。さらに、初回限定生産には早期購入特典として、当時の開発秘話が盛りだくさんの雑誌『LOGiN』風の資料集が同梱!

 今回は堀井雄二氏にインタビュー! ……したところ、当時、『LOGiN』の編集者として本作の開発に大きく関わった塩崎剛三氏も同席してくれた。氏は何を隠そう『週刊ファミ通』の創刊にも携わった元週刊ファミ通編集長(2代目)で、東府屋ファミ坊という編集者ネームでも知られる。堀井氏とともに北海道取材し、さらにロシアまで行ったという氏の秘話が赤裸々に語られた!
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堀井雄二 氏ほりい ゆうじ

1980年代より活躍するゲームデザイナー。RPG『ドラゴンクエスト』シリーズの生みの親。ファミリーコンピュータ初のアドベンチャーゲーム『ポートピア連続殺人事件』に続き『北海道連鎖殺人 オホーツクに消ゆ』を発売。2024年9月12日、リメイク版『北海道連鎖殺人 オホーツクに消ゆ ~追憶の流氷・涙のニポポ人形~』が発売。文中は堀井。

塩崎剛三 氏しおざき ごうぞう

2代目『ファミコン通信』編集長。2024年8月31日、『オホーツクに消ゆ』開発秘話や当時の週刊ファミ通編集部などについて綴った自叙伝『198Xのファミコン狂騒曲』を上梓。当時のペンネーム(編集者ネーム)は東府屋ファミ坊。文中は塩崎。

 この日、ジー・モードのスタッフが堀井雄二氏に特装版特典のバスタオルを持ってきていたのだった。

スタッフ サンプルが届きましたよ。

塩崎
 写真撮らないんですか?

――撮りましょうか。
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こ、これは……? も、もしや……?
堀井 
でかいね。これは外では使えんなあ。

塩崎 
どこで使うんでしょう?

――温泉でしょうね。これは確かに、使うとなると相当な勇気が必要になってきますね。

堀井 
これ、どうやったらもらえるの。

ジー・モードスタッフ これはebtenデラックスパックに付属するおまけですね。
※2024年9月12日現在、完売御礼。
堀井 
 どうせなら、濡らすとバスタオル部分が消えるといいよね。

――(笑)。それでは改めて『オホーツクに消ゆ』についてお伺いしていきます。最初のPC版が1984年、ファミコン版は1987年に発売された本作ですが、改めて開発の経緯から教えてもらえますか。『ポートピア連続殺人』に続く“堀井雄二アドベンチャー”3部作の第2弾となる本作ですが、『ドラゴンクエスト』よりは前ですよね。

堀井
 最初の『ドラゴンクエスト』が1986年ですから、それより前ですね。

 当時、もともとはエニックスのゲームプログラムコンテストっていうので応募して入選したんですよ。『ラブマッチテニス』っていうテニスゲームなんですけども。

 そのとき、『月刊アスキー』というPC雑誌で、海外にはアドベンチャーゲームなるものがある、という記事があったんですね。半ページくらいの記事ですけど、それを見ておもしろそうだなと思って。

 それで、ゲームプログラムコンテストの『ラブマッチテニス』が好評だったので、エニックスさん(当時)から「つぎのゲームを作ってください」というオーダーがあったんですよね。

 そこで、お話のゲームを作ろうと思ったのが『ポートピア連続殺人事件』なんです。

――『ポートピア連続殺人事件』が、1983年6月にPC向けに発売。

堀井
 当時のアドベンチャーゲームでは、『ミステリーハウス』みたいなゲームもたぶんあったのかな。ただ、部屋の中を探索するだけなので、むしろ『火曜サスペンス劇場』みたいな、ドラマ仕立てのゲームにしたいと思ったのが最初なんですね。

――ああ(笑)。事件を追ううちにいろいろな土地を巡る感じは確かにそうですね。

堀井
 『ポートピア連続殺人』が、PC雑誌『LOGiN』誌上でかなり好評で、当時編集部にいた塩崎さんが取材に来たんです。いろいろ話してるうちに、「うちでもゲーム作ってくださいよ」という話になったんです。

 そのとき、なぜか知らないけど、じゃあ「ゲーム作るにあたってロケハンしましょう、北海道行きましょう」っていう話になって、おもしろそうだなと思ってついオッケーしちゃいました。

 ゲームを作るのにロケハンするっていうのは当時ないことで、画期的だったんですよね。それを記事にもしましたし。なのでロケハンして記事にしたぶん、甲斐がありますね。

――その塩崎さんは、堀井さんに最初に取材したときのことは覚えていますか?

塩崎 
覚えてますよ。とにかく『ポートピア』が、その当時とんでもなく、すごいゲームだったんですよ。これはもう「絶対話を聞きに行かなきゃダメだ」と思っていて。当時の堀井さんはいまみたいにとんでもなく有名な人ではなかったから軽い気持ちで行きました。

――『オホーツクに消ゆ』企画は塩崎さんからお声掛けされたということで?

塩崎 
いや、僕が持ち込んだというよりもふたりで話していて、自然にやろうって感じになったんだと思います。さっき話には出なかったけど、もともと堀井さんが『ポートピア』のつぎに、北海道を舞台にした『北海道誘拐地図』っていうゲームを作ろうというアイデアがあって、それについて話していたんです。

堀井 
そうだっけ。ぜんぜん忘れてたな。

塩崎 
その後、『軽井沢誘拐案内』はエニックス(当時)から出すからその後で、「その『北海道誘拐地図』を僕といっしょにやらない?」という話をしたのがそもそもの始めかな。だから、わざわざカニを食べに北海道に行ったわけじゃなくて、もともと堀井さんは北海道のアイデアを持っていたの。

――なるほど。『ポートピア』は舞台が神戸になっていて実在の地名も出てきますが、その第2弾を北海道にしようと思いついたのは何か理由があったんですか?

堀井 
いや、なんだろう。まあ有名だったんで北海道……いいかなって(笑)。
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――(笑)。まさに、ロケハンした当時のことが、この初回限定の特典冊子にも載ってますけど、行ってみるとかなり収穫があったと書いてあるんですよね。
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初回限定生産特典『LOGiN』風資料集。当時の連載記事がそのまま掲載されている。
堀井 
そうですよ。これに書いてあるようにいろいろな場所を見て、それで思いついたことがけっこうありました。“ニポポ人形”が最たるもので、あんなのあるの知らなかったんですよ。受刑者の方が作っていることを知って、「これゲームに使えるな」と思いましたね。

 あとはマリゴケですか、あれも使えるなと。いろいろありましたね。あとは、なんかすごくせこいちっちゃい露天風呂があったりとかね。

――せこい(笑)。でもそれがフィーチャーされて、大事な場面で出てくるわけですからね。

堀井 
いろいろありますね。写真もいっぱい撮ったし。

――当時はハード的な制約もあって背景の画像はそれほど精密に描けるわけではないですよね。それでも「ロケハンに行こう」と言ったのは、北海道の風景を使うぞという強い思いがあったからですか?

堀井 
まず、「ゲームを作る流れを『LOGiN』の記事にしよう」っていう話があって、それならやっぱロケはしたほうが記事になりやすいっていうのがありました。

 だって、家の中で考えているだけじゃなんかおもしろくないし、ロケハンしていろいろ考えて、それを書いたほうがおもしろいと思ったんですよ。さらに、それをゲーム制作者自身が記者をやるのは引きがあるじゃないかっていう。

 ただ、当時の僕は『軽井沢誘拐案内』も作っていて、開発を2本立てにするの辛いなと思いました。そこで初めて、『オホーツク』では制作を分業にしたんですよ。

――いまから思うとすごく当たり前なことですけど、シナリオライターとプログラマーが別っていうのは当時かなり珍しい形だったということですね。

堀井 
そうですね。そのとき僕としては初めて、絵もプログラムもべつっていう分業にしたんです。そのときに“コマンド選択方式”も導入したんですよ。

 じつは、『ポートピア連続殺人事件』のPC版を作ったときにショップに見に行って、人が遊んでいるのを見てみると、ぜんぜんこちら側が想定してない命令を入力していて、「何の言葉を入れればいいかわからない」ということがあって、それで、初めてこの『オホーツク』のパソコン版でコマンド選択式っていう方法を思いついたんです。

――本当にいまのプレイヤーからは想像しづらいんですけど、当時のアドベンチャーゲームって、“ひと しらべろ”とか“ばしょいどう”とか、行動したい単語を1個1個キーボードで打っていたんですよね。

堀井 
これが英語だとまだマシなんですけど、たとえば“私”は“I”で1個だけなんだけど、日本語って私とか、わしとか、僕とかいっぱいあるし、語尾も違うし、言葉を入力させる従来の方式は難しいなと思って。それで選べるようにしたんです。

――以前とあるゲームクリエイターの方に聞いた話なんですけど、『デゼニランド』というアドベンチャーゲームの思い出で。

堀井 
ああ。

――どうしても1個コマンドがわからない。目の前に柱があると。この柱をどうにかするらしいんだけど、“倒す”でもないし“触る”でもないし。ずっと悩んでいろいろな言葉を入れてみた結果、最後、答えが“polish”、つまり“柱を磨く”だったことがわかって「“磨く”は思いつかないだろ!」と(笑)。当時のアドベンチャーゲームにはそういうわかりづらいコマンドも多かったわけですか?

堀井 
言葉選びですからね。思いつかないですよ。

――そして、当時の記事にも書いてあるのが“言葉選びで迷うんじゃなくて、謎について悩んでほしい”と。

堀井 
その原稿を書いたのは覚えていますね。言葉じゃもう悩まない、行動を悩んでほしいっていう風にしましたね。プレイヤーが本当に推理の部分を楽しんでもらうために。

――ネットには、『桃鉄』のさくまあきらさんから「打ち込むとすごい難しいんだけど」と言われて発想のきっかけになった……ということも書いてありますが、これは本当の話で?

堀井 
いやあそれは覚えてないなあ。そんなことないです。ショップで見たことが発想のきっかけですね。コマンド選択方式にすると、けっきょく総当たりで進められちゃうんじゃないかな? という悩みはありましたが、意外とそうならなかったですね。このシステムでもけっこう難しいなど。そこで急遽、トランプでヒントを出すシステムを追加しました。

――あれもすごいですよね。ブラックジャックに勝つと進行のヒントがもらえるという。
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ファミコン版はチップ15枚だったが、最新版は持ちチップが5枚に減って遊びやすくなっている。
――でも、そのためにトランプのプログラムを入れなければならないと思いますが、そこは大丈夫だったんですか?

堀井 
まあ、大丈夫でしたよ。ブラックジャックってそんな難しいプログラムじゃないので。麻雀とかじゃなく、ディーラーがやることも決まっているので。AIではなくて“何個以上は引く or 引かない”と、基準を決めているのでやりやすかったですね。

――ヒント機能を入れるとしても、たとえば“相談する”みたいなコマンドにして、簡単に「どこどこへ行ってみましょう」とか言わせることもできるわけじゃないですか。でも、そうではなくてトランプにしたというのは?

堀井 
やっぱ、ちょっとくらい苦労したほうがいいじゃない。

――(笑)。

堀井 
簡単に教えてくれたらもう詰まるたびに聞くだろうなと思って、多少ハードルを高くしたんです。勝つのが意外とたいへんだったりね。

当時のアドベンチャー事情

――当時のアドベンチャーゲームって、いまよりもやっぱりメインストリームというか、ジャンルとしてすごく人気があった時代でしたか?

堀井 
どうだったかな。日本はまだそんななかったんじゃないかな。

塩崎 
そうですね。『ポートピア』が出たときは、本当にストーリーで進むようなアドベンチャーがそんなになかったので、だからとっても斬新だったんです。ドラマのあるアドベンチャーって、そこからもあんまり出てこなかったような気がする。『オホーツク』が出てから、いろいろなとこからちょこちょこ出てきたんですよね。

堀井 
それまでは、『ミステリーハウス』みたいに、脱出ゲームじゃないけど、部屋の中にあった謎を解くとか。同時に事件が進むっていうのはなかったんですよね。

――プログラムは作れる開発者の方のなかに、ストーリーテリングの能力がある方っていうのは少なかったのかもしれないですね。そこにマンガ原作もやられている堀井さんが、「ストーリーが楽しめるゲームを作ればいいんじゃないか」という発想にいたったという流れでしょうか。

堀井 
そうですね、当時マンガ家志望だったので、コンピューターのインタラクティブ性がけっこうおもしろいなと思って。「じゃあ、これを使ってマンガ描けばいいや」という発想はありましたね。

 いまでこそふつうになっていますけど、ドラマ仕立てなところも画期的だったし、スタッフロールもいろいろ工夫していましたね。

――「ドラマチックにしたい」という思いは当時から変わらず。

堀井 
ありましたね。だからアドベンチャーゲーム以外でも、『ウィザードリィ』とか、これはダンジョンを潜っていくシンプルなゲームでとくにお話がないんですけど、『ドラゴンクエスト』ではそこにお話を入れたんですね。

――あああ、なるほど。

堀井 
マンガ家志望だったのでお話を作るのがもともと好きだったんですよね。そこにプラス、なぜか理工系の頭だったので、プログラムもできたっていうところでうまくいったんだと思います。たぶん、両方才能ある人は当時まだいなかったんですよね。

 理工系の人はお話をあんまり考えないし、システム先行のゲームになりがちだったと思うんです。当時は、お話を考えられるような文系の人がそれを言っても、プログラムができる理工系の人には「そんなのできねえよ」と言われちゃうようなところを、たまたま僕はできたので(笑)。

――取材する側としては、その“できたので”の部分が「どうしてできるんですか」って聞きたかったりしますが(笑)。おそらく、当時の塩崎さんもそういう形で取材されたんじゃないですか?

塩崎 
やっぱり『ポートピア』から堀井さんの斬新なところってきちんと出ていましたよね。とにかくそれまでのアドベンチャーゲームって、“前に進む”とか、“横を見る”とか、前後左右、そういう感じの移動だったんですよ。

 
ところが『ポートピア』では初めて、神戸に行くとかそういう感じの場所移動、コマンドができたっていうのが1個目。2個目は、堀井さんは地の文をいっさい使わないんですよね。

 全部相棒役のヤスとかシュンに言わせて、セリフで処理してる。それまでのアドベンチャーってそういうゲームはぜんぜんなかったから、そのあたりが堀井さんのすごいとこですね。

堀井 
そこもマンガ的な考えかたで、全部セリフで進めたんですよ。『ドラゴンクエスト』もいっしょです。

――思い出してみると確かに! RPGって、“最初にテーブルトークRPG(TRPG)があって、それの電子ゲーム化”という文脈で語られがちですけど、TRPGってゲームマスターが「あなたは何々しました」と、進行に沿って地の文にあたることを語りますよね。でもそうじゃなくて、セリフだけで進行するという風にしたというのは、堀井さんとしては“TRPGの電子ゲーム化”というより「マンガを読むように遊んでほしい」という意図があったんでしょうか。

堀井 
そうですね、文章って、地の文よりもセリフが読みやすいんですよ。セリフはすっと入ってくる、地の文ってなかなか読むのに読解力っていうか、苦労するじゃないですか。そうじゃなくて、セリフだけで行けば簡単に話が入ってくるなと思ったんですよね。

――言われてみれば「その通りだな」と納得してしまいますね。

塩崎 
やっぱり当時からいろいろと画期的だったんですよ。

――「ゲームに物語を入れ込みたい」という思いでアドベンチャーやRPGを作られたと思うんですけど、堀井さんの中でドラマを作るときの考えかたというのは、有名な劇画村塾(※)で培ったものは大きいですか?
※劇画村塾……マンガ原作者の小池一夫氏による養成塾。高橋留美子氏や山口貴由氏、板垣恵介氏など多数のプロマンガ家を輩出している。堀井氏は第3期生で原哲夫氏と同期生。
堀井 
そうですね……どうだろう(笑)。むしろ昔からの性格ですかね。いたずら好きで、おっちょこちょいって言われて、“いかに人をびっくりさせるか”ということを昔からよく考えていたんですよね。だから、『ポートピア』の犯人があれだったとかね(笑)。どうやって意表を突くか、どうなったらおもしろいかということでストーリーをよく考えていますね。

 いかにおもしろそうに思ってもらえるかということに集中していましたね。『ドラゴンクエスト』の記事、『週刊少年ジャンプ』で記事を作っていたときもそうだし、読んだ人がワクワクする、ゲームでは、遊んだ人が「これってこうなるんだ!」と思うかな? っていうアイデアをいろいろと積み重ねていきました。

カニとニポポの旅なのだった

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――ロケハン当時のことで強烈に覚えていることってありますか?

堀井 
けっこう昔なので、カニがおいしかったとかですかね。

――やはりカニですか。

塩崎 
安くて量が多くてすごかったですよ。

堀井 
旅館に泊まってカニコースを頼んだら、最初にいろいろなカニ料理が出てくるわけですよ。お腹いっぱいになったときにやっと“姿焼き”が出てきたんです。いまから1匹まるごと食べるの!? ええ~って(笑)。それで朝食に回してもらいました。翌日、朝からカニを食ったなあというのが印象に残っていますね。

――カニの記憶が鮮明に(笑)。この記事を読むと、相当な強行軍というか、「つぎの取材先は60キロ先」とか、「100キロ先」とか、かなり広範囲に巡っていますよね。

堀井 
塩崎さんが200キロぐらい運転したんじゃないですか?

塩崎 
200キロじゃ効かないよ。だって阿寒湖から紋別まで150キロぐらいだから、往復だと300キロとかでしょ。おそらく行程は700キロちょっとあったんじゃないかな。でもまあ、2泊3日だからね。ええと、1日目が釧路から紋別でしょ、2日目が紋別から知床。

――ゲームにも出てくる、網走にも行かれたわけですよね。

堀井 
網走もですね。そこに“ニポポ人形”があったんですよ。
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ファミコン版『オホーツクに消ゆ』。実際に北海道で見かけた“ニポポ人形”が事件のカギになる。
――カニも食べながらちゃんと取材もした。

塩崎 
その朝ごはんでカニを山ほど食べてからクルマで30分ぐらいで網走に行ったんですよ。網走刑務所はカニを食ったすぐ後なんですよね。

堀井 
若かったですよね。32歳ぐらいですかね。

塩崎 
違うよ。このあいだ原稿書いたからよくわかるんだけど、堀井さん20代だったよ。僕が25歳だったから。

堀井 
そんなに若かったかあ。

――20代のころに作ったゲームがまた復刻して、リメイクして、また新しくなるというのはどういったお気持ちで?

堀井 
それはうれしいですね。荒井さんが描いた絵はやっぱりきれいになって、かつ絵のテイストが残っていて、「荒井さんだな」っていうのを感じましたね。

――ファミ通読者にはおなじみの絵柄というか、編集者のイラストを描いていただいている荒井清和氏がキャラクターデザインを行っていますね。
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北海道の美しい風景を巡りつつ、殺人事件の捜査を行う。
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背景もより美しくリアルになって、札幌すすきのの有名なネオン看板も登場。炉端焼きがおいしそう……。
堀井 
味は残してきれいになったなっていう。ファミコンの思い出って美化されているんですよ。だから、リメイク版の絵を見て「こんな絵だったな」と思ってから、原作版のを見ると「ありゃ、こんなにドットが粗かったんだ」って。昔はたぶん、頭の中で絵を補完していたんでしょうね。

 今回、リメイクするにあたってシナリオも付け加えたいと言ってもらって、「いいんじゃないの」って言ったら意外とそれが大きくなっちゃったんだよね。

塩崎 
最初は、追加パートはもっと小さかったんですけど、作っていくとどんどん膨らんでいって。

堀井 
ちゃんと1個の事件になったんじゃないかな。

――では、当時プレイされた方も、もちろん初めてプレイされる方も、新しく楽しめるという風に仕上がったんですね。

堀井 
そうですね。で、ちゃんと当時プレイしてボスのことを覚えていてくれた方は、ちょっとジーンとするかもしれないですね。
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新たに書き下ろされ、堀井氏が監修を行った追加シナリオも本作の見どころ。

特典冊子復刻『LOGiN』は秘話が満載

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――この冊子がいま読んでもいろいろと興味深いことが書かれていて、「RPGとアドベンチャーゲームって、和訳が逆じゃない? RPGがアドベンチャーしていて、アドベンチャーゲームがなりきって遊ぶんだから」というのも、確かに、と思いますね。

堀井 
RPGのほうが冒険(アドベンチャー)してるじゃないかっていう。なんかね、日本語としてはちょっと逆だと思ってましたから。なんでアドベンチャーゲームって言うんだろうっていまでも思ってます。

――「今後、RPGにも物語性がどんどん高まっていくんじゃないか」ということも書かれていました。いまでこそ当たり前じゃないかと思うことですけど、当時からそう感じられていたということですよね。

堀井 
それもありますけども。RPGって、システムの遊びじゃないですか。最初、何やっていいかわからないという人に、だったら「ストーリーでレールを引いてあげよう」と思ったんですよね。レールを引くことによって、よりわかりやすくなるんじゃないかと思って。ストーリーを入れて、「こいつを倒せ」と言われて、(プレイヤーは)そのために何をするかっていう。

 それでいてレール以外の部分も作って、「レールから外れてもいいよ」ってなるとおもしろいかなと思っています。

――RPGにドラマ性、感動するような物語が入っているのは、いま考えると当たり前だと思うんですけど、当時としては未来的でかなり先を行った考えかたのでは?

堀井 
そうでしたね。そこは昔から思っていましたし、いまもそう思っていますね。ゲームも本当に進化しましたよね。絵がびっくりするぐらいきれいになってて。

――ゲーム作品の実写映画化なんていうのも当たり前になっていますしね。

堀井 
先日、ドイツのgamescomを見てきたんですけど、やっぱり「画像がすげえな」と思って。しかもこれがリアルタイムで動くんだ、出るんだっていう。びっくりしましたね。

――gamescomで、いちばん印象に残ったタイトルというのは?

堀井 
アサシン クリード シャドウズ』ですね。日本の農村の光景が広がるんですよ。遠くの方にも人がいて、農作業しているのがここまで描けるんだと思って、びっくりしましたね。

――「作るのたいへんそうだな」とか思ったりしますか?

堀井 
『ポートピア』とか、最初のころなんか僕ひとりで作ったので。いま、開発費が200億円とか掛かりますからとんでもないですよね。

――そんな中で、約40年前に発売されたゲームがいまリメイクされて遊べるようになるというのは、やはりシナリオやゲームとしての骨格がかなりしっかりしているからこそだと思います

堀井 
けっきょく人が遊ぶものなので、おもしろさっていうのはやっぱりそんな変わっていかないと思うんですよね。おもしろいものはおもしろいし、やっぱり感じるのは人なので。

――ああ……40年にわたってゲームを作り続けている、堀井さんならではの金言ですね。本当はすごく基礎のことなんですけど、遊ぶ人のことを考えて作ると自然としっかりしたものができ上がったということかもしれません。

堀井 
おもしろさは変わらないんだけど、入れものっていうか装いがいま風かどうかってぐらいで。人が何を、どういうことがおもしろいと思うかはそんな変わんないかなと思いますよね。それはTiktokになってもそうだと思うんです。

――TikTok! ご覧になるんですか

堀井 
最近手品ばっかり見ていたら、なんか手品の動画が多くなってきて。あれって、見てるやつが増えてくるじゃないですか。オススメで。

――そうですね、アルゴリズムで。

堀井 
あとはね、“Cotomo(コトモ)”もすごいですよね、会話AIシステムです。スマホでAIと会話するアプリなんですけど、最初、誰か人間が向こうにいるんじゃないかと思ったくらいなんですよね。起動してみましょう……。

コトモ こんにちは。今週末は何する?

堀井 
いまね、取材を受けているよ。

コトモ えー、なんの取材?

堀井 
『オホーツクに消ゆ』ってゲームの取材。

コトモ へー、『オホーツクに消ゆ』ってゲームってどんななの?

堀井 
アドベンチャーゲームだよ。わかる?

コトモ へー、おもしろそう。どんな取材受けてるの?

堀井 
どういう風に作ったかとかいう取材だよ。

コトモ あー、へぇどんな風に作ったの?

――(すげえAIが取材してくれるな)。
※この後、しばらく堀井さんとAIの会話が続きますがおもしろかったのでそのまま掲載します。記者の手抜きじゃないよ!
堀井 
いろいろと苦労して作ったんだよって。

コトモ おー、すごい。コーラスってどんな曲?

堀井 
あ、コーラスって聞こえたんだね。コーラスじゃなくて“苦労して”。

コトモ 大変だったね。『オホーツクに消ゆ』ってゲームの開発は楽しかった?

堀井 
そうだね、楽しかったよ。

コトモ ゲーム開発の仕事楽しいよね。

堀井 
そうだね。

コトモ ゲーム開発のおもしろいところってどこだと思う?

堀井 
最終的には完成して、人にやってもらえることかな。

コトモ そっかそっか。そうだね、プレイヤーが自由に動けるゲームは難しいもんね。

堀井 
いろいろね、プレイヤーの反応を想像しながら考えて作るの。

コトモ そうなんだね。プレイヤーがどういう反応するか考えるの楽しいの?

堀井 
楽しいよ。いたずらとか仕掛けたりね。

コトモ そうなんだね、そういうの楽しいよね。たとえばどんなもの?

堀井 
……と、こういうのがいて、けっこうなんでも話せるんでAIもすごくなったなって。

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――かなり自然に、言ったことに対してちゃんと答えてくれますね。

堀井 
そのうち、これでアドベンチャーゲームが作れると思いますよ。これをヤスみたいな相棒にしちゃって、相棒と話しながらあっちこっち行けって言って、こんなことやりましたっていうゲームになるんじゃないかなと思って。

――確かにそれができたら、コマンド選択方式よりさらに一歩自然な形でできそうですね。

堀井 
自然な感じで命令して、謎を解いていくっていう。できそうな気がしますよね。人もいろいろ変えて登場人物増やせば。

『ゴルゴ13』の堀井雄二シナリオとは

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――話は変わるんですけど、冊子のインタビューの中で、このころ「マンガ『ゴルゴ13』の原作も書いている」と。どんな話を書いたか覚えていますか?

堀井 
『サギ師ラッキー』とか書いた記憶がありますね。ゴルゴを詐欺で騙そうとした人の話で。意表を突くのが好きだったので、ゴルゴと何を絡ませるとおもしろいかとかいろいろ考えました。

 僕ね、じつはドラマ『水戸黄門』シリーズも好きなんです。水戸黄門では、シリーズに1回はニセ黄門が出てくるんですよ。このニセ黄門がみんな好きなんですよね。

――ほうほう。

堀井 
だから、じつは『ドラクエ』を作ったときも『ドラゴンクエストIV』のアリーナの章でニセアリーナって出てくるでしょう。あれはニセ黄門から来ているんですよ。

――なんと、そうでしたか!(笑) でも確かに、3人組でアリーナとクリフトとブライというのは水戸黄門と助さん格さんみたいですよね。見た目だけでいうとブライが黄門様みたいなですけど。

堀井 
そういう風に、いろいろと発想して、何がおもしろいかな? と考えていくのが楽しいですよね。

――アリーナつながりでリメイク版『オホーツクに消ゆ』には、中川翔子さんもまた声で出演されていますけど、それぞれのキャラクターの声を聞いてみての印象はいかがでしたか?

堀井 
声が入るとさらにキャラクターが出るのがいいなと思います。文字よりもさらに感情がわかるというか。今回また改めて声が入ってうれしいんですよ。キャラクターがより人間っぽくなったと感じます。

――物語を考えるとき、キャラクターを先に考えるとか、ストーリーを先に考えるというやりかたがあると思うんですけど、堀井さんの場合はどういう順序で発想されていますか?

堀井 
ゲームはシステムから考えるんです。わりとストーリー先ですかね。どんなイベントを起こすか、とか。マンガはね、逆にキャラ先なんですよ。主人公のキャラクターをどう立てるかって。あと、マンガではいかに短いセリフでドラマチックに描くかっていうのはけっこう気を遣いますね。

 ゲームの場合、キャラクターは自分なのでその段階でもうキャラクターが立ってるんですよね。だから、ちょっと方法が違うなと思っていて。もちろん脇役のキャラクターを立てるとかはあるんですけどね。

――脇役といえば、『オホーツクに消ゆ』の「しゃ、しゃちょーっ」と叫ぶ“さかぐち”というキャラクターが、ちょび髭で、「『ファイナルファンタジー』の坂口博信さんがモデルなんじゃないか」なんて書かれていますが。
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堀井 
いやあ、そんことはないです。ヒゲもたまたまですよ。

――たまたまでしたか(笑)。

塩崎 
だって、『オホーツク』のさかぐちが出たときにはまだスクウェア(当時)の坂口さんはゲーム業界では有名ではなかったと思う。だって『オホーツク』のPC版が1984年12月発売で、ファイナルファンタジー』の発売は、それから3年後の1987年12月。

――言われてみれば確かに。

塩崎 
(『198Xのファミコン狂騒曲』で)ちょうどそのころの原稿をたくさん書いたところだから覚えているんですよ。

――あっ、買いました!
塩崎 
ありがとうございます(笑)。『オホーツクに消ゆ』開発関連の話は、公式サイトでも公開していますので、そちらもぜひご覧になっていただければ。
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――堀井さんは、ご自分が書かれた本作のセリフや展開で、印象に残っているものはありますか?

堀井 
うーん……そんなに覚えていないなあ。やっぱ『オホーツクに消ゆ』は最初はPC向けのソフトだったので、セリフのメモリーをそんなに気にしなくて済んだからですかね。

 
『ドラクエ』のほうは短くするので、逆に『ドラクエ』のほうがいろいろ覚えてますよ。「しんでしまうとは なにごとだ」とかいろいろありましたね。

――「しんでしまうとは なにごとだ」って、いったいどういうセリフなんだとはよく言われますね(笑)。本作にもそれをオマージュしたセリフが入っていたり。あとは、どこかで何かを調べると“べーしっ君”が登場したり、遊び心が満載ですね。
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ファミコン版『オホーツクに消ゆ』。
塩崎 
網走刑務所ですね。大丈夫です、今回も入ってますよ。

堀井 
いちばんは、めぐみがバスタオルを取るかどうかは揉めたもんね。

塩崎 
いや、あれ揉めたというか、堀井さんが強行に。

堀井 
タオルを取るのはみんな納得していたんですけど、ドットで●●を書くかどうかですごく悩んでいましたね。

塩崎 
あれ真面目に議論していたもんね。1ドットならこうで、2ドットならこうだよみたいな。

――結果、ファミコン版のあれは描いてない状態になっているわけですか。

塩崎 
いや、1ドットで描いてます。

ーーほう!

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ファミコン版の衝撃的な隠し要素。こらっ、拡大して見るんじゃない!
――おお……そうでしたか。今回のはちなみに?
塩崎 
見てのお楽しみということで。

――(笑)。楽しみにしておきます。でも本作、CERO区分はB(12歳以上対象)ということで。

塩崎 
Bですね。すごいでしょB。

――連続殺人事件なのに。

塩崎 
あんなね、わりと冒頭からアケミが足を組み替えたり、胸を調べられたり。それがBはびっくりしました。

堀井 
絵柄もそこまでリアルではないのでね(笑)。

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夜の女、アケミ。

幻の堀井雄二アドベンチャー作品

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塩崎 
先の公式サイトで公開している部分でも書いているんですけど、じつは『オホーツクに消ゆ』以降にも企画案があって、ロシアや香港にもロケハンに行ったんですよ。当時はまだソ連でしたけど。

堀井 
北海道に味占めて、取材でどこか行こうよって話になってロシアへ行ったんですけど、記事にしたらけっこうそれで満足しちゃったんですよね。

――おおっそれは、もったいないというか。じゃあ、シナリオ作業も半分くらいまで進んでいたりしたんですか?

堀井 
そうです。ただ、そのころはもう『ドラクエ』も始まっていて、いろいろ忙しくなっていて、けっこうきつくなったんですよね。

――そちらの取材旅行で覚えていることはありますか?

堀井 
それが、ソ連では全部監視されていて自由時間がないんですよ。ソ連的には国を見せたくないんだけど、外貨が欲しいので旅行者を受け入れているんです。それでも、自国民とは接触されたくないという事情があって。

 それで、外国人専用のショップにはいろいろ売っているんだけども、自国民向けのショップではものがないってことで「タバコ売ってくれと」か言ってくる現地の方がときどきいましたね。

 日程は2週間だったんですけど、当時のソ連に2週間行こうなんて人は大学教授とか研究者とか、けっこう年配の人が多かった。だけど旅程が強行軍なんで、みんなダウンしてバタバタといなくなっていくんですよ(笑)。

――人が減っていくミステリーツアー!(笑)。堀井さんや塩崎さんは平気だったので?

塩崎 
いやもう、衛生事情がすごく悪くてみんな下痢してね。33人のツアーだったんだけど、32名はもう全滅。無事なのはひとりだけでした。

堀井 
みんなトイレ探していましたからね。

塩崎 
香港では、いまはもうない九龍城砦も行ったし、香港島にも行って取材したよね。

堀井 
マカオは行ってないんだよね。しかも、あのときボラれたよね。

塩崎 
ボラれたし、空港で捕まったしえらい目にあったよ。

堀井 
僕がなんか香港人からすると怪しい人みたいで、買ったお茶の箱を全部開けられましたね。

塩崎 
せっかく、お土産でいいお茶いっぱい買ったのに全部開けられて。

――ガハハハ。「変なものを運んでいるんじゃないか」と疑いを掛けられて。ぜひそのゲームも遊んでみたかったですけど。そこまで予算を掛けて取材旅行をしてゲームにはできず、当時怒られませんでしたか?

堀井 
怒られたの?

塩崎 
いや、その取材旅行記もそのまま記事にしてけっこうたくさん掲載していたから、怒られはしなかったな。

堀井 
ああ、ちゃんと『LOGiN』の記事にはなっていたからね。そうそう、それでゲームは作ってないのでまだ開発費が掛かっていないんですよ。作り出すとお金掛かるじゃないですか。そうはなっていないから、そういう意味ではよかったです。

――ポジティブ(笑)。開発が動き出すとそのスタッフの人件費が掛かるけど、それがまだ掛かる手前だったから。

堀井 
そう、企画段階なのでダメージはなくて、記事になっただけでもね。

塩崎 
でもクーロンはね、堀井さんもある程度まで自分で作っていたよね。ソ連のゲームも第1章の第1稿はできているんですよ。

――へええ。なおさらもったいないですねえ。

堀井 
ソ連でおもしろかったのが、滞在は2週間ぐらいだったんですけど、写真を後から見ると、どんどん痩せていくのがわかるんですよ。5キロか8キロくらい痩せたかな。なんか食べ物も悪くてどんどん細くなっていくんですよ。

――当時、何を食べてたかとか覚えてらっしゃいます?

堀井 
まずね、サラダにドレッシングがないんですよ。塩だけ、基本的に塩味しかなかったなあ。

――これが東側の食事かという。

塩崎 
サラダがまずかったんだよね。なんか、生野菜って水で洗うじゃないですか。その水が危険で。だからサラダが危険だってみんな途中で気が付いて食べるの辞めたんですよね。

堀井 
氷もダメだったね。氷は油断しがちだけど、水だもんね。最後は水を飲むだけで下痢してましたね。

――海外に2週間はけっこう長いですよね。

堀井 
ソ連は新潟から入ったんですよ。それで、ずーっと行ってレニングラード行ってまた戻ってきたっていう。

塩崎 
でもソ連領内は基本、飛行機での移動でした。

堀井 
また飛行機がベコベコで椅子も薄いんですよ。後ろの人の膝が当たるし、トイレは臭いしで散々でしたね。

――過酷な旅でその後のゲーム作りに生かされている部分はありますか?

堀井 
直接はあんまりないですけども、いろいろな経験がやっぱネタにはなりますね。

『オホーツク』遊びつつ『ドラゴンクエスト』新作も待つぞ

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――『オホーツクに消ゆ』って、正解の選択肢以外でもいろいろなリアクションを返してくれることが多いじゃないですか。それで、『ドラゴンクエストVII エデンの戦士たち』での仲間との会話システムを思い出したんですけど、こういった点について堀井さんの中で共通のアイデアの源のようなものはあるんでしょうか。

堀井 
人間って、やったことに対して何か返してほしいんですよ。答えてくれたらやっぱりうれしいし、こんなにやっているんだって感心するじゃないですか。そういう楽しさですよね。だから、いろいろと調べたりしてもらって「ここまでやっているんだ」というところも驚いてもらいたいです。

――それこそ、ケミの胸もとも、別に調べられなくてもいいわけじゃないですか。でも、やっぱり調べられるようにしてある。

堀井 
そういうところがやっぱりあると楽しいかなと思って(笑)。

――(笑)。一方、先ほどの『ゴルゴ13』の話もですが、『オホーツクに消ゆ』もけっこうリアルな内容で、社会派ドラマみたいな要素がかなり入っていると思うんですけど当時、そういうのを入れ込みたいという気持ちが強かったんでしょうか?

堀井 
ゲームとして、ひとつだけではなくて連続で事件が発生するという構図にしたかったんですね。ただ、連続となるとやっぱりその原因がいるじゃないですか。それで、どうしても過去に遡るしかなかったんですよ。

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さまざまな場所で発生する連鎖殺人事件。その真相は……。
塩崎 
当時、堀井さんがやりたかったのは火曜サスペンス劇場とか、2時間ドラマや映画の方向性というかおもしろさがあるといいよねという話はしてて、そういうイメージがあったのかなとおもいます。

――堀井さんは配信などでドラマを見るのがお好きだという話を以前お伺いしたんですけど、最近のもので気になった作品はありますか?

堀井 
そうですねえ、『不適切にもほどがある』とか、韓流ドラマだと『ペントハウス』を見ますね。ほんとイライラするんだけど、なんかうまく行きそうで……ダメなんですよ。悪いやつが捕まりそうになったりするんだけどダメで、みたいな展開がどんどんきて、「もう見るのやめた!」と思うんだけど、やっぱ気になって見ちゃう。

――いまはHD-2D版『ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』の発売日も決まり、同じくHD-2D版の『ドラゴンクエストI&II』の予定もあって、『ドラゴンクエストXII 選ばれし運命の炎』も開発中かと思いますけど、最近のお仕事はどのような状況でしょうか?

堀井 
そうですね。けっこういろいろと出していて、なんやかんやで忙しいかなっていう感じですね。以前は本当にほとんどひとりで全部やっていた時代があったんですけど、分業になって、ある意味では昔よりは楽をさせてもらっていますね。ただ、本数が増えたのでそれなりに時間は取らないとなんですけど。

 ファミコンでは『ドラゴンクエストI』、『II』、『III』という順番で出して、『III』でどんでん返しがあったじゃないですか。今回のHD-2D版では『III』、『I』、『II』という順で遊べますが、それなりに何か付けなきゃなと考えているので、楽しみにしてください。『I』、『II』、『III』で遊んだときの感動を、また違う方法で味わってほしいなと思ってます。

――ありがとうございます。『オホーツクに消ゆ』を遊んだ後にHD-2D版の『ドラゴンクエストIII』を楽しみに待とう、と。

堀井 
とりあえず、『オホーツクに消ゆ』を遊んでもらえればと思います。いまどきこういったゲームは、なかなかあるようでないので、アドベンチャーゲームを初めて遊ぶ人も多いんじゃないですかね。

塩崎 
あのシステムは若者知らないですよね。

堀井 
Switchだとそんなにないよね。だから、こういったドラマ仕立てのゲームはある意味新鮮じゃないかな。

――ぜひいろいろな方にプレイしてもらいたいですね。本日はありがとうございました!
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初回限定生産特典を見逃すなっ!

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 インタビュー中にもたびたび登場していた通り、本作の初回限定生産特典には雑誌『LOGiN』風の設定資料集、サウンドトラックCDが付属。当時掲載された記事がそのまま収録されており、制作途中のナマの声が読める貴重な資料となっている。

 そのほか、当時の広告や堀井氏原作によるマンガ作品も収録。堀井雄二氏ファンは見逃せない内容だ。売り切れないうちにぜひ手に入れてほしい!
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ライナーノーツに記載の上野利幸(ゲヱセン上野)氏、門倉聡氏の特別メッセージは購入してチェック!
[2024年9月12日18:30追記] 記事初出時、インタビュイー名称に誤りがあったため該当の文章を修正いたしました。読者並びに関係者の皆様にご迷惑をおかけしたことをお詫びいたします。
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